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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十話 月は震えて 初めて

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 寮の二段ベッド下段で、掛け布団を被った防人都が、ぐっすりと深い眠りに就いている。下半身が不自由な彼女の寝相は普段から悪くないが、此度はいつにも増して良く、昨日の昼に横たえた時からほとんど姿勢が変わっていない。

 荒屋盈は、寝入る少女を愛おしげに見つめる。七年前の記憶にそっと手を掛ける。今の都は、実の母親に売られて消息を絶った三年後、突如として発見された彼女と同じ状態にある。

 日没から二時間と少しが過ぎた。外は暗い。明日から平日だが、都が朝までに起きたとしても学校は休ませよう。決心する盈のスマホに、電話がかかってきた。石黒家当主の黒乃からだった。ワンコールで取る。


「防人様の具合は如何(いかが)か?」

「まだ眠っています。健康を害している様子はありません。多分ですが、久々に月の力を振るった反動で疲労しているのかと」


 昨日の話──彼と孫娘の御影が、酷く憔悴した様子で地下の採石場から逃げ出してきた、その十五分後のことだった。薄い綿雲しかない晴れた青空の下、落雷の鋭く尖った音が一回だけ響いた。近い。本能的な恐怖と猛烈な違和感が盈の背筋を走った。石黒家の若い使用人、夏端は腰を抜かして尻餅を突き、ドライバーの熊淵も冷や汗を流して固まった。足元で何が起きているのかを説明出来る者は、その場に誰もいなかった。

 都は無事なのか。心がその一点に集中した瞬間、盈の体は硬直から解き放たれ、採石場の出入り口を守る小屋に突入した。「月の使者」として中途半端な彼女では、台地の化け物が帯びる呪いに耐え切れるかは分からない。しかし、躊躇なく穴の梯子を降りた。

 二つの大きな懐中電灯から、それぞれ強い光が線となって放たれている。それら二条が交わる場所に、うつ伏せに倒れる少女の姿があった。慌てて駆け寄る盈だったが、目の前をじっと睨みつけて微動だにしない都の姿に怯え、たたらを踏みそうになる。自身を叱咤して体勢を立て直し、愛しい存在の名前を呼んだ。


「都さん!」


 鬱屈とした気配が霧散する。二人の視線が合った。肉食獣の鋭さを収めた都は、盈が担当する歴史系のテストでふざけた点数を取った時と似たような、バツの悪い表情をした。この子はどうも、何か失態を犯したらしい。少なくとも自分ではそう思い込んでいる。盈は、横になった車椅子を立て、都を座らせた。

 都はとても眠そうだった。休んで欲しいと保護者は願った。にもかかわらず、年の離れた妹か、あるいは年の近い娘のような少女は、気力を振り絞らんとする様子で状況を報告した。


「朧煙の化け物は、12000年前の『月の使者』でした」

「なっ……!?」


 盈は驚愕した。昔、曽祖父の朔一郎から、彼らが現在まで細々と意志を繋いできたという話は聞いた。蘇りが可能とは聞いてないが。意味が分からない。しかし、この場で詳細を求めたら、口達者な都であっても大きな負担になる。黙って続きを促した。


「奴は私に月の紛い物(・・・・・)を求めました。当然、中指突き立て拒否してやりましたとも。で、交戦しました。良い所まで追い詰めたのですが、脇が甘くて、逃がしてしまいました」

「でもあなたは、頑張ったんでしょう?」

「……、はい…………」


 少女はトロンと瞼を閉じた。黒乃と御影の力を借りて、眠る都と車椅子を採石場から運び出す。作業の間、黒真珠のように美しい御影の瞳が、ずっとギラギラと輝いていた。都の体に触れる彼女の丁寧な手つきは、まるで、神に敬虔すぎるが故に、欲に負けて御神体を撫でる信者のそれであった。盈は訝しむ。この子、どうしてしまったんだろう。

 人の手が入っていない道なき道を、眠る車椅子の少女と一緒に歩いて移動するのは大変だった。夏端はほとんど役に立たなかったが、引越し業者のスタッフ経験がある熊淵のおかげで、朧煙校の女子寮にまで安全に搬送出来た。

