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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十三話 月光 伸ばす黒影

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 ガンマの荷物整理を待ってからアパートを降りると、スマホの天気予報が言っていた通り、雨の勢いが少しだけ弱まっていました。商店街西門すぐの揚げあんぱん屋でボリューミーな特大サイズを注文し、食べながら進みます。朧煙の商店街では、降雨時にどの建物も大きめの(ひさし)を突っ張らせるため(天候に応じてAIが自動調節してくれるのだそう)、傘を差さなくても大丈夫です。パンが雨水でふやける心配もありません。

 頭上では、どんよりとした雲から落ちてきた水滴の、キャンバスを弾む音が絶え間なく鳴り続けています。


「ん。雨の日の揚げあんぱんは格別」

「おいデルタ。晴れた日に食べるここの揚げあんぱんの美味しさを知らないくせに、テキトーなこと言うなよ……っ」

「ガンマ、なんで怒る?」「強火のファンなんですよ、多分」

「優勝したら道頓堀に飛び込む的な?」

「そういう系統の熱意じゃないけど、過ぎ去りし日の思い出の味なんだよ」


 思い出の味。そう言われて、ふとお母さんと一緒に作ったカッテージチーズの味を思い出します。牛乳の罪深い一面だけを集めたような重苦しい味。揚げあんぱんを頬張って口直しをします。

 消えません。逆流してくるモノと一緒に、どうにか飲み込みます。


「ベータ、お腹いっぱい? 食べてあげようか? 残り」

「お構いなく。むしろデルタの分もいけるくらい。石細工のお店が近づいて、古代使者との戦いを思い出してしまって、喉に引っかかっただけですから」


 嘘を吐きました。余計な心配をさせたくなかったので。

 大丈夫アピールで、大口を開けてパンに噛み付きます。汚れて、掠れて、曇ったフィルター越しの粗い甘味が、舌の上下をくどくどとねとつきます。早く味覚を元に戻したい。むしろ、古代使者との戦いを想起し、さらに、次はどう戦うかについて考えを巡らせた方が、毒を忘れられて良い感じです。奴の苦しむ表情をイメージすれば、揚げあんぱんが再び美味しくなりました。

 新しく舗装されたばかりの、しかし庇がなく雨に無防備な広場を素早く通り過ぎて、商店街の南側に入ります。最も見慣れたストリート。雨のせいで視界が悪いものの、真っ直ぐ百メートル先には簡素な南門が、さらに向こうには、ガンマとの待ち合わせに使った朧煙の駅があります。門をくぐったお客さんたちへの歓迎の挨拶として揃って圧を掛けるのは、石黒家が運営する石細工店舗群。白く輝く石英が漆黒の地を稲妻のように貫く大理石、それらが凄絶な技巧によって命を吹き込まれ、心に迫る作品になっております。

 十日と少し前に古代使者と戦った経験から、黒大理石が、奴の遠隔ユニットとして長年準備されてきた物質、すなわち、忌々しい月に纏わる物質であることが判明しました。しかし、単に石材として見れば最上級のブツであるという認識に変化はありません。悔しいですが、許されるならば彫刻してみたいほどです。題材は、これから競技本番に臨むアスリートの、緊張感漂う足。一瞬とも永遠とも区別がつかない時間だけそれを眺めてから、視線を少し上げると、引き締まった筋肉をあえて隠すゆったりとしたユニフォーム、地面と水平に構えられた利き腕に宿る長い槍。そして、透き通った眼差しで限界より一歩進んだ点を見つめる、いつもより精悍な顔立ちの湯ノ原……。

 食べ終えた揚げあんぱんの包み紙をぐしゃっと丸め込み、握ったままの拳で頭をガンガン叩きます。


「ベータ、ちょっと挙動不審。情緒不安定? あの日(・・・)とか?」

「月に連なる事柄は、私たちは誰よりもコントロールが利きます」

「そだね。なら違うか。たまたまそういう日なだけ。そういう日も、ある」

「そうですそうです」

「へえ、ベータにも意味なく不安定な時ってあるんだ。特大揚げあんぱんの特大カロリーをつい計算してしまって、慌ててるだけかと思ったよ」


 デルタと一緒に、丸めた包み紙をガンマに投げつけました。この男、さっきからちょくちょく毒を吐きやがります。カッテージチーズと比べたら、毒性は何倍もマシですが。ストレスが溜まっているとかではなく、逆に、リラックスして自然体になっている様子。思い出の街に戻ってこられて嬉しいのでしょう。

