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軽めの昏睡から覚めた翌日の夜、デルタが再び部屋を訪ねてきました。開口一番「協力を受け入れる」と言われます。言葉足らずですが、すなわち、古代の「月の使者」を捕らえてぶち殺そうという私の提案が賛同されたということです。
昨夜のうちに「ルナ・チルドレン」同士で意見をまとめたのでしょう。授業中だった可能性もありますが。デルタ、三時間目と四時間目はずっとボケッとしてましたし。まあとにかく、話が早くて助かります。満足の頷きを返しました。安心して眠れそうです。
「では、おやすみなさい」
「まだ寝ないで。夜は長く、乙女の春は短い。ところでミチルは?」
「明日祝日でしょう? 東京に用事があるとのことで、泊まりでお出かけです」
「なるほんどんぱどどんぱどんぱどんどどん」
「激しい納得音? 祭りの始まりを告げる太鼓みたいで個人的には好きです」
「渾身の出来。ん」
ズイと、デルタが掌を差し出してきました。もしかして、金でも要求されているのでしょうか。「なるほど」をグダグダもじった程度の小芸でお捻りをもらおうと? 図々しすぎでは? おやすみも妨害されましたし……、可愛いお手ての真ん中に唾吐きかけたろか。グッナイの挨拶です。
「握って。昨日作ったばかりのバーチャル共通チャンネルに案内する」
「え? まあいいですけれど。バーチャルということは、お互いの顔も見られるんですか? すごいですねぇ、よく整えたものです」
「そう。ドヤ」
「どうせガンマの手柄でしょう? なぜあなたが偉そうに?」
握手を交わします。自らの「発受信体」にザブンと潜りました。換気扇の音、冷蔵庫の音、微かに伝わってくる他の寮生たちの生活音──微かなノイズがすべて遮断され、静寂に包まれます。しかし、デルタの手の温もりはクリアに有ります。引かれるまま、逆らわずについていきます。
他者に頼っての移動に抵抗はありません。足が不自由な、車椅子の身ですからね。
「む、バーチャル回線ってどっちだったっけ? 多分こっち」
正誤がフィフティフィフティそうな、危うい運試しの直後でした。
デルタは正しい選択肢を選び取れたようです。自他の曖昧な境界が定義し直され、私は、はっきりとした実体を取り戻しておりました。視覚、嗅覚、聴覚、呼吸の感覚、暑くも寒くもなく好ましい温度の感覚、指で空気を掻く感覚が、あたかも正常に作動しているよう認識されるのです。
そして、
直に足で立つ感覚も。
予期せぬ効用に、打ち震えます。
「……っ。これ、久しぶり。やっぱり良いものです、本当に……」
「ベータ、背ぇ高いね。ん? 泣いてる?」
堪え切れないモノがありました。心の堰を突破した熱い涙が、両方の目からポロポロと溢れます。足の裏から伝わってくる、車椅子を変形させたロボット越しではない、生のソレ。自力で、ごく自然的に立つことが出来ている。一歩踏み出しました。歩ける。私が私だけで動ける。
頭では理解しています。これは偽物です。12000年前から蘇った「月の使者」のつきがむらと比べたら安っぽさすら覚える、非物質的な世界の絵空事です。でも、技術で劣るからといって価値が下がるわけではない。むしろこちらの方が、私にとっては素晴らしい。
「デルタ、ありがとうございます。ここに連れてきてくれて」
「どういたしまして。ドヤ」
「ちょっとデルタさんや。用意したのは僕だからね。君がベータをすぐに招待すると言うから、急ぎ徹夜で作業したんだ。ドヤ顔する権利は僕にある」
「そんな所だと思ってました、ガンマ。感謝致します。最高のプレゼントです」
現れたガンマをストレートに褒めました。すると、「え、あ、うん」と、ギクシャクした返しが為されます。露骨に照れてますね。いざ褒められたらドヤ顔出来ずにバグるタイプだったようです。
自らの肉体で歩ける感動も少しずつ収まってきて、周囲を観察する精神的な余裕が生まれます。見覚えのある部屋でした。今はもう失われた、プロジェクト「月嫡再臨」のための施設の一室。実験が行われたのち、「ルナ・チルドレン」が手応えや感想を共有し合う場所。塵一つなくとても綺麗で、けれども、あるべき人間味まで取り除かれたような、そこはかとない薄気味悪さが漂っていたと記憶しています。
