第11章 秩序の神の綻び
第11章 秩序の神の綻び
キッチンに立つ佐藤さん。
エプロン姿で、鼻歌を歌いながら楽しそうに料理をしていた。
俺も、その隣で洗い物をこなしていた。
夢にまで見た理想の風景がそこにはあった。
——ただし、キッチンだけは、の話だが。
視線を部屋の奥へと向ければ、そこはすでに地獄だった。
モニターの前で、相変わらず神がかった指さばきでダンジョンボスを再起不能にしているエヒメ。
ベッドの上で、俺のワイシャツ一枚のまま漫画を読み漁る、もう一柱の神、オトヒメ。
そして、俺がモノクロのトーンで統一していたこだわりの空間には、今や万国旗のように、色とりどりの女性用下着が堂々と干されていた。
「佐藤さん、あのオトヒメってどういう神様なんだ?」
皿を裏返しながら、小声で隣の佐藤さんに尋ねた。
「えっ、川崎さん知らないの? 国家公認アパレル職人というか……弟媛様は朝廷のすぐ近くで仕えて、衣服の格式やルールを作った神様なのよ」
「エヒメは違うのか?」
「兄媛様はもっと広く、民に衣服の技術や思想を伝えていったの。だから、やり方が正反対なのよね」
「他にもそんな姉妹がいるのか?」
「血縁ではないって説が強いけど、呉織様と穴織様を合わせて四姉妹って言われているわ」
あと二人も増えたら、俺の部屋の壁が物理的に爆発する。
「そういえば、あいつは二人とも役割を終えたと言っていたな……」
「……それにしても、川崎さん、うらやましいわ。どうしてわたしの部屋じゃなかったんだろう」
佐藤さんはフライパンの上のハンバーグをひっくり返しながら、少し寂しそうにつぶやいた。
彼女の横顔を見て、思った。
服飾を学ぶ佐藤さんにとっては、あの二人は、人生をかけて追い求める本物の『神様』なんだろう、と。
「主様、姉様がまたジュースをこぼしましたわ」
「オトよ、お前こそベッドの上が菓子の包みだらけではないか」
佐藤さん、目を覚ましてくれ。
俺にとっては神様ではなく、あれはただの『部屋を汚す天災』なんだ。
食事が終わった後も、佐藤さんの熱量は一ミリも衰えなかった。
「ふむ、悪くありません。ですが、貴女が狙うその『格式』には、少し直線が足りませんね」
「肩のラインは、まとう者の精神を律する刃でなくては」
ベッドの上に寝そべったまま、俺のシャツの裾からすらりと白い生足を惜しげもなく伸ばしているオトヒメ。
そんな不埒な格好の神様を前に、佐藤さんはデッサン帳を差し出し、一言も聞き漏らすまいと猛烈な勢いでメモを取っていた。
「なるほど、刃……! 服で、着る人の背筋を伸ばすんですね……っ!」
「そのとおりよ。衣服とは、無秩序な肉体に『秩序』を与える檻です。ただ着心地が良いだけの布など、衣とは呼びません」
「……ほう」
のぞき込んだエヒメが、静かに鼻で笑った。
「相変わらず、型にはめるばかりの退屈な説法じゃな、オト。衣服とは肉体の解放じゃ。直線で縛るなど、三流の仕立て屋のすることよ」
「姉様、またそのように感覚だけでものを言う。だから貴女の『神御衣』はいつまでたっても締まりがないのです!」
再びバチバチと火花を散らし始める姉妹神。
ぶつぶつとつぶやきながら、狂ったように鉛筆を走らせる佐藤さん。
この部屋で俺の居場所はなく、風呂に入ることにした。
その様子を、オトヒメは獲物を追うような鋭い視線で見ていた。
——あいつはエヒメと違って何を考えているのか分からない。
浴槽に浸かっていると、何度か玄関のドアの音がした。
——佐藤さん、帰っちゃったか。そんな時間なんだ。
シャンプーのポンプを押した。
先週継ぎ足したはずなのに、手応えなく空を切った。
——あの二人の仕業だな……。
「エヒメ、シャンプーの詰め替えを取ってくれ」
トトトと足音が聞こえ、脱衣室の扉が開いた。
「扉の前に置いておいてくれ……」
……ガラリと浴室の扉が開いた。
「おい、置いておいてくれって……」
言葉が詰まった。……そこには、ありえないオトヒメの姿があった。