 一日半経ったが、都はまだ起きない。

 スマホの向こう側で黒乃が謝罪する。


「我々の事情に巻き込んでしまったせいです。本当に申し訳ない」

「個人的に言いたいことがないと言えば嘘になりますけど、都さんとあなた方の間に合意があり、その上でこの結果ですから、責めたりはしません」

「寛大な心、ありがたいことです」

「都さんが目を覚ましたら連絡します。彼女は自分で話したがるでしょうし」

「了解しました。よろしくお願いします」

「ただ、先に私見を述べさせていただくと、あなた方の懸念、つまり、台地頂上の地下に潜ると人が死ぬ呪いは解決したと思います。化け物は逃げたそうなので。実際、私が採石場に駆け込んだ時、何ともありませんでしたから。しかし、新しい問題も生まれました」

「逃げ出した化け物が野放しになっていることですかな?」

「それもあるのですが、もう一つ。あなた方も顔を合わせた、12000年前の『月の使者』は、十年前の連続児童失踪事件──私の曽祖父率いる荒屋一門が起こした狂気の、そもそもの発端なのです。近々、事件を担当する、筋肉質ですごく男前のエリート敏腕刑事が石黒家を訪れると思います」

「き、筋肉質ですごく男前のエリート敏腕刑事が? ええっと、肝に銘じます」


 コミュニケーションが苦手な老人の困惑が、電波越しにヒシヒシと伝わってくる。盈は恥ずかしさで蹲った。シリアスな空気でやらかした。鵜飼という男がかっこ良すぎるのが悪いのだと盈は自分に言い聞かせ、無理矢理開き直る。


「あの、その、あなた方を逮捕するために来るのでは決してありませんから、安心してくださいね! では!」


 盈は素早く電話を切り、回転椅子に腰を落として机に突っ伏した。しばらくそうしていたものの、ふと立ち上がって部屋を出る。校舎にも設置して欲しいエレベーターに乗り、屋上を除けば寮の最上階である五階まで昇った。このフロアには魂風美澄、すなわち、「ルナ・チルドレン」の一人であるデルタの部屋がある。(ベータ)が目を覚まさない原因が、盈の見立て通り月の力の酷使による疲労なのか、魂風(デルタ)にも確認して欲しい。もっと深刻な理由があったとしたら、そしてそれが、急いで対処しなければ取り返しがつかなくなるものだったとしたら。悪い想像が働いて、居ても立ってもいられなかった。


「あれ?」


 魂風が住まう部屋の前まで行って、盈は足を止める。扉の隣で、丸椅子に座った寮生が、紫色の可愛いカバーに包まれたスマホをいじっている。確か、魂風と相部屋の子だったはず。盈は尋ねる。


「何してるんです?」

「……わっ、あばせん(・・・・)じゃん。え? 見回りです?」


 あばせん(・・・・)とは、荒屋(あばらや)先生の略である。朧煙校の校風は自由な方で、先生と生徒の上下関係を重視しない傾向にある(逆に言えば、上下関係を重視せずとも学習環境が崩壊しないぐらい、朧煙校の治安が良い)。盈もあだ名で呼ばれる程度のことを咎めるつもりはない。


「見回りを任せられるほど、寮母さんから信用は得られてません。偶に、都さんと一緒に馬鹿騒ぎしちゃって怒られるし……、それはいいんですよ。スマホで遊ぶだけなら、背もたれ付きの回転椅子の方が楽じゃないです? 中の」

「うーん、でも今日は、遅くまで部屋の外で過ごさないといけない気がして」

「? ……まさか!?」


 盈の脳裏に、ありし日の悍ましい記憶が蘇る。曽祖父たちの命令に唯々諾々と従う、ぼんやりとした表情を晒す大人たちの姿。

 魂風と同室の生徒をまじまじと観察する。彼らほど自我を排されているようには見えないが、どこか操り人形めいている。自己を律するための精神が、不安定に揺らいでいる。


「失礼、部屋に入らせていただきます」

「えー、いいのかなあ。誰か通しちゃダメな感じがする」

「魂風さんっ!!」


 扉をこじ開け、叱責教師モードで苗字を叫んだ。呼ばれた少女は、ビクリと肩を上げた直後、慌ててタブレットを操作し、画面に映っていた何かを消した。大方、人にバレたらまずいコンテンツを視聴していたのだろう。違法にアップロードされた海賊版動画か、あるいは。

