69「表面を調べているだけですよ。美しく整った、白魚のような手で」
「……間違いありません。クソジジイの杖と同源の木材です」
端的に言って黒歴史の、けれどそうというだけでもないクソジジイとの初邂逅の記憶を奥歯で噛み潰してから、差し出された緋色の枝について、彼の杖と材質が共通していると断定しました。色味も雰囲気もほとんど完全に一致しております。「そうだね」「うん」と、ガンマとデルタも追随しました。
「触ってみても?」「もちろん構いません」
御影さんに了承を取って、枝を手で引き寄せました。ツルツルした滑らかな手触りです。「加工してあるのですね」と呟きました。すると御影さんから否定されます。「最高ランクの緋竜木は研磨やオイル塗りなしでそうなのです」と。まじまじ見つめざるを得ませんでした。
パラオのサンゴ礁で発見されたと言われても信じてしまいかねないぐらい鮮やかな緋色。しかし、印象的な彩りの裏には、樹木特有の深みある褐色が確かにあって、まさしく根を張っていて、千年経っても色褪せないと思わせる安心感すら備わっています。この安心感については湯ノ原の雄々しい足にも共通するものがあって、そう考えると、若干エロスを覚えなくもない。
ついつい、愛を込めて撫でてしまいました。
「ベータ。手付き、やらしい」
「表面を調べているだけですよ。美しく整った、白魚のような手で」
「しかしその手は、リンゴどころか、人の頭蓋すら簡単に握りつぶす」
「今からこの場でお披露目させていただいても?」
喋る間にデルタの頭にアイアンクローをかまそうとしました。残念ながら逃げられます。命中率30。当たれば一撃必殺なのですが。
「都さん。緋竜木は、古代『月の使者』の力が染み付いてるんですよね?」
盈さんから指摘を受けて、芸術品の素材として特級以上と言っても過言ではない木材が、途端にバッチく思えてきました。枝をガンマに渡します。物欲しそうな表情でウズウズしていたので。
「おお、途轍もなく素晴らしい木の棒だ。かっこいい技名を口ずさみながら振り回したくなるなぁ。なんかこう、『逢魔ヶ暮れ・沈む緋溜』シャキーン! みたいな」
「ふっ。キメ顔でシャキーンとか。ダサ」
「ダサくないよ! かっこいいよ! 僕はそう信じてるからっ」
アイアンクロー圏外から鼻で冷笑するデルタに対し、ガンマは頬を紅潮させて涙目で反論します。技名はともかく、シャキーン! というのは、ふふっ。お幼稚ねと温かい目で見守ってあげたいところですが、残念ながら、ガンマくん16歳は博物館の日本刀体験コーナーでワイワイする子供ではなく仕事中の調査員なので、やるべきことはやっていただきます。
「シャキーン! は後にして、まずは枝に震動を通してみてもらえませんか?」
「ベータ、ひょっとして君も、剣技が閃くときの効果音をダサいと思っているのか? はあ。きっと、零時くんなら分かってくれるのになあ」
「えっ湯ノ原なら……? ま、まあ、私としては悪くないというか、むしろ、銀に光る刃の冴えを人々に正しく伝える爽快な響きに胸が震えるくらいです。まったく、デルタはセンスが悪いですね。シャキーン! がダサいだなんて」
「む。自分の口で言うのは絶対ダサい。レイジも私と同じ見解。私の味方」
「零時くんは僕の味方だよ! 世界が音を奏でてくれるなら、そちらの方が断然スタイリッシュに決まってるけど、ここは現実なんだよデルタ。勝手に音は流れない、だから自分で言うしかない。彼は絶対その摂理を分かってくれる! 後で白黒付けよう。……脱線も程々にして、緋竜木に震動流すよ」
どういうわけかやきもきしてしまう、どちらも応援し難い勝負の決着を先延ばししてから、ガンマはようやく作業に取りかかり始めました。右手に握る木の枝を熱心に見つめる姿には、道具も意思を持つファンタジー世界で魔法の杖に語りかける魔法使いの趣きがありました。事情を知らない人には、先ほどとは別種の厨二病が発症したと苦笑されるに違いない光景です。
しかし、ガンマは真面目にやっています。案の定、彼が励起した震動のほとんどは弾かれて、無為に空気を揺らします。すなわち、御影さんが持ってきてくださった緋竜木は、シータが言うところの「月喪神」化したモノ──私の車椅子と同様に、一人の「月の使者」特有の震動に物質側が慣れ親しんだ結果、当該使者にとって己の肉体よろしく自由に扱えるようになったアイテム。逆に、他の使者が発する震動は通りにくくなります。
人の仕事をぼんやり眺めるだけで終われば良かったのですが、やはり、そうは問屋が卸しませんでした。案の定、部屋のあちこちから、我々の行動を吟味せんとする視線を感じます。源に眼球はなく、代わりに、石英の真っ白な稲妻が迸る黒い大理石があります。12000年前より朧煙の地に蘇った古代「月の使者」もまた、同類が生み出した遠隔ユニットに興味津々のようでした。あるいは、我々が緋竜木から何を得るのか、見極めようとしている?
