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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十一話 月の背中 覗き見て

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 夢はまるで、不可視の壁に衝突した自動車のように突然止まりました。

 意識が現実に急浮上します。開かれた視界に入ってきたのは、「またどこかで」といういつもの文字列でした。盈さんが上、私が下と割り振られた二段ベッドの、上段の裏に記された落書き。昔、女子寮のこの部屋を使っていた卒業生が残していったものでしょう。

 それはともかく、最悪の目覚めでした。腹の底から吐き気が込み上がってきます。車椅子に飛び乗って洗面台に直行しました。ついでに顔を洗います。念入りに歯も磨きます。その他諸々を済ませてから、勉強机に向かいました。その上のデジタル時計によると、今は月曜の午後三時前だそう。たっぷり二日以上寝て、学校をサボってしまった。妙な脱力感に見舞われます。

 はて。私、どんな夢を見てたのかしら。心がグチャグチャに掻き乱された実感はあるのですが、肝心の原因についてはひどくあやふやになっています。松柄さんが出演してくださったのは覚えているのですが……、恥辱の黒歴史読み上げ百連チャンみてえな嫌がらせでもされたのでしょうか。しかし、私の達者な口であれば、百されてる間に千をも超えるリベンジが可能だったはず。二人のパワーバランス的には、私が勝利の美酒に酔い、負けた松柄さんの方こそ土下座しながら悔しみ嘔吐をしてジ・エンドとなるべきなのですけれども、不思議です。

 教科書を取り出し、本日の授業で扱われそうな部分をザッと流し見します。ま、多分イケるでしょうと、趣味のお絵描きを始めました。世界史? 知りませんねえ。ランチ後の五限に高カロリーな文字情報捩じ込まれても負荷でお眠りするだけ、そもそも出席しようがしまいが影響ナッシングなので。


「あ、起きたんですね。良かった」


 扉の方から、安堵したような声が聞こえます。教師の仕事を定時で終えて戻ってきた盈さんです。絵を描いてたら二時間なんて光陰矢の如しです。支給タブレットの電源を落とします。このタブレット、学業以外に使ってはいけないという校則が一応あるらしいのですが、みんな無視して濫用してます。

 奥の椅子にドンと乗っかったのは、出会った頃より丸くなった尻。成熟か、あるいはお菓子の食べ過ぎか、後者が原因だとすると、五十の峠を越した頃合いで報いを受けそう。ちょっと心配になります。太ってるわけではないのですが。

 座ったまま、先生モードをオフにする盈さん。礼儀正しい服から脱皮し、しかし着替えもせず、下着姿のままぼんやりしています。


「間抜け度合いがいつもの倍ですね。お腹冷やしますよ」

「都さんがちゃんと起きて、緊張の糸が切れたというか」

「なるほど、心労をお掛けしたようですね。お詫びにギュッと抱きしめられましょうか? さあどうぞ! 愛らしき都ちゃまのハグサービスです!」

「いえ結構。世界史の予習復習をきちんとしていただければ、十分です」


 要求がデカいんですけどぉ。子供が下手に出れば付け上がるとか、大人として最低の態度ではないでしょうか。眉と唇を曲げます。不平不満のシグナル。

 すると、何を思い立ったのか、盈さんは自分のタブレットを操作し、エクセルの折れ線グラフを提示してきました。盈さんが担当する歴史系のテストで私が取った点数の、中一から中三までの推移です。二から三割周りで這いつくばっております。『高校から赤点本格実装!』『野々島さんと仲良く留年の危機……?』『ざわ……ざわ……』などといった煽りテキスト付き。まごうことなきハラスメントです。というか、仮にも教師でしょうに、生徒たる野々島さんの留年を確定事項のように扱うとは如何(いかが)なもの……、まあ、うん。

 とにかく、石黒家の採石場で心臓を射抜かれた時と同じくらいに戦慄しましたが、盈さんは肩を竦めて、タブレットを仕舞いました。ここで追及する気はない模様。先送りにホッとします。

 寮母ババアが夕食を振る舞い始めるまで、まだ時間がありました。12000年前から復活した「月の使者」との遭遇について語ることにします。二日前には、「発受信体(ラジオ)」の力を久々にフル活用した反動なのでしょう、強制睡眠に誘われた結果、断片的な概要しか伝えられなかったので。


「件の化け物が12000年前の『月の使者』で、月の紛い物(・・・・・)、つまり私が召喚出来る子機を求めてきたのですが、拒否ったら戦いになりました。どうにか勝ちをもぎ取るも、逃げられました。ここまでは眠る前に言った気がします」