 南門に近づくと、石細工販売店舗の一つから人影が現れました。よほど髪質に自信がなければ選べない、ストレートの黒い長髪。石黒家のご令嬢にして部活の新しい後輩、御影さんです。我々の目的、すなわち黒大理石製石細工と古代使者の連関性がどの程度強いかを考察する調査の立会人を務めてくださります。貴重な放課後の時間を奪うのも申し訳ないと思ったのですが、ぜひ案内させて欲しいと熱望されたので、了承しました。本命の調査対象である、石黒家歴代当主たちの力作が収められるような朧煙の重要施設に入る際、石黒家直系のお目付役がいるかいないかには天と地ほどの差があります。一旦は遠慮の姿勢を見せましたが、実のところとてもありがたいです。

 目が合った瞬間、輝く笑顔で駆け寄ってくる清楚系和風美少女。あまりにも明るい表情に、彼女の周りだけ晴れているのかと錯覚しそうになります。元々の儚げでアンニュイな顔立ちは、無表情なら雨の方が映えるはずなのですけども、生来の特質を押し退ける元気さが今の彼女には溢れています。


「防人様! お待ちしておりました!」

「お出迎えありがとうございます」

「ミカゲ、私もいる」

「魂風さんもこんにちは。そちらの方がガンマさんですね。あの、呼び方はガンマさんで大丈夫でしょうか?」

「うん? ああ、僕にはデルタたちみたいに、日本の学校に通うための名前は用意されてないからなあ。シータには候補もあったみたいだけど。別にガンマで構わないし、本名は坂井昭吾だから、そっちでもいいよ」

「なら坂井さんとお呼びしますね」


 御影さんは食い気味に、明かされた彼の苗字を採用しました。ギリシャ文字での呼称に、そういうごっこ遊び(・・・・・・・・・)の香ばしさを覚えて羞恥していたのでしょう。完全に割り切っている私とは反応が違います。

 他の「ルナ・チルドレン」の、後天的に付けられたのではない名前を知ったのは、荒屋円(アルファ)以外で初めての経験でした。内心でこっそり驚きます。ガンマは本当の名前に抵抗がないみたい。錆びた汚い鎖でしょ、それ? 金品と引き換えに子供を捨てた親へと繋がる呪い。……とはいえ、ガンマはさっぱりした性格なので、名称などただの識別用ラベルと割り切ってらっしゃるのかもしれません。


「さあさあ。雨も降っておりますし、どうぞ中へお入りください防人様」

「お店、結構ギチギチですよね? 車椅子で入れますか?」

「まったく問題ありませんとも! 整理して道幅を広げておきました」


 えっ、と狼狽しそうになります。石細工店の品は、お土産用の小物を除いて、どれもそれなり以上に重いはず。しかも、装飾が凝っていて、ぶつけて破損したら大変です。配置換えはまさしく重労働。にもかかわらず、御影さんは恩着せがましくもなく、苦労をおくびにも出さず、当然するべき配慮を当然のようにこなしただけという調子だったので(さすがに彼女一人の所業ではないと思いますが)、「ありがとうございます」と礼を言うにとどめました。

 (いざな)われるまま店舗に入ります。以前に外から眺めた時より道幅が広くなった代わりに、商品間の距離は非常に狭く、そしてバラエティが増えています。わざわざ在庫まで引っ張り出してきてくれたよう。

