76「アートと合理性を結びつけようとする、無粋なオトナたちへの抗議のポーズです」
竜穂雲は、周りを山で囲まれた、なだらかな谷間にある集落です。江戸時代の中期から後期に掛けて盛んに入植が行われ、国に認められる良質な木材の生産を誇りに、今日に至るまで存続してきました。上から眺めた町は、山林との境界が作り出す輪郭のせいで、まるで、五本の足をくねらせるクモヒトデのように見えます。
という情報を、宿泊部屋に入った直後、一番手前のベッドに置かれたパンフレットで知りました。クモヒトデは表紙の航空写真を一瞥した私の主観です。「ヒトデはいいですよね、足がいっぱいで」と言ったら、同室の盈さんから「腕じゃないんですか?」と即レスされました。そんな馬鹿な。真顔になります。
旅館のwi-fiに接続して真っ先に調べました。星型を成す突起部分は一般に腕扱いっぽい。しかし、ヒトデの裏側には管足と呼ばれる伸び縮みする器官がびっしり生えていて、それで海底を移動するのだそう。ワンチャン私の勝ちかと思いきや、クモヒトデには管足がなく、普通に腕で這うとのことでした。失意に項垂れます。
こうなったら、竜穂雲にたくさんの足を生やしてやる。決意からタブレットを取り出し、お絵描きアプリを開こうとした私に、盈さんに続く二人目のルームメイトから声が掛かりました。
「ねえベータ。すぐイオタに会いに行く?」
「これから芸術に耽るので、邪魔しないでもらっていいですか?」
「むん……」
「魂風さん、こういう時の都さんは、いくらでも邪魔していただいて構いませんよ。むしろ阻止してください。ただただ有害なので」
はあ? ガチギレして盈さんを睨みつけます。阻止とか有害とか、人の生産的活動を問題行動であるかのように言うのはやめていただけません? ありのまま、等身大であるだけでは届かない美に、もがき苦しみながら手を伸ばし、指で触れた心地が幻覚だと知る前に紡ぐ渾身のペン捌きこそ、若く未熟な私が、己の可愛らしさ以外で唯一世界にもたらせる福音なのに。
なるべく体を大きく見せるため、目一杯に両腕を広げて、威嚇します。
首を傾げるデルタ。
「アリクイの物真似?」
「違います! そこの盈さん含む、アートと合理性を結びつけようとする、無粋なオトナたちへの抗議のポーズです。で、イオタに会いに行くかですけれど、あの子も私たちみたいに休日って都合の良いことはないんじゃないですか? 何なら今日がテストの可能性すらありますよ。嫌なシーズンですよねホント。まだ朝の八時前です。学業時間前の内に尋ねてみては如何でしょう?」
「ん、そうする」
「あ、イオタが通ってる中学校の名前、分かります?」
「忘れた。覚えてるわけがない。それも聞く」
デルタは目を閉じて、静かになります。ずっとそうしてれば美少女なのに。ま、私の方が美の位階は上なんですけどね。
「ルナ・チルドレン」同士で遠隔交信する際、必ずしも自分の内側に集中する必要はありません。しかし、外側にも思考リソースを割くとやっぱり気もそぞろになってしまって、そうなると対話相手に失礼なので、纏まったコミュニケーションを取るつもりなら現実の肉体は黙想状態にしておくようにと、昔アルファが決めました。
待つ間、荷物からスマホとタブレット用の充電器を手に持って、車椅子の私でも苦労なく挿せそうな位置にあるコンセントを探します。二つ目のベッドの隣、シンプルな棚の上に見つけました。コンセントの確保ついでに、棚に固定された灯りの電源を点けてみると、ライトを覆う筒状の和紙が、浅く緋色に光りました。緋竜木をイメージしているのでしょう。おしゃれです。
デルタの瞼はまだ開きません。私も会話に混ざりたいのですが、現在、遠隔交信パスがイオタと繋がっていないため、難しいです。成長期は「発受信体」の情報体としての性質もコロコロ変わるので、相互に細かくチューニングしておかないとすぐ断線するんです。前にガンマがやったみたいに、デルタの中にある媒介島経由で繋げることも出来なくはないと思いますが、あれ、高等技術な上に余計な迂回を挟むので、絶対に疲れるんですよね。直接会って調節するのが一番手っ取り早いです。デルタが転校してきた時も無意識にやってました。
補足しますと、物理的に離れていても、定期的に交信しておけばパスは保たれます。アルファやデルタたちもそこは真面目にやってるんでしょう。放っておくと没交渉的になるゼータなどがサボったりしないよう祈るばかりです。
「イオタはテスト、今日まで」
