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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十三話 月光 伸ばす黒影

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 今年のゴールデンウィークが初めて過去になった日である本日は、大きめの傘かレインコートが一日中大活躍する雨の予報でした。朝になって外に出た時には、すでに地面は濡れてトーンダウンしていました。私のような女子寮住まいは校舎に行くまで約二分、雨が降っても登校に苦労はありません。たとえ、足が不自由なせいで移動を車椅子に頼らざるを得なくても、です。しかし、女子寮民以外、とりわけバスに頼らない方々は大変でしょう。丘の上にある「朧煙」校に辿り着くには、それなりに高い坂を越えなければいけないので、特に湯ノ原のような自転車通学者にとっては試練となります。

 体育では、グラウンドでのサッカーの代わりに、体育館でマット運動と跳び箱が開催されました。当然参加出来ない私は、社会科教師ではなく介護者としての盈さんと組まされて軽めのストレッチをしました。事実上の見学です。湯ノ原が履く半ズボンの裾下、露わになったふくらはぎを鑑賞していたら、盈さんから強めに頭を叩かれました。舌打ちを堪えつつ、私は仕方なく、体育館倉庫に積まれたソフトマットを眺めておりました。


「デルタ。畳まれた分厚めマットの隙間って、手を挟みたくなりません?」

「分からなくもない」

「屈まれた雄々しい足の、膝の内側みたいで。でへへ」

「ベータ、何を言ってるの?」


 今日、木曜日の放課後に、文芸部はありません。しかし、私とデルタのスケジュールは、別の用事で押さえられていました。めんどくさくてやりたくない、でもやらなきゃいけない、すごく不本意な仕事です。三人目の共同作業人を迎えるべく、私たちはバスに乗って朧煙駅に来ました。

 現在、構内の改札口前で待機中。虚空に向かって(私の脳内では折り畳まれたマットがしっかりイメージされていました(実はマットではなかったのかもしれません))右手を素早く抜き差ししていると、デルタから胡乱げな視線を感じました。「頭大丈夫?」と心配されます。余計なお世話です。熱を測るためでしょう、私の額に掌が迫ってきました。

 ムカつくパフォーマンスでした。思わず、手首を掴んで捻り上げます。


「痛い痛い痛い! 腕でRNA、イヤっ」

「腕で一重らせん構造を描きたくないと? もう片方も使ってDNAにします?」

「ごめん二人とも、待たせちゃった。何してるの? 喧嘩?」


 理科の知識を直に学ぶための素敵なアイデアが実行される前に、我々の待ち人が現れました。ガンマです。先日行われた「ルナ・チルドレン」同士の会議で、往生際悪くも逃げ出した古代「月の使者」を引っ捕らえるのに、デルタとガンマが協力してくれることになりました。

 胸下までサイズがあるキャリーバッグに手を突いて、一息吐くガンマ。かなりお疲れの様子。早朝まで韓国に居たそうですから、さもありなんです。


「十分ぐらい休憩しますか?」

「いや、大丈夫。ゴールデンウィーク終わりの帰国ラッシュは避けたから、精魂尽き果ててるって程じゃないし。ただ、荷物は先に置かせて。重くって。新しい拠点は商店街の近くだから、そう手間は取らせない」

「雨も降ってますし、その方がいいでしょうね。しばらく朧煙に?」

「うん。交信網も安定してるし。少なくとも、古代使者様をお迎えするまでは」


 了解の合図に頷きます。交信網とは、「ルナ・チルドレン(きょうだいたち)」がロスなく遠隔で話し合うための、「発受信体(ラジオ)」を繋ぐネットワークのことでしょうか。ガンマがなぜ韓国に居たのか、得心がいきました。アルファの居場所がモンゴルならば、日本に住まうデルタたちとの通信仲介役は、大体その辺りに配置しておくのが効率的です。

 苦しげな呻き声が、すぐ側から聞こえてきました。


「ガンマ、悠長にしてないで、ベータの暴挙を止めて」


 ヘルプを求められた彼は、面白そうに微笑みます。


「デルタの肩って柔らかいんだ。もうちょっと捻れそうじゃない?」


 商店街側出口から駅を後にします。雨脚はますます強まっていました。脇に挟んでいた傘を開いて、肘置きに固定します。使者の力で水滴を飛ばしているので、直接持ってもびしょ濡れにならず、開き心地も爽やかです。本当のところ、リアルタイムで突撃する雨粒すらキャンセル出来る私に傘なんて要らないのですが、悪天の中を水と無縁に動き回っている様子はさすがに怪しまれますから、自重します。