考察は後です。逆探知を試みます。奴が黒大理石と情報をやり取りするための、か細く複雑な振動経路を辿るのです。が、あっという間に退避されます。追いかけようとしましたが、部屋の外に出た辺りで痕跡が途絶しました。商店街の石細工販売店で覗き見られた時よりは長くホーミング出来たという事実は、何の慰めにもなりません。
あらかじめ備えていて、あわよくば仕留めたかったのに、悔しい。
「うーん、全然浸透させられない」
横で、悩ましげに唸るガンマ。
「あなたの技でも無理ですか」
「綻び一つも検出不可。小賢しいのはダメだね、苔むした巌に正面から挑む以外の道はない。でも、とても繊細なんだ。ベータが力で押したら、多分砕け散ると思う」
「専用の鍵でロックを開けるしかないと。ガチガチセキュリティですね。黒大理石の方はもっとガバガバですよ? 通りにくいとはいえ震えはしますし」
デルタが口を開きます。
「石と木の違いは、『月の使者』の技量によるもの? それとも性格?」
「性格じゃないでしょうか。つきがむらの前では些細な差です」
腕を組みつつ俯きました。自分でそう答えておいて、やや腑に落ちないところがあったのです。私が戦った古代使者を「朧煙使者」、緋竜木の主はその産地にあやかって「竜穂雲使者」と呼ぶことにしましょうか。二人のユニットに見られる差が性格によるものとすると、竜穂雲使者は慎重な秘密主義者であるのに対し、朧煙使者は大雑把な粗忽者ということになる。
イメージとそぐわない。純粋に技術面だけで評価すれば、奴のつきがむらを制御する手腕は完璧でした。付け加えて、自身の寝床に近づいてきた、月の力に適性のない人たちを容赦なく殺すという排他的な側面もあります。細かい部分に注意が行き届かないパーソナリティの持ち主とは到底思えず、むしろ、神経質すぎると感じるぐらいです。
「ん。どうする? ガンマの器用貧乏さでもベータの脳筋馬鹿力でもダメなら、今の私たちに枝の解析は不可能。お手上げ」
「わざわざ貧乏とか付けなくてもいいじゃないか。自覚あるし、泣くよ?」
「脳筋馬鹿力って表現もかなり悪意ありません?」
睨みつけたデルタの表情は、反省の色がないどころか得意げですらあります。いつからこんな、口の減らないアホ女に変わってしまったのでしょうか。いつか度が過ぎれば、「発受信体」を介してスッカスカの脳みそに干渉し、海馬の隅まで私の可愛さと素晴らしさを刻みつける所存です。それだけ知ってたら人生幸せですからね。
とりあえず、朧煙使者とそのユニットの性質との間にある齟齬は棚上げにして、デルタの質問に答えるべく頭を回します。
「せっかく緋竜木を持ってきていただいて、朧煙使者も食いついてはきましたが、罠に掛かるほど近づいてはくれませんでした。奴向けの餌にするには弱い。こっちの狙いは頓挫です。もう一つ、単純に竜穂雲使者の情報収集も意図しておりましたけれども、しかし現実は厳しいですね。朧煙使者を基準にした竜穂雲使者の脅威度ぐらいはざっくり割り出せると考えていたのですが。……御影さん、無茶を承知でのお願いなのですが、緋竜木をもっとたくさん用意することは出来ますか? 規格化された工業製品というわけでもなし、ユニットのセキュリティにもムラがあるはず。甘いのもあるかもしれません。希望的観測に過ぎないのですが」
御影さんは、やるせなさそうに瞳を伏せました。
「他ならぬ防人様の望みですから、お応えしたい気持ちは山々ですが、非常に困難であると言わざるを得ません。緋竜木は世界的に評価が高い希少な木材でして、正規の手段で購入しようとしたら、最初の予約から年単位待たされることもザラです。その一本は、お祖母様の名の下に、先方からご厚意で捻り出していただいたものでして」
「! 献身的なご協力、心から感謝いたします。そして申し訳ないです。すでに随分と迷惑をお掛けしていたようで」
調達に伴う無茶以上の苦労を知ろうともせず、軽い気持ちで追加をリクエストしてしまいました。朧煙使者に関しては石黒家も立派な当事者ですが、竜穂雲使者の方はそうではない。「月嫡再臨」プロジェクトのような愚行を二度と起こさせぬよう、過去の遺物と向き合う必要がある「ルナ・チルドレン」とは立場が違います。善意の協力者を酷使するわけにはいきません。
頭を下げた途端、慌て声で言い募られます。
「いえ、元は私から言い出したことですので! 本当に、数年に一本程度であれば問題ないんです。お祖母様、すなわち石黒黒乃の妻は、緋竜木供給の元締めを営む商家の生まれで、その現当主様の妹ですから」
ほーん。名家同士の婚姻を通じたネットワークってヤツですね。漫画でよく見るアレじゃないですか。みたいな頭の悪い感想を抱いた隙に、デルタが結論を先走りました。
「展開をすべて理解。ミカゲのおばあちゃんに案内してもらって、踏み込む。イオタがいるタツタアゲ? の地に」
竜田揚げは都の好物です。