 盈は、顔がカッと熱くなるのを感じる。腹の底から怒りが湧いてきた。魂風に詰め寄り、声高に責める。


「あなた……、えっちな動画を見てましたね!? 相部屋の子追い出して、えっちな動画を見てたんですね!? ずるいずるい! 私だって好きな時に都さんを追い出して好きな時にえっち気分に浸りたいわ! でも、あからさまに性的なのは、都さんすっごくキツそうな顔するんですよ! だからこっちは我慢してんの! なのにあいつときたら、男のむっさい足を鑑賞して、自分だけデュフデュフ性的満足を貪って! いいなあ特殊性癖の変態は、安上がりでさあ! 早くあの子の洗脳を解きなさい」

「はわわ。残念かつ不審な大人。ん? ミチル先生だ」


 両耳に嵌っていたワイヤレスイヤホンを外す魂風。痒いのか、小指で右の耳穴をほじくる。薄めの唇が開き、剣呑かつ怜悧な声音が発せられた。


「どうしてそいつが洗脳されてると分かった?」


 盈は間髪入れずに答える。


「『荒屋』盈だからですけど」

「……あ。なるほど」

「てっきり気づいてるかと思ってました。結構似てるでしょ。顔。(まどか)ちゃん──アルファちゃんと私」

「アルファの方がバカそう」「ふふん。私の方が賢そうでしょう?」

「でも多分ミチルの方がアホ」「んだとゴルァ」

「ミチル。人集まってきてる。ドア閉めて」


 言われて振り返る。部屋と廊下の境に突っ立つ、魂風のルームメイトの後ろで、複数人の女子生徒たちが野次馬になっていた。「ヤッホーあばせん」「生徒と喧嘩?」と声を掛けられる。皆が皆、面白そうに部屋の中を覗いている。

 盈は冷や汗をかいた。このまま放っておくと、寮母(鬼ババア)の出現条件を満たしてしまう。大人として子供を叱るのは割と気持ちいいが、自分が赤ん坊の頃から大人だった人物に子供として叱られるのは御免だった。


「……ごほん。私は単に、用事があって魂風さんを呼びに来たのです。私たちの部屋を訪ねて欲しくて」

「ベータの部屋? 分かった。行く」


 茶番を演じている場合ではない。「散った散った」と生徒たちを追い払う。寮母に報告したら世界史の成績を赤点にするとも脅しておいた。顔を青くした生徒たちから鬼畜やクズだのと罵られても、盈の心にはまったく響かなかった。

 魂風を連れて自室に戻る。電気は点けっぱなしだ。盈の回転椅子に座った魂風は、円な瞳をパチクリさせながら問う。


「ベータ、もう寝てる? 早い」

「昨日の昼から昏睡状態です。あなたはどう診断します?」

「ん。月の力の使いすぎ。体は治っても脳の疲労は取れない。だから眠る」


 良かった、と盈は安堵する。自分と同じ意見だ。


「ベータが疲れるぐらい『発受信体(ラジオ)』を酷使。異常。どういうこと?」

「戦ったそうです。12000年の時を経て復活した『月の使者』と」


 ドサッと鈍い音がする。魂風が椅子から落ちた。信じられないという面持ちで瞠目しながら、眠る都を凝視している。極めて強い反応を示したと表現しても、決して誇張ではない。ここに来て、盈は、魂風が抱く目的の一端を悟る。


「勝ったの? や、やっつけちゃったり?」

「追い詰めはしたそうですが、取り逃したと仰ってました」

「ふーん、そう……」


 魂風は椅子に座り直し、大きな息を吐く。細かく震える空気には、一言ではとても言い表せないほど様々な感情が入り混じっているように思えた。盈は確信する。魂風美澄(デルタ)の狙いは、朧煙の台地に眠る、古代の「月の使者」にあった。

 もしかすると、別々の地域にあるバラバラの学校に進んだほか五人の「ルナ・チルドレン」たちにも、同じ目的があるのかもしれない。つまり、肉体を失ってなお幾星霜と潜み続ける「月の使者」(化け物)を、何らかの形で利用しようとしている。


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