第70章 心得ておじゃる
第70章 心得ておじゃる
その日の、会社の昼休み。
俺はいつものように、茅春と向かい合って社員食堂の『おすすめ定食』を食べていた。
箸を動かしながら、茅春が何かを探るような、少し座りの悪い目で俺を覗き込んでくる。
「ねえ、紡。……紡とクレハちゃんって、なんか仲良すぎない?」
「そうか? 普通だと思うぞ」
俺の答えに茅春は納得いかないように唇を尖らせた。
朝の四時に起こされたり、ベッドが半分づつなど、距離感はバグっているが、裏表がなくてサバサバしているから接しやすいとは思っていた。
「それが怪しいのよ。オトちゃんやアナハちゃんと違って、なんていうのかな……好意が露骨じゃないというか……」
「まるで男友達みたいに接してくるじゃない」
「ああ。クレハは俺のことを、そういう異性としての目で見てないような感じだしな」
「そう! そういうところが逆に一番怪しいの! こっちの警戒心が薄れるじゃない」
「今のところ、あの部屋の中でクレハちゃんが一番、普通じゃん?」
——いや、朝の四時に会社まで走って通勤してると思い込んでる奴のどこが普通なんだ……。
俺と茅春の言う『普通』の基準が全く違っていた。
ただ、クレハには気兼ねなく何でも話せる居心地の良さがあるのは確かだった。
クレハへの愚痴が一区切りすると、茅春はふと思い出したように、もう一人の居候に矛先を向けた。
「そういえばさ、エヒメちゃんの話し方って独特よね。変わってるというか……」
「あー、言われてみれば、そうだな」
『我は』『〜じゃ』『おぬし』と宣う(のたまう)エヒメの姿を思い浮かべる。
「なんか、昔の人の言葉っぽいよね。京都の古い家柄の人みたいな……」
相変わらず鋭い。
だが、茅春には彼女たちが本物の神様だとは絶対に言えない。
俺は必死に脳細胞をフル回転させ、ある『もっともらしい設定』をひねり出した。
「ああ、あれだ……エヒメはさ、ちょっと特殊な環境というか……歴史のある、公家の家の人に育てられたから、その影響が言葉遣いに出てるんだよ」
「へえー! 公家! どうりで上品っていうか、お姫様みたいな喋り方なわけね!」
納得して目を輝かせる茅春。
確かに、彼女が長年ともに暮らしていた宗像三姉妹の神格や、八幡様(応神天皇)の出自を考えれば、朝廷や公家にはこの上なく深い縁がある。
——嘘は言っていない。ただ、ちょっとスケールが大きすぎるだけだ。
すると、公家というワードがツボに入ったのか、茅春はすっかりいつものモードになって、お茶のカップを片手に顔の前にかざした。
「ほほう、左様であったか。麻呂も薄々、そのように思うておったのじゃて。のう、紡?」
眉をひそめて扇を仰ぐような、古の公家っぽい真似をしてみせる茅春。
「ぶふっ……! おい、なんだよそれ。妙に似てるな」
「そう? 結構自信あるのよ!」
「いや、茅春は何をやらせても本当に上手いな。器用というか、芸達者というか」
「でしょー!」
俺が笑いながら褒めると、茅春はいつものように一気にテンションを上げ、嬉しそうにふんぞり返った。
そこへ、昼休みが終わるチャイムと共に、俺たちのテーブルの横をトコトコと部長が通りがかった。
「あ、ちょうど良かった。加藤(茅春)くん。午後の会議で使う資料の準備、お願いできるかな?」
「あ、部長!」
テンションのギアが最高潮に達したまま、完全に『公家モード』が脳内に残っていた茅春は、立ち上がると同時に、ハキハキとしたビジネススマイルで勢いよく口走った。
「心得ておじゃる!!」
「…………」
静まり返る社員食堂の一角。
部長は持っていたファイルを落としそうになりながら、言葉を絞り出した。
「お、おぅ……。よ、よきに頼むで……おじゃる……」
部長は、怯えたような顔で足早に去っていった。
我に返り、己の口を両手で押さえてみるみるうちに顔を真っ白にしていく茅春。
「……つ、紡。わたし、今……」
「言ったな。ものすごい良い声で『おじゃる』って言ったな」
「いやぁあーーっ!」
頭を抱えて机に突っ伏す茅春。
エヒメの古い言葉遣いは神の真実だったが、茅春の放った古の言葉は、ただの『社内での致命傷』でしかなかった。
俺は、午後のオフィスで戦うことになる彼女の背中を、そっと憐れみの目で見つめるのだった。




