第9章 過激なフォーマル
第9章 過激なフォーマル
あれから数日。
俺の頭からは、エヒメが静かに語った「神の理」の話がずっと離れなかった。
エヒメもあの夜からは、少し哀愁を帯びて見えた……。
「おい、紡。これじゃ! これを我に供えるのじゃ」
俺のスマホを見ていたエヒメが、画面を突きつけた。
「なんだよ……『よいとまけ』? ロールケーキはこの前コンビニスイーツで食べただろう」
「違うのじゃ、蝦夷の地の『はすかっぷ』とかいう魅惑の果実を使った特別な『かすていら』じゃ」
「俺に北海道まで買いに行けというのか?」
「ふふっ、……お前、何も知らぬな。この機械で、遠く離れた地のものを座したまま買えるということを」
「知ってるよ! 勝手に買うなよ」
「遅いのじゃ、もうポチったのじゃ」
——前よりひどくなっている。
タイミングよく、玄関のチャイムが鳴った。
「ほれ、もう届いたわ」
「そんなわけないだろ、どんな超高速流通だよ!」
玄関のドアを開けると、そこには……。
長い黒髪を低い位置で束ね、黒いフォーマルなジャケット、タイトスカート姿。
大きく開いたシャツの胸元からは、圧倒的な色気と、それに相反する、人を寄せつけないオーラが放たれていた。
「……間に合ってます」
危険を察知し、即座にドアを閉めた。
しかし、すぐにチャイムが連打された。
ガガガガ、と激しくドアノブが回り、ドアが開いた。冷徹極まりない美しい瞳が、こちらを射抜いた。
「わたしは新聞の勧誘でも、不審な宗教でもありません。……姉様、そこにいるのでしょう。お迎えに上がりました」
「ひっ、オ、オト……!? なぜここが分かったのじゃ!」
エヒメはシュガードーナツをくわえながら、部屋中をおろおろと不審者のように駆け回った。
「なに? ……姉様!?」
驚く俺を無視して、玄関の美女はそのまま部屋に上がり込んできた。
歩くたびに、タイトスカートの大胆なスリットから、まばゆいほどに白い太ももがのぞいた。
硬質なヒールの音を響かせながら、ワンルームへ踏み込んできた。
「おい、お前! ちょっと待て、靴を脱げよ! 姉妹揃って俺の部屋を汚すな!」
俺が慌てて叫んだその時、タイミング悪く回覧板を持ってきた管理人の婆さんが、開きっぱなしのドアからその様子をのぞき込んだ。
「おや、修羅場かい? 今日は日曜日だから静かにやっておくれ」
管理人はそれだけ言うと、こともなげに通り過ぎていった。
「……姉様」
女の額に青筋が浮かんだ。
「クレハもアナハも、この国の精緻な機械の中で美しくその役割を終えました」
「長女である貴女が、未だに還ってこられぬゆえ、どれほど崇高な因果を一人で背負うておられるのかと思えば……」
女はエヒメを鋭く指差した。
「何ですか、その破廉恥極まりないお姿は。そして何ですか、その口元の白い粉は」
「その前に、シュガードーナツの粉をまくな!」
俺の叫びを無視して、エヒメは口からドーナツを落としそうになりながら弁明した。
「ち、違うのじゃオト! これは、ここの『主』がお供えしたシュガードーナツという神饌で、次は蝦夷の『よいとまけ』が届く予定で——」
「言い訳は見苦しいです、姉様! 完全にこの時代の俗世に魂を売っているではないですか!」
「嫌じゃ! 我はまだ『桔梗信玄餅』も『リーフパイ』も食うておらん! 離せ、離すのじゃオト!」
「なんでお前が狙うやつは、部屋を汚すお菓子ばっかりなんだよ」
エヒメの襟首をつかんで引っ張るオトだったが、やがてその冷徹な目をすっと細めた。
「決めました。姉様、貴女のその乱れきった衣服と性根を正すまで、わたしはこの地にとどまります」
「は? いや、とどまるって、どこに」
嫌な予感しかしない俺に、オトは大きく開いた胸元を隠そうともせず、堂々と胸を張り、冷徹で美しい微笑みを向けた。
「決まっているでしょう、人間の主。この部屋です」
「なんで居候が増えてんだよ!」
数日前まで、静かに消えゆく神様の哀愁に心を痛めていたはずだった。
一瞬にして、『ルーズな長女』と『過激なフォーマルの次女』という、正反対の衣服の神様姉妹に占領された。




