第12話:胡麻豆腐を練りながら――暗記パンはありませんか?
さて、修行は体力勝負だと思われがちですが、実は「記憶力」との戦いでもあります。
今回は、厨房で胡麻豆腐を練りながら必死にお経を覚えていた頃の、少し滑稽で切実な舞台裏をお話しします。
修行というのは、体を動かすだけではありません。実は、膨大な量の「お経の暗記」という、過酷な頭脳戦も待っています。
般若心経、舎利礼文、大悲心陀羅尼、甘露文、参同契・宝鏡三昧、五十七佛、各種偈文や挨拶や日々の差定。そして観音経や壽量品などの法華経、さらには曹洞宗の教えが凝縮された「修証義」。
これらをすべて、一字一句間違えずに覚えなければならない「お経点検」は、私にとって恐怖の時間でした。
とはいえ、机に向かってお経本を開く時間など、日々の激務の中に一分たりともありません。
では、いつ暗記するのか?
私にとっての唯一の学習タイム。それは、小庫院での「胡麻豆腐を練る一時間」でした。
一般参拝者の食事を預かる小庫院では、数百人分を一気に大鍋で作るため、典座和尚が独自に厳選した胡麻ペーストに葛を合わせて練り上げていきます。(大庫院では胡麻を擦るところから始めますが)
ちなみにこの胡麻豆腐、基本的に作っている私たち修行僧の口に入ることはありません。参拝者や特別なお客様のためだけの「ご馳走」なのです。
大鍋で練る事一時間、火が入った葛は、見る見るうちに凶悪なほどに粘りと重さを増していきます。
少しでも手を止めれば一瞬で焦げ付き、何百人分の材料が全滅するプレッシャー。(慣れないうちは失敗して作り直すこともありました)
腕はパンパン、全身から汗が噴き出す大鍋との格闘――その木べらを漕ぐ一定のリズムに合わせるように、私は口の中で必死にお経を唱え続けました。
「なむからたんのー、とらやーやー……」
香ばしい胡麻の湯気を全身に浴びながら、ブツブツと呪文のように唱える陀羅尼。
激しい腕の疲労と酸欠で頭が真っ白になり、覚えたはずのフレーズが湯気と共に消えていく――。
「あぁ、ドラえもんの『暗記パン』さえあれば……」
三十歳の男が、汗だくで大鍋をかき混ぜながら、何度そう願ったか分かりません。
結局、あの長大な「修証義」だけは、修行期間中に完璧に覚えきることはできませんでした。
それでも、胡麻豆腐の焦げ付きと闘いながら、逃げ出したい心を必死に鍋の中に押し込めて手を動かし続けたあの時間は、いまでも私の原点です。
「出来るか?出来ないか?じゃない。やるか、やるか、だ。」
そして「完璧ではなくても、その時できる最善を尽くす」
覚えきれなかった悔しさも含めて、あの必死だった日々が、今の私の血肉になっています。
合掌
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
胡麻豆腐を練る手は止められない、でもお経は頭に入ってこない……。そんな極限で脳が焦げつくようなマルチタスクのなかで、私の頭の中は「暗記パン」への憧れでいっぱいでした(笑)。
ちなみに、フチに残った「胡麻豆腐の余り」をこそぎ落として食べるのが、当時の私たちにとって最高のご褒美オヤツでした。
次回は、修行僧を狂わせる「禁断の料理」――肉なし、ニンニクなしの究極のアレについてお話しします。