「ガンマのアホ、カス、最低。女の子が酷い目に遭ってたら助けるべき」

「どうせデルタの自業自得なんでしょ? あ、ここだよ」


 立ち止まったガンマが指差した建物は、造られてからウン十年と経っていそうな冴えないアパートでした。五階建てです。彼が借りた部屋の番号は402、言うまでもなく四階にあります。外付けの階段を無視して扉のない出入り口から中に入ると、五行四列に並ぶ郵便受けの隣に、これまた年代物と思われるエレベーターが見つかりました。開閉ドアに刻まれた擦過の痕は、定年まで要職を勤め上げた老人の、眉間の皺を彷彿とさせます。

 スマホを見ながら、ガンマは郵便受けのダイヤルを辿々しく回し、鍵が収められた茶封筒を取り出します。

 寮の玄関から失敬されたと推測される、汚れたビニール傘の(きっさき)が、彼の背中を遠慮なく突っつきました。私はそんな幼稚なことはしないので、デルタの仕業です。


「くすくす。ボロっちいアパート。せいぜいゴキブリと仲良くなってどーぞ」

「朧煙学校の寮は、ふと思い立った時、外に繰り出して買い食い出来るの?」

「っ!?」

「ほら見てよ、外、あそこの揚げあんぱん屋さん。想像してごらんよ、ちょうど小腹が空いた頃合いに食べる、出来立てほやほやの美味しい揚げあんぱんを」

「ガンマ、キサマ……っ」


 即座に言い返された、住処がボロいというデメリットを補って余りあるメリットに、デルタは恨みがましい声を上げました。私も羨ましいです。嫉妬します。

 考えなしのマウントが、デルタだけでなく私の地雷を踏むことに気づいたのでしょう。ガンマは、こちらの威嚇から逃げるように、やってきたエレベーターへと乗り込みました。

 不満を抱いた二人も同じ箱に乗るので、逃げられないのですが。


「あそこの揚げあんぱん屋さん、すごく美味しいですよね。分かります」

「う、うん」

「確か、クソジジイの実験に参加する前はおばあちゃんと二人で朧煙に澄んでらっしゃったんですよね? 揚げあんぱんは思い出の味というわけですか。だから、多少の古さには構わずにここを選んだと。ああ、ガンマにそこまでさせる揚げあんぱん、たくさん食べたいですねぇ。たくさん食べたくないですか、デルタ?」

「食べたい、食べたい」

「特大を、奢らせていただきます……」


 言質を取った瞬間、エレベーターのドアが開きました。ワンフロアに部屋四つ、数秒で402の数字を見つけて中に入ります。廊下には積もった埃や黒ずみが所々に、他者との関わりを絶って休み時間も自席からほとんど動かない生徒と同じくらいの出現率で存在したのですが、部屋はわりかし綺麗でした。少なくとも、ゴキブリのコロニーはなさそうです。


「さて、荷物も置いたし。商店街の南門に行こうよ」

「スマホの天気予報によると、あと十五分ほどで雨が弱まるみたいですよ」

「そうなの? じゃあ、先に道具を展開させてもらおうかな」


 床に寝かされたキャリーバッグから、Wi-Fiルーター、Macのノートパソコン、電源タップ、二種の充電器が取り出されます。インターネット完備のアパートでは、LANポートに繋げるだけでルーターは仕事を果たします。私のスマホも恩恵に与りました。ギガ数節約のためです。


「パソコン、床に直置きですか? 腰が辛くありません?」

「机含めて、家具は後で調達するよ。商店街に中古の家具店があるだろ? あそこは何でも揃うから良いよね。敷布団も買う予定」

「枕と掛布団は持ってきてるんですか。体が健康ならゴロ寝でも心配ないですね。私は難しいので、車椅子をリクライニングシート化しますが」

「さすがベータ。『月喪神(つくもがみ)』を使いこなしてる」


 言いながら、ガンマはスマホ用とパソコン用の充電器を電源タップに挿し込みました。合計で5A(アンペア)弱、タコ足配線も問題なさそうです。


「立ってるの疲れた。椅子ないの?」


 デルタがワガママを言い出しました。ガンマは素気無く返します。


「見れば分かるだろ。後で買うけどまだないよ。床に座っといて」

「私、スカート。ガンマの変態」

「うん? デルタのスカートなんて、誰が気にするんだい?」


 首を傾げたガンマの頭に、ビニール傘の鋒がクリーンヒットします。デルタの傍若無人な態度も明らかに悪かったのですが、ガンマの淡白さの方が僅かに罪深く感じられたので、「面あり」と判定しておきました。


ガンマは「ルナ・チルドレン」を確固たる兄弟姉妹にカテゴライズしており、血縁関係はないにもかかわらず、女性組(アルファ、ベータ、シータ、イオタ)のことを異性と認識してません。ここまで極端なのはガンマだけです。

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