第75章 会うべき人
第75章 会うべき人
ある日の夜。我が家でいつものように賑やかな夕食を終えた後のことだ。
座卓の片隅で、佐藤さんがクレハの隣に座りながら、何やら小さな布地に向かって熱心に針を動かしていた。
服飾学校の課題か何かなのだろう。
静かな部屋に、小気味よい布擦れの音が響いていた、その時だった。
「あっ……またやっちゃった」
佐藤さんが、困ったように眉を下げて手を止めた。
「織恵、どうしたのじゃ?」
ゲーミングチェアにふんぞり返っていたエヒメが、座卓へ近づいてくる。
「それがね……最近、なぜか針をよく折っちゃうのよね。ミシンの針も、この手縫いの針も」
「どうれ、我に見せてみい」
エヒメはどこか厳かで難しい顔をして、佐藤さんが差し出した折れた針の入った小さな袋を凝視した。
「どうなんだ、エヒメ?」
俺が麦茶を飲みながら尋ねると、エヒメはしばらく針を睨みつけた後、ふうと息を吐いた。
「……さっぱり、分からん」
「姉様でも分からんことあるんやなぁ」
クレハが隣で感心したようにエヒメを見た。
「しかしな、織恵はオトの『神御衣の技法』の継承を受けておるようなもんじゃ。もしかしたら、そのことが原因かもしれぬな」
俺の脳裏に、かつて佐藤さんがオトから技術を学んでいた姿が浮かぶ。
「やっぱり……人が神様の技法を受けるのって、まずいことなのか? 体に無理があったりとか」
佐藤さんの身を心配して俺が聞くと、エヒメは首を横に振った。
「そんなことはないのじゃ。技法とは本来、神から人に、人から人へと受け継がれるものじゃ。それ自体は至極自然なことなのじゃ」
「……わたしの技術が未熟だから、道具に変な負担をかけちゃうんだよ」
佐藤さんは自分を納得させるように苦笑いした。
「そうじゃ、紡。おぬし、あの方に会ってこい」
「俺が?あの方って……?」
「織恵、その折れた針の入った袋を我によこせ」
エヒメは佐藤さんから折れた針の袋を受け取ると、それを俺の手に握らせた。
「あの、兄媛様? 針供養はちゃんとしてますよ?」
「それでは根本的な原因が分からんじゃろ? それに紡、おぬしがこの先のために、一度会っておかなければならない人じゃ」
「じゃあ、わたしも行きます! わたしの針のことですから」
佐藤さんが慌てて立ち上がろうとするが、エヒメはそれを制した。
「織恵はまだ、行かんほうがいい。もう少し技法を我が身に馴染ませて、己の器を安定させてからでよいのじゃ」
エヒメはそう言うと、最後にクレハのほうを向いた。
「クレハ、行ってくれるか?」
「ええよ、ウチもあの方に会うのは久しぶりやからな。楽しみやわ!」
クレハは嬉しそうに拳を握り、即座に快諾した。どうやら俺とクレハの二人で、その『あの方』の元へ赴くことが決まってしまったらしい。
「なぁエヒメ、その『あの方』って人はどこにいるんだ?」
俺の問いに、エヒメはある方角を指差しながら言った。
「和歌山じゃ」
「エヒメそれだと逆だぞ、和歌山はこっち……えっ、和歌山!」
流石に日帰りは厳しい距離だ。現地での移動や滞在を考えれば、確実に泊まりになる。
俺は折れた針の袋を握りしめながら、ふと、もしこの件が会社で茅春に知られた時のことを想像してしまった。
『浴衣姿金髪ショートクレハ!和歌山湯けむり旅』
そんな最悪の脳内企画モノのタイトルが勝手に脳裏をよぎり、俺は和歌山に行く前から、不安に襲われるのだった。
この先は今までの日常を回収するロードムービー的な展開です。
散りばめられた伏線を回収していきます。
お楽しみ頂ければ幸いです。




