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ルナ・ベータ  作者: オッコー勝森
第十話 月は震えて 初めて

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区分をローファンからSFに変えました。トランスフォーマーがSFカテゴリに入っていたからです。


「ルナ・チルドレン」の一人、ガンマは、とあるホテルの一室で、ノートパソコンの画面をぼんやりと眺めていた。それに写る表やグラフは、各種SNSや動画サイトへの月のオカルトに関する投稿、およびそれらに対する反応の度合いを数値にして可視化したものだ。これらはすべて、デジタルデータの分析ソフトを通じて作成されている。APIへのアクセス制限とやらで三時間に一回しか分析結果が更新されないのは玉に瑕だが、そうであっても実に便利なサービスだとガンマは感嘆しきりだった。三本の指でタッチパッドを撫でれば、発信された内容についてのテキストベースでの要約も見ることが出来る。至れり尽くせりだ。

 彼に監視任務を命じたのはアルファだった。月のオカルトブームは、彼女が住まう巨塔によって引き起こされた人為的な現象である。プロジェクト「月嫡再臨」の目標が一つの試金石にして前準備。その目標とは、「脳波統合」──月の力を持たない人類の根源的無意識を連結し、月の力を持つ上位存在の意思に従うようプログラムを施す。人々は皆、只人たる(・・・・)自他の身の丈にあった効用創造を尊び、それを達成するための如何なる犠牲も容認するようになる。「月の使者」へと優先的に資源を回すことは、あくまで、只人の間における公平社会の実現に向けた行動サイクルの一環に過ぎない。

 自由の収奪は奴隷化とは異なる。ガンマはそう解釈している。戦争や飢餓はなくなり、少子化も解決するだろう。が、例えば、彼が今お世話になっているような、天才たちによる苛烈な競争ありきのAI技術は、保守すらされずに失われてしまうかもしれない。しかし、人類文明の長期的繁栄という側面で見れば、「脳波統合」はプラスになるはずの措置だ。そうでなければ、彼の心は耐えられない。

 ノートパソコンの横に置いていたスマホに、一件の通知が届いた。「ルナ・チルドレン」同士で普段使いするメッセージアプリとは異なる、見慣れないアイコンが表示される(注:「ルナ・チルドレン」の遠隔交信は、言わば機器要らずのグループ通話であり、文字や画像を通じたやり取りを代替するコミュニケーション手段ではない。多くの現代人と同じく、彼らはむしろ好んでメッセージアプリを用いる)。今朝になってアカウントだけ作った拡散型SNSアプリにDM(ダイレクトメッセージ)が届いたようだ。

 スマホから充電ケーブルを引っこ抜き、指紋認証でロックを解除する。件のアプリを開いた。DMの送り主は、案の定、湯ノ原零時だった。ガンマは、アカウントの作成と同時に彼をフォローし、『昭吾だよ』『よろしく』とのメッセージをクローズドスペースに入力していた。来たばかりの未読の返信が連なる。『おせーぞ』『一覧渡したの一週間も前だぞ』『感動的再会を果たした夜に登録しろい』とダメ出しされていた。昭吾(ガンマ)はつい笑ってしまう。


『ごめんて』『改めて何を話したらいいのか分かんなくて』


『相変わらずシャイな奴だな』『まあいいぜ。謝られたら許すしかない』『森の優しいゴリラとしては』


『君の森は平和で良さそうだ』『電波が届いてないならなおいい』


『羨ましいなら昭吾も森に来い』『シャイで俺の後ろに隠れがちだった頃より、昭吾はずっとパワフルになってた』『今なら森でもやっていけるだろう』


『人間をやめたつもりはないんだけど』


 湯ノ原の直感に驚きながら、ガンマはズルズルと椅子から滑り落ちていく。心はともかく体の方は、何も持っていなかった幼少期と比べてすこぶる強くなった。

 世界を震わせる、不相応な力を手にした。

 人間をやめたつもりはない? 彼は恥じる。九歳で別れてそれきりだった奴を、昔と変わらない態度で友人扱いしてくれた男に、嘘を吐いてしまった。

 ただ森に引き篭もれたら、どんなに素晴らしいか。


『人間をやめてない? それは本当か?』


「……え?」


 びっくりして椅子を飛ばしてしまい、頭から床にぶつけた。ふかふかのカーペットが敷かれていなければ、痛い思いをしただろう。手放したスマホを拾い、慌てて椅子に座り直す。


