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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十話 月は震えて 初めて

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「矢窪先生、全員集まりました。アルファは所用で欠席です。ご容赦ください」

「聞いてるよ。彼女とは、文字では挨拶させてもらった。ひどく大変な計算に直面しているらしいね。他人事とは思えないよ。ぜひ頑張ってほしい」


 アプリのミーティングルームにイプシロンが入室してすぐ、ガンマは、アルファ以外のメンバーが一堂に会したことを宣言した。その途端、子供たちの表情にわずかな緊張が走るのを、彼は見逃さなかった。ガンマからイオタまでがいる場でアルファの存在が示唆されれば、ギリシャ文字を知る人は皆、あれ? ベータは? と疑問符を浮かべるに違いない。しかし、その質問は地雷だ。愛しいベータの死をきっかけに暴走した過去のあるイータも、ベータの生存を知ったイータが奇行に走ることを恐れる他の子供たちも、矢窪の出方をハラハラしながら見守る。


「イータ君以外は初めまして、『ルナ・チルドレン』の皆さん。月波大学工学部教授の矢窪光斗だ。大学院の工学系研究科の院生も見てるし、本当はそっちがメイン。専門は宇宙工学だけど、月理学(セレノグラフィー)も齧ってる」


 矢窪はベータに触れず、フレンドリーな口調で自己紹介を始める。抜かりのないガンマから(あらかじ)め、イータがいる場でのベータのアンタッチャブルさを伝えられていたからだ。

 学者はあくまで、自分の立場についての説明を続ける。


「僕は、人が月で暮らすにはどうしたらいいのかということについて、小さい頃からずっと考え続けている。この問題こそ、僕の初心で、原点で、夢で、ロマンだ。環境汚染に侵された地球からの移住候補とか、合理性のある動機があったわけじゃない。ただただ、空に揺蕩う月の上に住んでみたかったんだ。

 でも、人が月で暮らすには、乗り越えなくてはいけない、でも、登るには果てしない労苦のかかる壁が、幾重にも立ちはだかる。地表の温度変化が極端に激しく、昼は100度以上、夜はマイナス150度以下になる。激しい温度変化によって膨張と収縮を繰り返す岩盤はひどく脆く、しかし砂の粒は鋭利で危険だ。大気が薄いせいで宇宙に飛び交う放射線、あるいは隕石に晒されやすい。地球からの補給なしで生命を維持するための、水、酸素、食糧を完備する閉鎖環境系を構築しなければならない。仮に住めたとしても、重力が地球の1/6しかなくて、人の骨密度や筋力に悪影響を与える。日照の規則はとても歪で、太陽光発電だけでは必要な電気エネルギーはまず賄えない。

 ネガティブなことばかり言ったけれど、少なくとも一部の問題については、解決の糸口がまったくないわけじゃない。月の極域にはそれなりの氷があると考えられていて、溶かせば水として使える。レゴリスと呼ばれる月の表土には大量の酸化物が含まれているから、千度の高温で熱して電気分解すれば酸素と金属資源が得られる。僕にとって一番興味深いのは、マグマの大河は冷えて固まった殻を残して内部だけ流れていくが故にトンネルを作るのだけれど、それが月では巨大な地下空間を形成していて、劇的な温度変化や放射線から人体を守るのに、極めて有用そうだということだ。

 月への移住の足がかりとなる月面基地の建設場所は、今言ったマグマのトンネル、すなわちラーヴァチューブのどこかになる公算が大きい。とはいえ、月の地下模様については、まだまだ分かってないことが多くてね。僕は、月に張り巡らされたラーヴァチューブの入り口や形についてのマップを作りたい。基地を設けるに最適なポイントを探るべく。だから、月で機能する観測機器や月の地理について、えっちらおっちら学習と研究をしている。もちろん、月の地震であるところの月震もね……、その理由は、震動のスペシャリストである君たちには直観で理解してもらえると思う」


 ガンマたち「ルナ・チルドレン」に向けて、矢窪は悪戯っぽく微笑みかけた。矢窪の念頭にあった地震波トモグラフィーは、波が物質によって伝わり方を変えることを利用して、地震波の解析から地質構造を読み解く技術である。ガンマはその名前こそ知らなかったが、右胸の「発受信体(ラジオ)」で生み出した震動を辿っての物体の形状把握は頻繁に行なっている。震動の干渉範囲を大規模に広げれば、地下調査も可能だろう。矢窪の目的に対する月震計測の有用性を容易に想像し、ガンマは頷く。不器用なゼータを除く六人はピンと来たようだった。

 顎に指を添えながら、ガンマは矢窪のスピーチを吟味する。最年長で十五歳の子供相手にもかかわらず、自らの研究動機について、その背景から丁寧に教えてくれた。「マップを作りたい」と彼が言った時、瞳の奥に垣間見せた熱意は本物だった。「ルナ・チルドレン」同士でテレパスを行う。矢窪を受け入れられないとする意見は、ゼロ。


「ありがとうございます。勉強になります。あなたのことも信頼出来そうです」

「ガンマ君、こちらこそ、静かに聞いてくれてありがとう。少しでも君たちの助けになれば、僕はとても嬉しいよ」

「ねえ、先生! 私はもっと、普通の話も聞きたいな。好きな食べ物とか!」


 シータが溌剌とした調子で、矢窪の身近な情報について強請(ねだ)る。一個人として興味を持たれるとは、見定められるという厳しい段階を彼が突破し、仲間だと認められた証と言える。

