72「どら焼きが四つも! 全部私のモノです!」
朝の憂鬱からちょっぴり解放される、月曜日の放課後。
「答えてくれ、零時くん」
「いきなりにも程がある。ここ玄関だぞ。とりあえず中入れろや」
「かっこいい木の棒を持った時、オリジナル技名の後に思わず言ってしまう『シャキーン』は、決してダサくないよね? むしろ臨場感すら生まれる」
「ダサい。ダサすぎる。ダサいと言えレイジ」
「二人して詰め寄ってくるなよ。靴が脱げないだろうが」
朧煙の妖精こと防人都が現状について実況すると、インターホンを鳴らしてガンマ宅に入ってきた湯ノ原が、ガンマとデルタによって圧を掛けられ、出入り口の扉に追い込まれています。まるで、取調官の不興を買ったせいで自白を強要される、冤罪で逮捕寸前の容疑者みたいで、ちょっぴり可哀想に感じます。
「はあ……」
小さく溜息を吐きました。
湯ノ原がここを訪れた理由は、「引っ越してきたから場所の確認がてら来て欲しい」とガンマにお願いされたからです。日取りしたのは湯ノ原で、本日はグラウンドの業者整備があり、練習出来ず暇とのこと。私とデルタはガンマから同席を頼まれました。賑やかし要員ですね。ああ、湯ノ原は、私たちの関係性、あるいは異能を承知済みです。デルタとガンマに暴露されたそう。
決して詰問されに現れたわけではない湯ノ原なので、今の状況には大いに戸惑っているご様子です。そして、ガンマの意見とデルタの主張、どちらに寄せて回答しても、彼にとって面倒臭い結果になるでしょう。少なくとも、靴を履いたまま立ち往生になることは間違いありません。
助けに行ってやりますか、せいぜい恩に着てくださいなと、車輪を回して彼らに近づきました。さりげなく、ズボンの丈下から覗く湯ノ原のくるぶし、ではなく、彼が持参してきた手土産の袋を見ます。朧煙自慢の本格派和菓子店、月喜屋のロゴが入っておりました。
湯ノ原から袋を受け取りながら、「出迎えついでに済ませられる軽い話なんですか?」ときょうだいたちを煽って奥に移動させます。いやまあ、私からすると、ヘリウムよりも軽いどうでもいい話題だとは思うのですけども。バカ二人の後ろをおずおずと追う湯ノ原が、小さな会釈で感謝を伝えてきます。
へへ、お礼にくるぶし周りの凹凸をナデナデさせてくれんかな。
ガンマ宅リビングの内装は、彼が引っ越してきたばかりの頃の殺風景から様変わりして、一人暮らしには十分と思われるほどに家具で充実しておりました。左側の隅にはシャープなデザインのデスクがあって、上で銀色のノートパソコンを充電しています。デスクチェアのすぐ後ろにあるダイニングテーブルは、女子寮食堂の机と同じ程度の大きさがあり、四人で囲むくらい問題ありません。一方、リビングの右側を見やると、タンスを兼ねた台の上には32インチのテレビが備えられていて、部屋の灯りを鈍く反射しています。テレビの正面に置かれた二人掛けのソファは、カウチ族ならしょうもないバラエティ番組を見ながら寝落ちするのにちょうど良さげと判断するでしょう。どれもこれも中古品のはずですが、劣化はそれほど感じられません。ガンマは目利きが上手です。
月喜屋の袋から箱を取り出し、ダイニングテーブルの上に乗せました。三人のいる方を振り向くと、後頭部がガンマ、湯ノ原、デルタの順に、ソファ背もたれの上で仲良く並んでおります。
ん? ってなります。肩が見える位置まで近づきました。槍を遠くに飛ばすために体を鍛える湯ノ原と、スタイルは標準的ながらも上背のあるガンマが二人用のソファに座れば、当然スペースに余裕はなくなるわけで。
あの……、デルタさん? 湯ノ原と近くない??
ひゅっと首筋が凍えます。霜でも降りたかと錯覚するくらいに。
「さっきの質問への答えだが……、ぶっちゃけダサいとは思う」
「零時くん!?」「よかった。レイジの感性は正常」
「でも、言ってしまう。ダサいと分かってても、言ってしまう……っ!」
「レイジ!?」「だよね。言ってしまうよね、零時くん!」
冷たさが通り過ぎた瞬間、次は猛烈にムカムカしてきました。二人の間にほんの僅かしか距離がない事実に対して、無性に腹が立つのです。割って入って、引き裂きたい。それはとても攻撃的で、醜い感情であるかのように思われました。私ってばどうしてこんなことを考えているの? こんがらがった頭で答えを探し、すぐに、「付き合ってもない男女がベタベタするなんて破廉恥だから」という結論に至ります。どこか納得が行かずモヤモヤしますが、多分そう、きっとそう。
なら、注意した方がいいのかしら? デルタの背中に手を伸ばしかけて、しかし逡巡します。友人とソファを共有し合う場合、あのくらいの距離感は普通なのかもしれない。私には分かりません。七年前からずっと車椅子なので。
それに、苛立ちに任せて咎めの声を掛けたら、こちらに振り返ったデルタが、勝ち誇ったような笑みを浮かべてそうで──。
頬をつねりました。悪い想像を追い払います。
さーて、さて、さて、湯ノ原はどんなお菓子を買ってきてくれたのかな?