『ひょっとして』『超能力とか、ゲットしてたりしないんだな?』


 じわりと滲んだ手汗がスマホのカバーを汚す。どう答えるべきなのか。画面のスレスレを親指が彷徨う。無難は誤魔化し。最善は沈黙。


『変なことを聞いた』『戸惑ったよな。ごめん』『忘れてくれ』


 迷っているうちに湯ノ原が連投した。図らずも沈黙の方を選んでしまった。不誠実な自分に耐え切れず、ガンマは咄嗟に文字を打ち込む。


『誰から聞いたんだい?』『デルタ?』『それともベータ?』


『やっぱり昭吾もそうなのか?』


『ああ』『僕はガンマだ』


 言ってしまった。嘘を吐かずに済んだ。最高の気分だった。

 この暴露に戦略的価値は一切ない。ただの自己満足だ。アルファに知られたら叱られてしまうだろうとガンマは予測する。実際のところ、最高とは程遠い状態であることを彼は認知していた。マイナスからゼロに近づいただけ。しかし、重くて苦しい海の底から、湯ノ原零時なる強烈な光が届く浅い場所まで急速浮上して、潜水病のような何かを拗らせた彼は、大いなる解放感を錯覚した。まるで、眠れなくて陰鬱な夜に、万能な太陽が、脈絡なく地に落ちてきたみたいだ。ガンマの頬に熱い涙が伝う。森の賢者が見せた鋭い勘に、彼はまさしく救われた。


『秘密にするよ』『防人さんと約束したからな』


『助かるよ』『ありがとう』


 チャットのやり取りは、湯ノ原からの笑顔スタンプで途切れた。

 夕方になり、ホテルの外で食事を済ませる。辛さ以外の確立した味覚を久々に感じた気がした。ノートパソコンで遠隔ミーティング用のアプリを開く。ガンマが用意したミーティングルームには、すでに二人入室していた。イータと本日のゲストとの間の淡々とした議論が耳に入ってくる。具体的には、月の化身(・・・・)にどの程度の機能を外装させれば月の裏側で満足に活動出来るようになるかについて、彼らは互いに認識を擦り合わせていた。

 イータは内部事情について、かなり踏み込んだところまで開示している。生来の人見知りにもかかわらず、その大人を随分と信用しているようだった。スカウトの際に絆されてしまったのだろう。

 ガンマはミュートを解除する。


「イータ、割り込んでごめんね。そろそろ時間なんだ。矢窪先生、僕たちの計画へ協力を表明していただき、感謝いたします」

「こちらこそ、未知へのご招待にありがとうと言いたいよ、ガンマ君。直接会えなくて残念だ。web会議かぁ、コロナを思い出すね」


 カメラに映った冴えない中年男性の姿を、ガンマはそれとなく観察する。ボサボサの頭、丸眼鏡、優しそうに垂れた(まなじり)。頼りない、舐められそうな見た目だとガンマは思う。だからと言って油断するつもりはない。賢い大人は、暴力の面でか弱くても、経験と知性で以って子供を十分操縦し得る。

 そして、さらに悪いことに、それらだけでは説明の付かない魅力を、矢窪という男は備えている。朔一郎やベータ、あるいは、月の化身(・・・・)を共同召喚する実験が失敗した後の覚醒したアルファと同じく、「自分の世界」に相手を取り込める側の存在だ。対照的に、ガンマは自分のことを、取り込まれる側の存在だと見做している。もし矢窪が全霊の輝きを示したら、靡かない自信はなかった。つい先ほど、湯ノ原に不要なカミングアウトを行ったばかりなのだ。


「警戒してる? ごめんね、胡散臭い奴で」

「い、いえ。そういうわけでは」

「仕方ない。ガンマは大人の加入に反対してたんだ。僕も最初は嫌だった」


 見透かされた内心を隠そうとするも、イータの素直な発言によって梯子を外される。歓迎すべき相手に失礼な態度を取ったと認めるほかない。ガンマは「すみません」と謝る。


「いいさ。普通の反応だろう。僕だって中学生高校生の頃は、子供(じぶんたち)の輪に先生(おとな)が乱入してくるのはノーサンキューだったから」

「暢気だなあ矢窪センセイは。ガンマは、そういうなんとなくの嫌悪じゃなくて、僕たちが持つ月の力が、大人の野心に使われることを危惧してたんだ」

「なるほど。想定して当然の問題だ。悪い大人はいっぱいいるからね」

「あんたも別に、良い大人じゃないけれど。変な大人だ。でもガンマ、心配は杞憂に終わるぜ。矢窪センセイに野心はこれっぽっちもない。月の全部を覗きたいっていう破廉恥な興味で頭がいっぱいのおっさんなんだよ」

「うーん。褒められてるのか貶されてるのか」


 ミーティング開始の一分前になり、ゼータが入室してきた。五分遅れて現れたイプシロンを最後に、「ルナ・チルドレン」のガンマ以下七人が揃う。彼らがわざわざデジタルの井戸端に集ったのは、「発受信体(ラジオ)」経由の交信が不可能な新メンバーとコミュニケーションを取るためだった。

 特別な子供たちの好奇に満ちた視線が、うだつの上がらないおじさんが写る、小さな枠に注がれる。


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