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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十五話 月は悟る 夜の訪れ

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75『あの子たちが放つ、魅かれてはいけないギラギラとした光に、眩しすぎる希望を見てしまった』


 2026年五月十六日土曜日、月波大学工学部棟Bにある広い演習室に、日本主導の月震観測ネットワークの構築を目指すプロジェクト「Luna-Beta」に協力する研究者たちが集結した。彼らの目的は、観測に必要な機器の運搬を担当する探索機の軽量化について議論することだった(無論、探索機を月まで送る宇宙船もだ)。現状、各々の希望を詰め込んで構想された、「ぼくたちがかんがえたさいきょうの」探索機は、重すぎる上に高すぎるという分かりやすい課題があった。高すぎる点については一旦脇に置くとして、とりあえず、重すぎる点についてどうにかしたい。

 プロジェクトメンバーの一人、矢窪光斗もこのミーティングに参加していた。月波大学教授の名の下に演習室を押さえたのは彼だった。会議後の食事会に使う店の予約も本来は彼の仕事だったが、以前に一押しの店で開催した際、美食家の老教授に陰で酷評されて自分の味覚に対する自信を無くし、有能な秘書さんに代わりに手配してもらっている。

 メインの登壇者を務めたのは、ロケット発射から観測機器の設置まで、多岐に亘るプロセスごとのエキスパートらの意見を集約し、宇宙船と探索機の図面に反映させる統括設計部の責任者たちだった。一方の矢窪は、特定プロセスに専念し、彼らに意見を送る側にいる──矢窪の役割は、月面を探索し、設置に適したポイントまで月震の計測器を運搬する地上走行型ドローン探索機の人工知能アルゴリズム開発である。その日、彼に舵取りのお鉢は回ってこなかった。しかしそれは、仕事がまったくないことを意味しない。

 途中、登壇者から発言を求められ、予め準備していた答えを述べる。


「私たち探索アルゴリズム開発部がドローン探索機開発部と提出した見積もり第一号では、防護カバーがかなり嵩張ってしまっています。昼夜の激しい寒暖差、太陽嵐に伴う強烈な放射線、粒が非常に細かい上に帯電もする月面塵(レゴリス)、月震がもたらす長時間の衝撃などからドローンに内蔵するマイコンチップを守るため、余裕を持って分厚めに作ることを前提に質量を計算したからです。しかし、一定のリスクを許容するのであれば、現時点でも半分程度に抑えることは可能です。また、実際にチップを製造していただくルナティック・エレクトロニクスさんによると、私たちが要求しているスペックであれば、今後十年以内に十分の一のサイズまで小型化する目処は立っているとのこと。さらに、住達ベークライトさんや朝日化成さん、四ツ井化学さんに入野株式会社さんにも、より優れた防護カバーの開発を目指す、企業の垣根を越えた連携に向けて、色良い返事をいただいております。二ヶ月(ふたつき)後までに、未来を見据えた見積もり第二号を、ドローン開発部の皆様と相談させていただいた上で統括設計部に改めて提出します。よろしくお願いします」


 登壇者に対してお辞儀をした矢窪へと、ミーティングの参加者たちが拍手を送る。顔を上げた矢窪は、ただ、慎ましく笑っていた。無邪気に喜ぶ気分にはならなかった。大見得切ったポジティブな発言は、自分の功績ではまったくない。生成AIの普及に伴って世界中で熾烈さを増す半導体の開発競争と、採算度外視でプロジェクト「Luna-Beta」への協力を表明してくれた名だたる大企業たちに、おんぶにだっこの状況だ。

 加えて彼は、探索アルゴリズム周りのソフト面における改善が、重量問題の根本的な解決に繋がらないことを正確に認識していた。ネックはハードと電源だった。すなわち、アルゴリズムに従って駆動するドローン探索機と、エネルギーを調達する太陽電池、調達したエネルギーをボディの推進力に変えるバッテリーについては、軽量化にも限界がある。探索機には、地球の六分の一の重力下で安定的に動作し、かつ観測機器を運搬出来るだけの重さと馬力が必要で、バッテリーもそれなりの物が求められる。太陽電池については、日光を効率良く浴びるためにパネル面積を広く取るべきであるのと同時に、ミッションの性質からして、最短でも一週間は月の過酷な環境にも耐えるぐらい丈夫でなければならない。

 ズボンのポケットに手を当てながら、矢窪は現代の教訓を繰り返す。今の技術水準ならば、スマホはソフトウェアの機能を保ちつつ、より小さく、より薄く、より軽くすることが出来る。しかしそうはなっていない。

