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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十五話 月は悟る 夜の訪れ

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71「希少木材の元締め様は、どこにお宝をプレゼントなされたのか」


 昨年秋の末頃、女装の偉丈夫、潮(うしお)のスカウトに乗った立原修は、即刻、大学院とバイトをやめて行方をくらませた。潮の部下による手厚い補助の下、車と徒歩を組み合わせて竜穂雲に向かい、二日かけて荒屋家の拠点に到着した。それから外出はまったくしていない。失踪から一ヶ月(ひとつき)後、連絡が取れないことに気づいた家族の通報で警察の行方不明者リストに入ったが、半年弱経ってなお、警察は立原の足取りを掴めていない。

 引きこもり始めてから、立原は延々と、潮一派のシングルスと呼ばれる者たちから提供されたデータの解析を行っていた。竜穂雲を原点とする座標でラベリングされた数字の系列は、プロットすると複雑に組み合わされた波動を示す。Cの6番と名乗った小粒の使者たち(シングルス)に属する少年曰く、これらのデータは、ラベルの座標を囲う一帯における、人々の思考の集合的奔流を表すらしい。皆なんとなく、そういうものだと確信している。月に纏わる超能力で測定された数値群を、しかし、潮たちは意味のある形で考察出来ていない。解読してみてもらえないかと、Cの6番から頼まれた。古代「月の使者」なる化け物と朔一郎の邂逅より始まる荒屋家の軌跡を学ぶ以外、しばらく重要な仕事が任せられることはないと聞いていた立原は、専門から離れた作業であるためあまり期待しないで欲しいと予防線を張りつつ、依頼を請け負った。

 立原は観測データに対し、理論経済学の最もナイーブな考え方に基づいてアプローチを行った。すなわち、人という社会的動物の記録には、それを上手く説明する最適化数理モデルが存在するだろうという楽観である。彼自身、非常に脆い、砂上の楼閣と言っていい価値観であることは理解していた。が、周波数解析に使われる知る限りの手法をそのまま原系列に当てはめても何も得られなかったため、いよいよ専門知を活かすことにした。

 警視庁が公開している手口別犯罪件数のデータを援用して、彼は、思考の攻撃性スペクトル──いわゆる「悪意」の識別に成功した。この成果は、ほとんど自爆的に捕縛された香月玲緒奈の救出に用いられた。彼女自身はまったく重要人物ではないらしい。しかし、彼女の実の娘である香月瑠奈は、今後の趨勢を左右する特異点であるとのことだった。P(プライマル)-G(グリーク)グループのベータは、実験のミスで崩壊に瀕したプロジェクトを朔一郎様と共に守った尊崇すべきお方なのだと、Cの6番は教えてくれた。死んだと思われていたベータは、デルタによる朧煙高校への潜入を機に生きていると発覚し、その母である玲緒奈の重みが増した。

 Cの6番が熱く語ったベータの能力は、常識の範疇を超えすぎていた。いくらなんでも眉唾ではないかと感じた立原だったが、真贋の判定に必要な情報は持ち合わせていなかった。辿々しくも楽しげな少年の話を、時折相槌や質問を交えつつ、基本は肯定的な姿勢で、立原はゆったり聞いていた。自分のような口下手で反応も悪い奴に熱量を割いてくれるなんて、Cの6番(シーム君)は良い奴だなと考えながら。

 立原は、委託された波動データの分析について、悪意を検出するだけでは満足していなかった。人の思念のうち悪意で説明出来ない部分の全部が善意かと言うと、当然ながらそんなわけがない。善意と悪意を取り除いた、道徳中立的な部分のパルスにこそ、彼は並々ならぬ興味を抱いていた。経済学が長年前提にしてきた自己利益の追求心は、その中に含まれているはずだと。しかし、悪意に対する犯罪件数のようなものが、善意については見つからない。経済活動の方はいくらでもデータが手に入るため、剰余に回すべきなのは善意の方であるのかもしれないが、すでにやってはみたものの、結果に納得が行かなかった。偶に出る謎のこだわりだ。

 恣意的な仮定を幾度も置き直した。文字と記号が書き殴られたノートが机に重なる。善意の正体を暴かんと、彼なりに考え抜いて作成したモデルは、どれもしっくりこなかった。善意バンドの特定については、めぼしい結果は上げられていない。


「……」


 猫背になって黙々と、彼はシャープペンシルでモデルを解く。世間的には行方不明者扱いの立原にとって、拠点からの外出は望ましくなかった。彼は元よりインドア派であり、窮屈な生活に苦を感じることはない。2026年五月十日の日曜日も、平日と変わらず解析作業に没頭していた。