 特別な力を持つ子供たちと彼らに近づく大人の間で、割れたガラスのように刺々しい軋轢が生まれる光景は、フィクションではよく描かれるものの、自分たちはそれを回避出来たらしい。ガンマは密かに安堵する。


「好きな食べ物? やっぱり寿司かな。大好きなネタはマグロ。唐揚げもナイス」

「あははっ! ラインナップがお子さま〜」

「シータよ。矢窪氏の年齢を考えると、鋼鉄の胃袋を尊敬すべきかもしれん」

「ゼータ、それ言えてる。つーか、おっさんの詳細を根掘り葉掘り聞く前に、俺たちも自己紹介しといた方が良くね? 簡単にさ」

「確かにそうだね、イプシロン。じゃあ僕、ガンマから」


 頷いてから、ガンマは何を話すべきか考える。矢窪は夢を叶えるための研究動機を語ったが、大まかに趣味と捉えてしまって問題なさそうだ。シータが質問した好きな食べ物は、当たり障りがない割には人格の情報を豊富に含む。趣味と好きな食べ物に加えて、矢窪が最後に述べた「ルナ・チルドレン」の震動能力について、それを応用した得意技でも伝えておけば、こちらの胸襟の開き度合いに関する良いシグナルになるだろう。


「矢窪先生、改めて、僕はガンマです。趣味は旅行、好きな食べ物はゼリー飲料です。月の力については、軽い振動を広範囲で扱うことには自信があります。こんな風に」


 ガンマはそう言ってから、web会議用アプリでは顔を合わせているものの、現実世界では千キロメートル以上離れた矢窪に向けてメッセージを送った。『その気になれば月にも話しかけられます。尤も、話しかけたことを証明する手段はありませんが』と。矢窪は驚き、「素晴らしいっ」と興奮気味に叫んだ。意思の波を長距離飛ばす、あるいは、他の「ルナ・チルドレン」が発した雑で微弱な意思の波を拾うことにかけて、ガンマ以上に長じる者はいない。この強みを活かして、彼は、モンゴルに住むアルファと日本の七人との間で遠隔交信を仲介する役目に就いている──あのベータにすら難しい任務だ。

 ただし、いくらガンマであっても、矢窪のような普通の人間からのメッセージの受け取りは自由に出来ない。

 自己紹介のバトンがデルタに渡り、順繰りに口を開く。


「ん。私はデルタ。学校では魂風美澄と名乗ってる。趣味はパズルゲームのタイムアタック。好きな食べ物は……、おはぎ? 能力の特技は、物体の弾性弄り。ブヨブヨでもカチカチでもなんでもござれ」


「俺はイプシロン。学校では雪芭蕉曜。夜遊びが趣味。食い物はショカコーラが好きだね。得意なのは脳波への干渉。記憶や感情、常識を改変したりしちゃうぜ」


「俺はゼータだ。またの名を京極巧。趣味はラノベ漁りで、特に、男主人公が可愛いヒロインたちからモテモテになるものが好きだ。食べ物は、無難にカレーが好きだな。『月の使者』の力は、振動の増幅による破壊に特化している」


「……僕もやる感じ? まあいいか。僕はイータ。表の名前は鉤束幻弥。趣味は数学……、ベータほど出来るわけじゃないけれど。好きな食べ物は餃子かな。能力の使い道で一番しっくり来るのは温度操作」


「私はシータ。仮の名は日下部明音! おしゃれな名前づけが命! 日本組のみんなの名前を考えたのは私なのよ。他にも動画撮るのとかよくやる! 食べ物は、ソフトクリームとかアイス系が好きだから、先生よろしくね〜。力はね、テレキネシスって言うの? 触んないで物動かすヤツ。モンゴルタワー、アルファ姉がいるとこなんだけど、建てるのにすごい貢献したんだよ!」


「最年少のイオタだよ。シータ姉命名のニックネームは二乃前藍。趣味は音楽を聞いたり、カラオケで歌ったり。能力で自信あるのは、刃物に振動を纏わせて切れ味を良くすることかな。飛ぶ斬撃もイケる」


「なるほど。うん。元気で良いね。よろしくね」


 にこやかに迎合する矢窪だったが、その笑窪からは、漫画やアニメのキャラクターみたく濃い面子に対する当惑がわずかに滲んでいた。皆一様にマイペースかつ生意気で、かなり物騒な十八番(おはこ)を持っている。イプシロンの紹介に至っては全部やばい。

 常識人のガンマはほんの少しの同情を矢窪に抱いた。しかし、あんたも大概だろという思いと、データ分析から弟妹(ベビー)シッターまでに亘る中間管理職的業務の重い負担をシェアさせられるという喜びとで、新参の大人に配慮してやろうという優しさは特段生まれなかった。


「月の極域にはそれなりの氷があると考えられていて」

←これには懐疑論も多く、矢窪もそれらを認識していますが、氷があるということにした方が希望を持てるためそう言ってます。ポジショントーク染みてます。


 イプシロンが好きと言ったショカコーラは、カフェインを大量に含むチョコレートです。

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