第74章 常識のデッドライン
第74章 常識のデッドライン
「いったい二人で何をしてたんだ?」
紡が心底不思議そうな顔で、わたしをじっと見てくる。
「それは、こっちのセリフよ!」
わたしは頭のてっぺんから湯気が出そうなのを必死に堪えながら、言い返した。
「紡が『急病』だって聞いたから、お見舞いに来たのよ!」
「それは、悪いことをしたな。茅春には電話しておけばよかったな」
紡は申し訳なさそうに眉を下げたが、次の瞬間、その視線がわたしの頭の上と手元に注がれた。
「それで、お見舞いに来てシャンプーハットをかぶってスクミズに着替えようとしてたのか?」
「着替えようなんて思ってないわよ!」
——違うの。わたしは断じて、こんなマニアックなフル装備で一人ファッションショーを楽しんでいたわけじゃない。
すべては、紡の破廉恥な悪事を暴くための正当な家宅捜索の結果なのだ。
わたしはこれ以上の追及を逃れるように、持っていた紺色の水着を慌てて体の後ろへと隠した。
けれど、背中に触れる水着の独特のすべすべした生地が、逆にわたしの犯罪的ギルティ感を煽ってくる。
「それで、今日はエヒメちゃんを連れだして何してたのよ」
強引に話題を逸らすと、隣にいた佐藤さんが、わたしの気迫に少し怯えながら説明を始めた。
「あ、あのね……弟媛様に講義の依頼だったんだけど、連絡が取れなくて。代わりに兄媛様が講師に来てくれたの」
「エヒメちゃんが服飾の?……設定じゃなくて?」
——佐藤さんがまでそんなことをいうなんて、本当なの?
怪訝な顔をするわたしに、紡が呆れたようにため息をつく。
「設定ってなんだよ?エヒメはこう見えても、講師としては結構評判良かったぞ。……『実習は』だけどな」
「そうじゃろ、我の指先のテクニックに、あやつらは驚いておったな。」
——指先のテクニック!ちょっと待って、指先って何!? どこをどう動かしたっていうのよ……!?
「やはり実演するのが一番なのじゃ」
——実演!!身体を使って何を実技披露したのよ!?
「エヒメは、あれだけの(生徒の)人数を相手によくできるな」
——あれだけの人数!!!あれだけってどれだけなのよー!
指先、実演、大勢、そして『設定』という言葉。
わたしの脳内で、最悪のパズルのピースが爆速でガチリと噛み合っていく。
これは完全に、深夜のテレビ放送でも規制が入るレベルの企画モノの撮影現場よ。
「あなた達なにしてるのよーーっ!!」
「ひゃうっ!?」
急に声を荒らげたわたしに、佐藤さんがビクッと肩を震わせて怯えてしまう。
「おい茅春、エヒメが教えたのは、ただの和裁だぞ?」
紡が必死に両手を振って、わたしをなだめるようなポーズで割って入ってくる。
「あと、なんでさっきから一人で赤くなったり青くなったりしてんだよ!顔芸が忙しすぎるだろ!」
「和裁って何よ! 和風のプレイのこと!? 伝統を汚すんじゃないわよ!!」
「話を聞けぇーーーっ!!」
「お、お裁縫の、伝統的な縫い物の実技講義です……!針と糸を細かく動かす、本物の和裁です……!」
結局この後、佐藤さんが涙目で必死に割って入ってくれたおかげで、わたしの凄まじい勘違いは(一応は)綺麗に解けることになるのだけれど。
背中に隠したスクール水着の冷たさを感じながら、わたしは深いため息をついた。
川崎紡の周りで起きる出来事は、わたしの常識という名のデッドラインを、今後も爆速で置き去りにしていくに違いない。
……だけど。
そんな騒がしい日常も、少しだけ嫌いじゃない。
わたしは頭の上のシャンプーハットの位置を直しながら、誰にも聞こえないように小さくため息をついた。