交信が終わったようです。答えます。
「じゃあ今日は邪魔出来ないですね。明日の放課後を待ちましょう」
「で、学校の名前は、竜穂雲北中学校」
「シンプルイズベストな地名プラス方角。なんで忘れてたんですか?」
私も記憶力に自信はありませんが、一回聞けば北くらいは覚えますよ。残念ながら地名は忘れます。興味がないので。
地図アプリで北中の場所を確認します。先ほど竜穂雲はクモヒトデを彷彿とさせる形をしていると言いましたが、北の足(足です!)を1として、時計回りに五まで番号を割り振ると、北中は足1の真ん中に、この旅館は足3の先っちょにあります。直線で五キロ強はあるでしょうか。結構遠いです。真っ直ぐ進める道などあるわけもなく、逆に、なだらかな谷間の集落とはいえあくまで山の中なので起伏はありますから、湯ノ原レベルの健脚でも、歩きなら二時間はかかるでしょう。
「一応、イオタ宅は腕の根元寄りにあるっぽい」
「町の中心、クモヒトデでいうところの口の部分であっても距離があります。田舎の移動は自動車が前提だという話を思い出しました」
「乗ってきた観光バス使う?」
「まさか。田舎道にはデカすぎますよ。盈さぁん、御影さんのお婆さまのご実家は竜穂雲のど真ん中にあるって話でしたよね? 訪問する予定は元からあったわけですから、例えば、熊淵さんがレンタカーを手配してくださったりしているのでは?」
広縁の机で作業をしている盈さんに問いかけます。
うっわ、旅先で何やってるのかと思えば、世界史テストの採点をされてますよ。つまらない女。横の大きな窓から美しい初夏の山景色を一望出来るのですから、仕事なんか忘れてのんびりされては如何です?
その隙を突いて、書き換えます。
「本日午後から旅館がコミューターを貸してくださるそうですよ。そしてもちろん、都さんのヘドロみたいな答案用紙は持ってきてません。魂風さんのスッカスカなのも」
「ちっ」「ちっ」
二人してやさぐれました。
昼食までやることがありません。時間潰しに散策しようと、デルタに押してもらいながら部屋を出ます。御影さんもお誘いし、ご快諾いただきましたが、少し待って欲しいとお願いされました。旅館一階の受付前ロビーで停止します。
降りてきたガンマと目が合いました。
「あなたも散策ですか?」「いや、カブクワの幼虫探しに」
ああ、そう。
「一人ですか? 湯ノ原は?」
「本音じゃ連れて行きたいけど、ダメだよ。零時君はやり投げの大会に出るんだろう? 体のバランスを崩させちゃ悪いから。彼は今、テスト勉強で鈍った分を取り戻すって言って筋トレしてる。ただの散歩なら問題ないだろうし、呼んでこようか?」
「うーん。こっちは御影さん同伴でしてね。彼女と湯ノ原にはほとんど接点がありませんし、旅行初日に擦れ違いでギスるリスクは取りたくないですね。二人とも職人気質なので、どこに火種が転がってるか分からないんですよ」
逆に、歯車が噛み合って仲良くなりすぎる可能性もあります。御影さんと二人だけの世界を作る湯ノ原の姿が頭に過って、心に小さな穴が空き、そこから全身の力が漏れ出すような感覚に囚われました。なんでこんなに悲しくなるの? 意味不明な現象です。頭を振るって追い払います。
ガンマが去ってしばらく、御影さんと合流しました。旅館の裏に設置された、森をぐるりと一周して帰ってくる歩道コースに入ります。竜穂雲は朧煙よりも標高が低く、故に気温は少し高いのですが、涼しげな木陰と木々の間を縫う柔らかな風のおかげで、散策は快適です。
「おじいちゃんも来たのかな。ここ」
ふとデルタが呟きます。宙に溶けてしまいそうな声音。恐らく彼女は、この場の誰でもない、記憶の中のクソジジイに問いかけたのでしょうが、私の聡い耳がつい拾っちまいました。
「来たんじゃないですか? 彼が発起した土地ですし」
「おじいちゃんが本になったら、挿絵の一ページにはなる?」
「さあ?」「んぅ……」
「祖母の実家、朱穂に掛け合ってみますか? 荒屋朔一郎の痕跡が竜穂雲に残ってないかを調べていただけないか」
御影さんから提案を受けます。
一考します。重要なのはクソジジイ本人ではなく、クソジジイが過去に接触した古代「月の使者」。もし仮に、クソジジイの歴史に大事なものがあったとしても、普通の人には見えないよう秘されてしまっているでしょう。例えば、「月嫡再臨」の実験施設に施した隠匿の結界と同じような仕掛けで。
首を横に振りました。
「やめておきましょう。人を本にする趣味はないので」