「音がないの寂しくて。シャドーボクシングしてる時はついシュッシュッて言っちゃうし、体育のバットの素振りだって、ヒュッという風切り音を口で再現しがち。無意識のうちにな! 気づけば周りの生暖かい目。十五センチくらいのミニ湯ノ原になって穴や側溝に隠れたいと何回思ったか」
「ん。可愛い。許す」
湯ノ原の頭をなでなでするデルタ。原因不明の頭痛に襲われます。キリキリ、チカチカ、カーボンファイバーの真っ黒なワイヤーで頭蓋骨を締め付けられつつ、脳の内側を弱火で炙られているような。
ソファ方面を視界から外し、代わりに湯ノ原の手土産に着目します。箱の中身は、今が旬のビワを使ったクリームどら焼き。味醂と蜂蜜がブレンドされた独特な香りの上に、果実の上品なフレーバーが合わさって、食欲がそそられます。食べたことがない限定商品ですが、これは絶対に美味しい。間違いない。
やけ食いしたい。鬱憤を晴らすために。
「どら焼きが四つも! 全部私のモノです!」
「っ!? ベータ、ズルい! ならば、食われる前に食らうだけ。奪われる側か奪う側かなら、私は奪う側に回る」
「魂風さんの世界観って弱肉強食なんだ。一応、一人一個ずつのつもりで買ってきたんだけど。俺の分は、防人さんに献上しても……」
「どうしてベータだけ優遇? 私も欲しいのに」
「? あ、ああ、そうだな。平等にいかないとな。なら、半分こにしてもらって」
「やめてくれよ零時君、僕の住居で、争いの火種になりそうな提案は。僕の姉妹たちは皆、サイズやクリーム量の比率のちょっとした違いで揉める可能性のある、浅ましい奴らなんだ。僕の分もデルタにあげるから、喧嘩したらダメだよ」
「ん。どら焼きはもらうけど、流してもらえると思うな」
考えても言わない方が良いこと、ありますよね?
私以外の姉妹たちはともかく、私まで浅ましい奴であるかのような言い分。ガンマへのお仕置きが確定します。彼の就寝時間辺りに、「発受信体」の遠隔交信機能を介して、黒板引っ掻き系ASMRを脳内に直接ぶち込んでやろうと決意しました。
どら焼きを頬張ります。口いっぱいに広がる、ビワと餡の優しい甘さ。くどくないのでいくらでも食べられそうです。
じっくり黙々と風味を楽しむ我々スイーツ女子の隣で、食いっぱぐれた男子たちが、会話のお供もなしに言葉を交わします(後でこの場面について盈さんに話したところ、「現代のジェンダー論に対する風刺が利いてますね」と暗黒微笑されました。性格が悪い!)。
「いい場所だよな。駅と商店街が近い。広さも、一人暮らしの男ならちょうどだ」
「ははっ。一人暮らしなんかしたことないくせに」
「ごもっともだけど、考えたことはある。脳内シミュレーションだな」
「まあ、現実でも、零時君なら一人でやっていけると思うけど」
「……今それを選ばなくていいのは、俺に、誠実な親がいるからだ。とても幸運なことに。俺はとても恵まれている。だから、困ったことがあったら遠慮なく声を掛けてくれよ。友達が現実に押し潰されるところなんて見たくないから」
「零時君……」
いつの間にか私は、手元のどら焼きも忘れて、湯ノ原に向けてぽーっと視線を送っておりました。発言自体はガンマに与えられたモノでした。しかし語気には、ガンマだけでない、私たち「ルナ・チルドレン」を包み込もうとする意図が、明確に含まれていたのです。
どら焼きを落としかけて、ようやく意識が回帰します。ダイニングテーブル正面に、つい先ほどまでの私と同じ状態に陥っているデルタを確認しました。彼女のどら焼きもひどく傾いています。「デルタ」と呼びかけました。落下回避。
アルファ以外は親類縁者に売られて実験に参加する羽目になった、少なくとも恵まれていたとは言えない子供たちの集まり、「ルナ・チルドレン」。デルタかガンマは、この辺りのデリケートな事情も湯ノ原に話したのでしょうか。あるいは彼自身が察したのか。湯ノ原には意外と鋭い部分がありますからね。松柄さんが遺したメッセージもすぐに解き方を見出しましたし。
「じゃあ、早速頼んでもいいかな。と言っても、困り事ではないんだけど」
「うん?」
「行楽のお誘いさ。今度、あそこのどら女子二人と、竜穂雲という場所に行くんだ。零時君も一緒に来てくれないか?」
シリアスになった空気が和らぎます。とりあえず、どら女子のどらにどら息子のどらと同じニュアンスを検知しました。お仕置き倍増です。
来週は用事が立て込んでいて、更新出来そうにないです