正直なところ、私はここが苦手でした。上手く言語化出来ませんが、謎のプレッシャーがあって居心地が悪かったのです。私のカタチを外側から規定しようとする強制力と言いますか、「こうあれ」とする一方的な願望と言いますか。しかし、そうした灰汁はさっぱり抜き去られておりました。ガンマの優れた空間把握能力の賜物なのでしょう、広さや高さ、家具の配置など、かなり正確に再現されているにもかかわらず。ごく普通の部屋です。なんだったのでしょうね、あの異物感は。単なる被害妄想だったのかしら。
「ところで、もうちょっとダークな雰囲気なかったですか? ここ」
一応ガンマに尋ねてみました。キョトンとされます。
「そうかな? もしかして、電灯の光を明るくしすぎてるのかも。主観の復元でしかないから、想像で補ってる部分もあってさ。面目ない」
責めたつもりは欠片もないのですが、謝られてしまいました。逆に申し訳なくなります。「面目なくないですよ、本当にすごいですから!」と慌ててフォローしました。いつだったか、思い出の再体験とは、過去の複製にそのまま浸かるにあらず、一場面のカットが持つエッジの輝きに灼かれることだと寮母ババアは仰っておりました。ガンマが描いたこの部屋は、細部まで深くこだわりがあって、鮮烈です。私もお絵描きは好きなので、分かります。
しかし、うーん。現実的な灯りの加減ではなく、心理的なダークさについての言及だったのですが、ニュアンスは伝わらなかったようです。私の受け取る視覚的情報が、ガンマの主観を正しく反映しているのだとしたら、彼はあの禍々しさを知覚していなかったということになります。アテにならないのは私の主観の方なのでしょう。閉鎖施設で異能に関する実験の対象になるという、まさしく異常な環境の下、幼かった自意識が暴走してしまった。恥ずかしくはあるものの、不思議な話ではありません。「くだらない質問をしましたね。忘れてください」と頼みます。
「くだらなくはないよ。感性は十人十色だし、同じ人でも時間で異なってくる。僕という個人のレンズに、どうしても付随する歪みを知れて、とても興味深い」
「私たち、目線高くなった。シンプルに見える景色が変わった」
「あー。普段車椅子なので、立って眺めるだけで視点が新しくなるんですよね、私。そりゃあ受ける印象もガラッと変わるというものです。あと、今気づきましたが、円形に並んでる椅子のサイズ、大きくなってますよね。これも心証の違いに寄与してます」
「初めは当時のままにしてたんだけど、さっき座ってみたら、足とかバッタの後ろ足みたいに曲げなくちゃいけなくてさ。さすがに調整したよ」
「この前会った時も言及しましたが、ガンマはかなり身長伸びましたよね」
「月の化身の共同召喚が失敗したのは、僕がちょうど九歳に成り立ての頃だったっけ。だったら、四、五十センチはデカくなってる」
「身長爆伸びエピソードはベータの方がインパクトある。実験の最初の方、ベータはチビだった。四歳下のイオタより少し背が高かったくらい。なのに、グングン大きくなって、一年目で抜かされた。背でも負けたのショックだった」
「誘拐されたばかりの頃は、栄養不足が酷かったんですよね……」
しみじみと呟きます。連れ去られる前までは、エネルギーを節約するためなるべく動かず、捕食者なしと油断して現れた黒い虫やらを獲って食らうことで命を繋いでました。ハシビロコウ的な待ち伏せ型のハンターだったのです。自慢ではありませんが、タイミング悪くお母さんが帰宅し虫が逃げた場合を除いて、成功率はほぼ100%でした。ドン引きされそうなので話題には出しません。
思い出トークに花を咲かせる真っ只中、部屋の隅に人影が現れました。盈さん、ではなく、彼女の妹のアルファです。現代日本人の普段着とは一風変わった、浴衣らしくも材質が動物由来っぽい、ゆったりとした衣装をお召しになられております。偉い羊飼いの愛人を思わせます。
デルタに小声で囁かれます。
「ミチルはアルファと似てる。双子って程じゃないけど」
「ですねえ。アルファが成長して一層」
「バカそうなのがアルファ、アホそうなのがミチル」
「ンフッ! んふふ、確かに……っ、いや待って、やめなさいよもう」
アルファから目を背けます。噴出しかねないためです。抗議の意志を込めて、デルタの脇腹をザクザク突っつきます。デルタは「痛い痛い」と文句を垂れますが、当然の報いです。長らくご無沙汰だった姉貴分との再会の前に、とんでもない呪いを掛けやがって。罪が深いですよ。
「ふーん。ここにしたんだ。懐かしいわね」
椅子の一つに座りながら、アルファは言いました。
「でもさ、もうちょっとギラギラしてなかった? ここ」




