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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十五話 月は悟る 夜の訪れ

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74「月なんぞに人生を蝕まれるのは癪ですからね!」


「月の使者」は、なぜ月の名を冠するのか。

 早朝の薄暗いバスの中、湯ノ原から尋ねられた問いに、しばし呆気に取られます。私の反応を見て勘違いしたのでしょう、彼は即座に、質問を撤回しようとしました。


「その、答えにくいことだったなら、答えてもらわなくても大丈夫なんだけど」

「いえ、答えにくいというわけではなく、当たり前すぎる(・・・・・・・)ことを聞かれて、思わず黙ってしまっただけです。ほら、太陽が東から昇って西に沈む理由は、もちろん地球が西から東へ、北極点を中心に考えると反時計回りに自転しているからですが、いきなり聞かれたら戸惑うじゃないですか」

「そうかもしれないけど、そんなに直感的なのか? 月との関わりは」


 驚く湯ノ原に、「ええ」と深く頷きます。「月の使者」と月との関連は、当事者にとっては当たり前でも、太陽の光をぼんやり跳ね返すだけの土塊(つちくれ)に執着されていない幸運な彼にとってはまったく未知の領域にあることです。根本から理解してもらうのは恐らく難しく、その事実を寂しく思いながら、説明の言葉を選びます。

 左手の親指を右胸に突き当てました。


「ここに備わる特殊な器官『発受信体』から力を引き出す時、月とのリンクを明確に感じます。月のある方角から震動エネルギーを抽出する感覚が、明瞭に生じるのです。肉眼で月が見える時にはそれがより顕著になって、塩梅を間違えると、月に引き寄せられて空を飛んでいるのかと錯覚するほどになります。あと、これは私だけらしいのですが、力を使っていない時でも常に月の在処が分かり──そして、あちらもこちらを見ているのです」


 悍ましいことに、夜が太陽に怯えて逃げた今も、ほんの少しでも意識すれば、月の熱視線を感じます。

 あっち行け、しっ、しっ。


「気が休まらないな。それこそテストの時とか、集中の邪魔だろ。あと防人さん、めちゃくちゃ月が嫌いだったよな? 多分、『月の使者』として覚醒するに至った経緯が原因なんだろうけど。……平気なのか?」


 心配してくれる湯ノ原。ありがたい反応です。

 実験施設にいた時は、クソジジイに央さん、加えて他の「ルナ・チルドレン(きょうだいたち)」も、月によって為される溶けたチーズのように粘着的なストーキングを、むしろ羨ましがっておりました。だから、本当はすごく嫌だったけれど、熱烈な歓迎を誉れに思わなければいけないと、当時の私は強く自分に言い聞かせていたのです。

 湯ノ原が気遣ってくれるだけで、あの重苦しさの残滓が取り払われて、心が軽くなる。もっと早く打ち明けておけば良かったです。


「平気と言えば嘘になりますが、多少は慣れました。ガン無視してやりますよ。月なんぞに人生を蝕まれるのは癪ですからね!」

「やっぱり強いな、防人さんは」

「しかし、テストの点は悪くなってるかもしれませんねえ! 特に歴史系!」

「強かだなぁ、防人さんは」

「ふっふっふ。私が勉強で本気を出せていないと理解してもらえて嬉しいです! 機嫌がとても良くなったので、特別に、私たちの力が月に纏わることの最たる証拠をお見せいたしましょう」


 二人席の窓側に座る彼と、車椅子の私に挟まれた、一人分の空間。その真ん中に左手を突き出します。掌を上に向けて。

 想像の中、「発受信体(ラジオ)」から伝わる月を握り、絞り尽くす。

 現れた小さな内核が、瞬く間に外核と分厚いマントルに包まれ、最後は薄い地殻で覆われました。バスケットボール大の球体が、ふわふわ宙に浮かびます。


「なるほど、圧倒的に月だな。ミニチュアの月が笑ってる」

「この気持ち悪いのは、子機です。震動エネルギーだけではなく、星を構成する物質まで月から召喚する異能。月側のセンスが悪いのでしょう、形状は不気味に笑う土塊(つちくれ)の形で固定されます。言わば月の紛い物(・・・・・)ですね。見た目の醜さを抜きにすれば結構便利で、飛ばした先の光景や音、匂いを私と共有してくれたり、震動励起の中継ポイントにしたり出来ます。あと、質量を伴うので敵にぶつけて殴ったりとか」