 興味深そうに室内を歩いていたガンマが、ある石像の前で立ち止まります。


「ユキヒョウだ。リアリティがあるなあ。アルファの好きな動物なんだよ」

「これがユキヒョウなんですか? 随分ずんぐりしてるんですね」

「名前の通り寒い地域に生息しているらしいし、体毛が厚いんじゃない?」

「なるほど」


 話しながら、周りの石細工に微細な振動を送ります。やはり抵抗があり、私の思ったままには震えてくれません。石たちは、慣れ親しんだシグナルとは異なる構造の号令が与えられ、戸惑っている。私の形に無理に対応したら、物質を成す分子同士の結合に狂いが生じて、壊れてしまう。しかし、石黒家の職人(だいさんしゃ)の干渉による多少の忘却(・・)も認められます。古代「月の使者」の形をきっちり覚えたままだったら、この程度の干渉ではほとんど揺らぎもしないはずなので。

 仮説は正しかった、と結論づけようとしました。刹那、この場の誰のものでもない視線を知覚します。生じた振動を読み取って、真逆の震動を返すことでこっちからも覗いてやろうとしましたが、徒労に終わりました。仲介点となった石像から先は、まったく辿れなかったのです。

 情報を一方的に抜かれた。月の力に関する純粋な技能の差は、予想よりもずっと大きいようです。まさか、他人の手垢で劣化したユニットにすら、か細くはあれど、触感のある神経を残せているとは。畏怖します。


「すごい……。ベータを、こうも鮮やかに出し抜くなんて……」


 呟くガンマ。今の攻防に気づいたようです。奴を褒める内容、しかも、私の敗北を引き合いにして。だいぶムカつきます。ユキヒョウ像の破壊が許容されるなら、ガンマの脳天に向けてぶん投げていたところです。

 お土産小物コーナーにいたデルタに、「どした」と淡白な調子で尋ねられました。異変は察知したものの、何が起きたかは分かってない様子です。少しばかり距離があり、商品の鑑賞に夢中になっていて、しかも震動現象の受動感知があまり得意ではない子ですから、違和感に苛まれたというだけでも大したものです。


「不用意な調査活動は、こちらの情報をお供えしてしまうだけと判明しました。あまり深くまで見られたわけではありませんが、手の内はなるべく悟られないに越したことはありません。被探知を防ぐには、奴の震動パターンを模倣する必要があります。特徴を共有しますね」

「ふーん。りょ。私、この石、好き」


 話題を唐突に替えられました。デルタの悪癖です。付き合いますが。


「そう言えばあなた、前に商店街へ足を運んだ時も気に入ってましたね」

「うん。おじいちゃんの杖に似てるから。雰囲気」

「似てる? 朔一郎様の杖は鮮やかな朱色で、そもそも木製だったじゃないか」


 デルタの突飛な感想に、ガンマが疑問符を付けます。表面的な色味や材質の非類似性については同感です。しかし私は、デルタが行った指摘の方に目から鱗が落ちる思いを抱きました。

 彼女のセンスが正しいとして、一つの推理を導きます。


「クソジジイの杖の材料は、別の古代使者に連なるユニットだったのでは?」

「なるほど。でも、朔一郎様は杖を『月喪神(つくもがみ)』としてかなり自由に扱っていたよね。古代使者様の、えーと、ユニットなら、あの方自身が励起する震動の伝導性は低くなるんじゃないかな?」

「杖の元になったユニットの主がクソジジイの師匠──『月嫡再臨』プロジェクトを始動させた諸悪の根源で、クソジジイの『発受信体(ラジオ)』はそいつ由来で、しかも力の扱い方もそいつから学んだのだとしたら?」

「波形は絶対に似る。辻褄は合うね。ベータは賢いな」

「ま、所詮は憶測に過ぎませんよ」


 肩を竦めます。杖はもうありません。何せ、プロジェクトを破滅に追い込んだ月の紛い物(・・・・・)に対して、最初に差し向けられた武器はクソジジイの杖なのですから、壊れてしまったに決まっております。推測の真偽など、確かめようがありません。


「脱線しました。本筋に戻りましょう。差し当たっての課題は、私が戦った古代使者の震動パターンをコピーすること。ティッシュかハンカチかで練習を……」

「あの」


 店内に入ってからは黙っていた御影さんが、口を開きました。進行を一旦止めて欲しいらしいと解釈し、振り向いて続きを促します。


「つい先ほど仰られていた杖の材料、もしかして、『竜穂雲(たつほぐも)』の緋竜木ではないですか?」


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