「はい。で、黒乃さんからは、都さんが突然背後から胸辺りを撃ち抜かれたのち、彼の作った小さな石像が人型に変化したと聞いてます」

「お分かりと思いますが、その人型が古代『月の使者』。奴は、黒乃さんが用意した月の紛い物(・・・・・)のミニチュアを復活の核として利用したのです。仮宿扱いでしたがね。私のような、今を生きる『月の使者』が出した月の紛い物(・・・・・)こそ、仮ではない真の宿ということでしょう」

「あなたの子機を核にしたら、より強固な意味での復活が出来る?」

「ええ、多分。気持ち悪いったらありゃしませんよ。奴の要求通りに子機を開け渡せば、もう離れられませんからね。不相応な力を持って自意識の肥大化した輩に四六時中付き纏われて、あれが欲しいこれが欲しいだの只人を蹂躙せよだのピーチクパーチク言われるようになるに決まってます。最悪の場合、こちらの意思を乗っ取られかねませんし」

「うわ、めっちゃ嫌ですね」

「でしょ? 見返りにつきがむら(・・・・・)なる魔術を教えてもらえるとのことで、それ自体は魅力的ではありましたが……、ああ、こいつは絶対に説明しておかないと。凄まじい技でした」


 無数の震動粒子が複雑かつ精緻に組み合わさって出来た、幻想的かつ冒涜的な空間を想起します。主人の命令を忠実に熟す完璧なコンピュータでありながら、世界観そのものは水墨画のようなシンプルさ。まさしく鳥肌モノでした。月の力に秘められた可能性の極致と断言してしまって良いでしょう。

 つまりです。12000年前、文字も数学もなかった時代に、「月の使者」たちはあの魔術に到達したということです。ひどく恐ろしく、今更になって寒気がします。


「奴は、際限なく広がる固有の世界を、地下の閉鎖空間に現出させたのです」

「はあ? ホンマモンの化け物じゃないですか。よくそんな相手に勝てましたね」

「二回負けましたよ。最後に勝ちをもぎ取れたのは、あの『月の使者』が私を舐めてるうちに身体能力でゴリ押せたからです。最初から油断なしだったらヤバかったです。ああ、奴はファンタジー系RPGゲームで言うところの『後衛魔術師』タイプだったのですが、前を守るユニットがいたら舐めプのまま完封されてましたね。奴に前衛後衛という概念が無くて良かったです」


 例えば、アルファなら能力で自分の分身を出せました。奴に出来ない道理はありません。もしも、自律行動が可能な分身に前衛を任せられたら?

 逃亡した「月の使者」は、放っておく時間が長いほど、現代知識にチューニングされた、より効率的な戦い方を身につけてしまう公算が大きくなります。そうでなくとも普通の人々には危険な存在なのです。一刻も早く身柄を捕捉し、抹殺しなければ。問題は捜索手段です。「発受信体(ラジオ)」はビーコンたり得ますが、逆に、そこにいることで発生する振動現象を有耶無耶にして、気配を隠匿するにも優れています。盈さんと話し合ってみましたが、妙手は浮かびませんでした。原始的ですが、目視に頼るほかなさそうです。

 時間になったので食堂に向かうと、多くの寮生から体は大丈夫かと労わりのお言葉をいただきました。休みの名目は体調不良だったようです。ただの風邪、たっぷり寝たからもう元気と川柳風に返すと、野々島さんに疑われます。


「サッキーが倒れるってヤバくね? エグいウイルスに罹ってたりして」

「あはは、面白い冗談ですね……、どうして皆さん距離を取られるのです?」


 腹が立ちました。ついでに空いてもいました。エグいウイルスとやらのキャリアではないことを証明するため、ご飯を元気に五杯もおかわりしてやると、今度はズル休み疑惑が囁かれるようになります。この恨み晴らさでおくべきかと、野々島さんからイワシの竜田揚げを三つ奪いました。鮮やかに。

 盈さんも止めませんでした。


「だって仕方ないじゃないですか。丸二日食べてないんですから」

「正直言って?」「まだ足りません」

「それを見越して、冷蔵庫に食糧を詰め込んでます」


 七年間連れ添って車椅子生活をサポートしてくれた保護者様、さすがの先読み力です。共同風呂から部屋に素早く帰還し、感謝しながらサラダチキン、千切りキャベツ、コンビニおにぎり、フルーツポンチやチョコレートブラウニーを貪ります。飢えが満ち、節約モードだった体の循環がグングンと加速していく。その最中のことでした。

 頭に直接メッセージが響きます。「ルナ・チルドレン」同士の遠隔交信。デルタからです。


「ベータ。部屋に行っていい?」


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