 ふと脳裏に、朧煙の台地に潜んでいた古代使者の、中性的な面立ちが浮かびます。奴は月の紛い物(・・・・・)のさらなるレプリカを黒乃さんに作らせ、それを仮の宿にして現代に蘇りました。そして、真の依代として私の子機を望んだのです。竜穂雲の古代使者に対峙したとして、迂闊にこいつを出せば乗っ取られてしまう可能性があります。ガンマとデルタには既に忠告してありますが、宿泊先に着いた辺りでもう一回言っときましょうかね。

 突如、湯ノ原の目つきが鋭くなりました。


「これ、松柄さんが遺した暗号の……っ」

「はい。あなたが導いた答えに、子機の姿が出てきましたね。彼女の死には、確実に『月の使者』が関わっています」


 バスの向きが大きく変わりました。昇ってきたばかりの太陽が、小さな疑いすら許さぬほど澄み切った白い光を窓に差し込ませてきます。眩しげにして顔を反らした湯ノ原と、かっちり視線が合いました。

 彼の影から呟きます。


「月の名を冠する『月の使者(われわれ)』は、人一人痕跡残さず殺すくらい容易い力を持つ、白日の下にいてはならない怪物なのですよ」


 ちょっと不気味さを滲ませちゃいました。あなたに秘密を知ってもらえて、私はとても嬉しいけれど、でも、あなたはその逞しい足を、踏み越えさせるべきじゃない。

 お願いだから、こちらの闇へどっぷり浸かる前に、引き返して。

 忠告しようとして、出来ませんでした。

 怪しくなった雰囲気を誤魔化すように、話題を文芸部の文化祭準備に移行させます。一年生に和菓子店月喜屋の双子娘がいて、カフェメニューのクォリティが例年より高くなりそうだと喋ったら、「ああ、あの子たちか」と、どこか感慨深げに反応されました。湯ノ原の家は月喜屋と近いので、双子と面識があっても不思議ではありません。どういう関係だったのか、さりげなく聞いてみました。小三から中一辺りまで、偶に公園で二人に出会(でくわ)しては、おままごとに付き合わされたのだそうです。

 ふーん。

 おままごとでどんな役を押し付けられたのかについて具体的に詰めようとしたところで、運転手の熊淵さんが、あと数分で目的地に到着するとアナウンスされました。振れ角を大きく取って揺さぶっても起きないデルタ。仕方なく、直接脳に不協和音を送りつけて強制起床させます。


「うぅ、助けてベータ、気持ち悪い。テスト前の時間がまだ続いてるみたい」

「乗り物酔いですね。可哀想に。テストはもう終わりましたよ。どうでした?」

「終焉(アポカリプス)」


 完全に止まったバスから、盈さんと湯ノ原の二人がかりで下ろされました。開放感に包まれるのと同時に、自然の清浄な空気で肺が満たされ、心まで洗われるようです。目前では、木造旅館が林の中に聳え立ち、レトロな雰囲気を醸し出していました。複雑かつ精緻に組まれた木材には、高貴な緋色が規則性を持って現れ、建物の存在感を強烈に押し上げています。あの特別な色は、言うまでもなく緋竜木です。

 国家首脳クラスの賓客の、長期間のお忍びにも耐えるグレードじゃないでしょうか。こんな凄い所に、タダで泊まってもいいんです? 何らかの法に抵触しません?

 熊淵さんが受付に対応する一方で、御影さんが声を張り上げます。


「防人様、皆さん。このまま一階で朝食を摂りますので、大きい荷物はフロントに預けておいてください」


 スタッフの方に先導されて、七人──私、デルタ、ガンマ、御影さん、湯ノ原、盈さんに熊淵さん──くらいならゆったり寛(くつろ)げる、広々とした個室に案内されました。旅館支配人の「皆様、ようこそ竜穂雲へ」から始まる短い挨拶ののち、イメージぴったりの和食料理が次々と運ばれてきます。

 由緒ありそうな旅館なのに、配膳スタッフに一人、幼さすら香る若い女性が混じっていました。それこそ私と同年代に見えて意外に思います。しかし、竜穂雲(ここ)は人口二桁の限界集落でもなし、未成年のバイトや見習いがいてもおかしくないと、すぐに意識から外しました。


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