第95章 旅立つ神
第95章 旅立つ神
誤解のとけた茅春を、お裾分けの空になったタッパーを手に追い返した頃には、すっかり夜になっていた。
テーブルの上のお皿が綺麗に片付いたところで、俺たちはようやく、本来の目的であるテーブルを挟んで向かい合った。
「……よし、やっと作戦会議だな」
俺の言葉に、エヒメは真面目な顔で頷き、アナハもいつになく引き締まった表情で姿勢を正した。
俺はまず、ずっと気になっていた疑問を口にする。
「そもそも、その宗像三女神様って……九州で昔エヒメをスカウトしたっていう神様たちだろ?」
「そうじゃ。あの時はただの縁じゃったが……いま彼女たちは、国の守護という極めて重い大義を担っておられる。そう簡単に会えるお方たちではないぞ」
「……それに主様。おそらく、長女の『田心姫神』様には、私たちは逆立ちしてもお会いすることはできませんわ」
アナハが困ったように眉を下げて、スマホの画面をこちらに向けてきた。
「そうじゃな。姉様の祀られている場所は絶海の孤島……厳格な禁忌によって、今では一般の人間はおろか、許可なき神域の立ち入りさえ拒む場所じゃ。上陸することすらできぬわ」
「上陸すらできない……。じゃあ、次女や三女の神様には会えるのか?」
「うーん、次女の湍津姫神様か、それとも三女の市杵島姫様か……」
アナハが指先を顎に当てて悩んでいると、エヒメが腕を組み、キリッとした声で決断を下した。
「市杵島姫様にするのじゃ」
「市杵島姫様か……。ちなみに、その神様はどこにいらっしゃるんだ?」
「広島じゃな。瀬戸の海を望む、安芸の宮島じゃ」
「やっぱりそうか、遠いな……」
完全に一泊二日以上の遠征コースだ。新幹線の切符やスケジュールの計算を頭の中で始めた。
「それで、今回の案内役は……やっぱりアナハが来るのか?」
「……っ! 主様、そんなにアナハの身も心も欲するだなんて……。広島の地でアナハをどうされてしまうおつもりですの……っ?」
「違う、純粋に人文学の知識が必要かと思っただけだ。変な妄想を広げるな」
やれやれと頭を振る俺の前で、エヒメがふっと鼻を鳴らし、ふんぞり返って胸を張った。
「いや、今回の旅は……我がいくのじゃ」
「……えっ!?」
俺は思わず、立ち上がりそうなほど驚いて声を裏返してしまった。
「エ、エヒメが……行くのか?」
「なんじゃおぬし、なんでそんなに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしておる?」
「だって、お前が自らその重い腰を上げてこの部屋から出るなんて……あの服飾学校の講師のアルバイトとか、お金が絡む用事以外で外に出るなんて天変地異の前触れだろ」
「おぬし!! 我を一体どんながめつい引きこもり目で見ておるのじゃ!!」
抗議の声を上げるエヒメ様。
呆れる俺だったが、彼女が、俺の魂の危機を救うために自ら踏み出そうとしてくれているのだということには、気づかない振りをすることにした。
「それでじゃ、アナハよ。広島へ発つ前に、おぬしに用意して欲しい物があるのじゃ」
「はい、姉様」
「移動用の服じゃ、頼むぞ」
その要望に、俺は思わず首を傾げて口を挟んだ。
「服? ほら、佐藤さんに借りてる講師用のリクルートスーツがあっただろ。あれじゃ駄目なのか? 」
「おぬしは何も分かっておらんな、紡。あれではのう……」
エヒメは腕を組み、うーむと真面目な顔で少し考え込んだ後、ふんぞり返って言い放った。
「あれでは、広島の街で『食べ歩き』ができんではないか! 」
「頼むぞ、アナハ」
真剣に頭を下げるエヒメ。
相変わらずの食いしん坊な理由に、俺は呆れるしかなかった。
しかし、隣で話を聞いていたアナハの表情を見ると、エヒメの不器用な言い訳をすべて察したように、嬉しそうに微笑んだ。
「お任せくださいませ。クレハ姉様にも連絡をとって、素敵なお衣装を御用意いたしますわ」
俺は二人の会話にどんな裏があるか、知る由もなかった。




