第10章 美の神はシワを許さない
第10章 美の神はシワを許さない
次の日、会社にいる間も、昨日の壮絶な姉妹喧嘩の続きで、俺の部屋が物理的に破壊されていないか心配で仕方がなかった。
不安と焦りに駆られながら、大急ぎで帰宅した。
ドアを開けて俺が目にした光景は……。
「ただいま……」
モニターに向かい、野良パーティで周回するエヒメ。
ここまでは想定内。
問題はベッドの上。
そこには、俺の愛読する漫画を読みふけっているオトヒメの姿があった。
しかも、昨日の過激なフォーマル姿とは打って変わり、俺の白ワイシャツをダボッと一枚だけ羽織り、大胆に寝転がっていた。
——オト、お前だけは常識的な神様だと、一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。
「主様、おかえりなさいませ」
言葉遣いこそ丁寧だが、彼女は漫画から一ミリも視線を外そうとしなかった。
言葉と態度のギャップがひどすぎた。
「なんでお前までそんな格好なんだよ、それじゃエヒメと変わらないだろう」
「主様、お言葉ですが、わたしは美の神。服に一筋のシワさえ許せません」
「俺のシャツはいいのかよ」
「主様は美の神ではございませんので、何ら問題ありません」
——こいつ、エヒメより扱いにくいかも……。
「オトよ、お前は昔から見た目ばかりにこだわるから浅いのじゃ。我のように内面を磨け」
「エヒメ、……俺のTシャツにハスカップジャムが付いてるぞ」
「そうですよ。そんなだらしない姿、他の妹たちに見せられませんわ!」
——どの口が言う。やっぱり姉妹だ。
「オトよ、お前の服装はその時代の上流階級の平均点じゃ」
「な、なんですって! 神御衣さえ出せない姉様が何を言うんです」
「場をわきまえた服装があるということじゃ!」
オトヒメがトトトと小走りで俺の背中に回った。
「主様、姉様が怒って大声を出すので怖いです」
ベッドの上で読んでいた漫画を器用に小脇に抱え、わざとらしく俺の背中で震えていた。
その時、玄関のドアが勢いよく開いた。
「川崎さん、兄媛様! どうしたんで……す……か」
佐藤さんが、俺の背中に隠れる超絶美女の姿を捉えた瞬間、その瞳は限界まで見開かれた。
「ち、違うんだ、佐藤さん。そういうのじゃないんだ」
「か、川崎さん……。あなた、今度はそんな……そんな完璧な格式を備えた美女まで監禁してたんですか!?」
「監禁してねえよ! 勝手に入ってきたんだよ!」
「そんなはずないわ! その大きく開いた胸元と、男性のワイシャツ一枚という計算され尽くしたアンニュイな着こなし……!」
「現代のファストファッションに対する、圧倒的な『アンチテーゼとしての美』が、そこにあります!」
扉の隙間から、管理人の婆さんの顔がのぞいた。
「今日は一段と修羅場だね。月曜日だから静かにしておくれ」
管理人はそれだけ言うと、こともなげに通り過ぎていった。
「織恵、落ち着くのじゃ。その女はただの、形ばかりこだわって中身がスカスカの次女の『弟媛』じゃ」
佐藤さんはその言葉に、さらに激しくガタガタと震え出した。
「お、弟媛様……!? 朝廷の衣服の格式を整え、日本のオートクチュールの礎を築いた、あの伝説の次女様……!」
「着こなしの兄媛様に続き、まさか『秩序』の神様までこのワンルームに集結しているなんて、ここは伊勢神宮の外宮か何かなんですか!?」
「佐藤さん、一回落ち着いて。こいつも漫画を脇に挟んだまま俺の背中でわざとらしく震えてるだけだから」
「それと、佐藤さんが何を言ってるのか分からないのは俺だけ?」
三人がうなずいた。俺の部屋で俺だけが置いてけぼりだった。
オトヒメが俺から離れ、佐藤さんのもとへ歩み寄った。
彼女は佐藤さんの袖口を細い指でそっとつまみ、縫い目を一瞥した。
「あなた、織恵と言いましたね。生地そのものは安価なものだけど……色彩の配置と、この手縫いのセンスは決して悪くないわ」
「……あ、ありがとうございます! 弟媛様」
佐藤さんは、新たな信仰を手に入れ、瞳を潤ませていた。
「ところで……あなた。主様とはどういった関係なのかしら? ……ふーん」
オトヒメは俺を見て、ニヤリと笑った。その鋭い視線に、背筋へ氷を当てられたようだった。