 午後六時を少し過ぎた頃、宛てがわれた部屋の扉がコンコンとノックされる。立原は物音に敏感な男だった。集中状態が解除される。ゴールが見えない旅路の中で、表面を撫でるような瑣末な計算に足を取られていただけであったため、特に気分が害されることはなかった。「はい」と返事を寄越す。

 部屋に入ってきた少年に向けて、「シーム君」と呼びかける。妙に立原に懐いているCの6番は、三日に一回ぐらいの頻度で何の用事もないのに遊びに来ることがあるものの、大抵の場合は伝達事項を抱えて現れる。時間的に、夕食の時間を知らせに訪れたのだろうと、立原は椅子から立ち上がった。案の定、食事の準備が整ったと伝えられる。


「もう食べる? オサム」「そうしようかな」


 本来の立原は、独りで食事を摂りたがる性分だった。しかし、客をもてなして金銭を得ているわけではない人たちにわざわざ食事を持ってこさせるのは忍びなく、また、独りで食べるとつっけんどんに主張すれば、Cの6番(シーム君)のあどけない笑顔が曇る。よほど切羽詰まっている時以外は同行を断らない。二人は並んで食堂に赴く。

 竜穂雲の外れにあるこのホテル風の拠点は、大人数での利用を想定して建てられた物ではないらしい。食事用の共同スペースには、十人で囲めば肘がぶつかりそうな丸机が二つ並ぶのみだった。香月玲緒奈に与えられた部屋の半分しか広さがないと、Cの6番は度々不満を口にしている。

 立原は、野菜の煮物、焼き魚、味噌汁と米を皿によそう。手前の丸机にトレーを運びながら、Cの6番とは別の、近くに座っていた人物へと尋ねかける。


「少し雰囲気が浮き足立っているようだけど、何か異常事態でも?」


 質問の矛先は、潮から拠点の管理を任されているシングルス、Aの3番と呼ばれる女性だった。Cの6番より年上に見えるものの、アラサーの立原と比べたら明らかに若い。

 真面目な口調で答えが返ってくる。


「朱穂(あけほ)家の業者から一本、緋竜木の枝が発送されました。先週までの予定にはなかった贈答です」

「はあ。希少木材の元締め様は、どこにお宝をプレゼントなされたのか」

「石黒なる苗字の相手、住所はあの朧煙です」


 立原は深く頷き、落ち着きのなさに理解を示した。

 朧煙は、12000年前より古代「月の使者」が眠る地の一つ。「ルナ・チルドレン」から派遣されたデルタはそこで、生き延びていたベータと再会した。かの特別な子供たちが進める計画を最重要視する潮の「摂関同盟」にとって、まさしく台風の目と言える場所。すでにシングルス含む人員が複数送り込まれ、情報網の確立に乗り出している。

 緋竜木、すなわち、竜穂雲に鎮座する古代使者の「受光器」が、よりにもよってその朧煙に運ばれた。幹部的な立場にいるAの3番が神経質になるのは当然と言える。

 Aの3番と違って、立原は石黒という家名に覚えがあった。朧煙に潜伏するシングルスからの報告にあった、ベータこと防人都が最近になって交流を始めた地元の名家。付け加えて、朱穂と石黒の組み合わせにもデジャブが発生した。忠誠を誓うべき相手と出会い、将来への漠然とした不安が消えた彼の頭は、以前と比べて洗練されていた。引っ掛かりの原因をスムーズに特定する。朱穂家は、家系図、日記、帳簿などからダイジェスト化した一族の歴史をネット上に公開しており、立原はそれに目を通していた。石黒とは、朱穂家現当主の妹が、今から44年前の1982年に嫁いだ先である。

 立原の脳裏に一つの仮説が浮かぶ。ベータこと防人都が石黒の伝手を使って、竜穂雲の緋竜木を取り寄せた。

 報告資料を読む限り、彼女は、持ち前の高いコミュニケーション能力を使って周囲の環境によく馴染んでいると推察される。普通の人たちから成る社会を否定し、「月の使者」を中心とする新世界に作り直そうとするとは到底思えない。秩序を乱す不穏分子の存在を嗅ぎ取った、非常識な異能を持つ保守的平和主義者の若い女傑は、次に何をするか。

 頭から血の気が引いた。

 潮さんの思惑が、台無しにされかねない。


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