 設置後の観測機器にも似たような問題が発生する。地震計測器自体はかなり小さく折り畳めるにもかかわらず、熱シールド、電源、通信アンテナを含めた観測局全体で見るとボリューミーになる。防護機構や電源は探索機と観測機器で共有可能なことから、これらの一体化、プロジェクト内で呼ばれるところの「フジツボ構想」(フジツボは、孵化直後の幼生期は海中を遊泳し、成体になってから固着場所に定住するようになる)も本格的に視野に入ってくるが、多機能化は構造が複雑になって壊れやすくなるデメリットもある。一つの探索機に観測局を複数セッティングさせる戦略を取りにくくなる点も懸案事項だ。

 小さな、しかし偉大な一歩を重ねるミーティングの進行を見守りながら、矢窪はぼんやり考えていた。月の地理を調べるための足掛かりを築く、それだけでも道は遠く、爪先が前を向いている確証も得られない。命知らずの屈強な元軍人の宇宙飛行士を動員し、目玉が飛び出るほどの予算に由来する綿密な準備を経て、アポロ11号が辛うじて勝利した分の悪すぎる賭け無しに人が月に行けるようになるまでには、まだまだ途轍もない数のステップを踏む必要がある。


 嗚呼、別に、僕が月の大地を踏めるなんて、最初から期待してなかったんだ。ただ、同じような夢を持つ未来の子供たちのために、バトンを持って、走って、繋げたら、それで良かった。満足していた、はずなんだ。


 声には出さず、心の中で参加者たちに問いかける。


 この中の何人かは、「モスクワの海」が同封された、あの衝撃的な招待状を受け取ったんだろう? あなたたちにも分かったはずだ。あれは悪戯なんかじゃない、本気の一枚だってことは。どう感じた? たった一枚の写真が纏っていた劇的な変化の兆しに、心臓が張り裂けそうなくらいドキドキワクワクしたんじゃないか? 何せ、僕がそうだったのだから。

 でも、僕以外に誰も来なかった。手紙の招待主に会いに行ったのは、僕だけだったんだ。守るべき生活があって動けなかったのかもしれない。示された兆しを恐れたのかもしれない。あるいは単に、メッセージを読み解けなかっただけなのかもしれないけれど、惜しいことをしたね。

 確かに、悪戯だと自分に言い聞かせて、見ないふりをするのが正しかったんだと思う。招待主は、小さな反逆者だった。既存社会を転覆して世界の支配者になろうと目論む、異能を持った恐ろしい子供たち。真面目なあなたたちは嘘だと笑うだろうけれど、正真正銘、本当の話なんだ。

 あの子たちが放つ、魅かれてはいけないギラギラとした光に、眩しすぎる希望を見てしまった。彼らには、僕を月に連れて行ってくれる力がある。「Luna-Beta」は僕を月に連れて行ってくれないのに。

 だから、人の理に歯向かう覚悟で、悪魔のような子供たちと取引をした。

 僕は、小さく軽い僕如きのすべてを、「ルナ・チルドレン」に賭けるよ。


 ミーティングが終わり、矢窪は登壇者たちと礼を言い合う。会話の区切りを付けた後、彼は演習室を見回した。この後の食事会は希望参加であるため、すでに何人かは部屋にいない。しかし、彼が目的とする人物はまだ残っていた。地震計測器のメーカー、宵星電気株式会社の開発部部長。苗字は寺橋だったはず。


「寺橋さん」


 呼びかけると、少し眠そうだった彼の表情が一転して引き締まり、すぐににこやかなものになった。「矢窪先生! どうかしましたか?」とハキハキ返される。気分を害された様子はない。どうやら名前を間違わずに済んだらしいと、矢窪は密かに安堵した。


「単刀直入に言います。『フジツボ構想』を検討しておきたいのです」

「……ウチのデータが欲しいのですね? ドローンに計測機能を搭載可能か見たいと。はい、いつか来ると思ってました。すぐにお渡し出来ますよ」


 話が早くて助かる。矢窪は頷き、感謝を述べた。

 彼の脇腹が微かに震えた。懐には、飴玉サイズに縮んだイータの子機が忍んでいる。「ルナ・チルドレン」特有の感情表現など知る由もない矢窪であっても、その震動からは、目標達成に対する隠しようのない喜びを感じた。


「日本主導の月震観測ネットワークの構築を目指すプロジェクト〜」云々は、残念ながらフィクションです。日本の宇宙開発は、細分化されたミッションを専門家の内輪で独占しがち。

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