第7章 片方の衣を失くした因果
第7章 片方の衣を失くした因果
歩くたび、彼女の長い黒髪が一拍遅れてしなやかに揺れた。
首を回すと、髪飾りがシャランと鳴った。
彼女はどの風景にも溶け込まず、現代の無機質な街並みから浮いて見えた。
その足元の、ちぐはぐな靴下でさえ……。
「エヒメ。なんで靴下、ちゃんと揃えて履かないんだよ」
「これは我の因果なのじゃ」
「どんな因果なんだよ」
「渡来神である我は、海を渡ってくる途中で、片方の衣を失くしてしまったのじゃ。その時から、左右を揃えられぬ因果を背負っておる」
エヒメは冗談みたいに笑ったが、その声は少しだけ乾いていた。
「……じゃあ、もし揃えて履いたらどうなるんだ?」
「穴が開く!」
「……」
数歩後ろを歩く佐藤さんの、震える声がした。
「さすがです、兄媛様。あえて完璧を崩すことで、神の領域を保たれているのですね……!」
何が『さすが』か、俺には理解できなかった。
……ただ、佐藤さんの目を覚ましてあげたかった。
「佐藤さん、ごめんね。買い物に付き合わせてしまって」
「とんでもないです。兄媛様とご一緒できるなんて、神罰が下るレベルの栄誉ですから!」
駅前のショッピングモール。
エヒメの興味はドーナツとアイスクリームに全振りだった。
「……あの、さんじゅういち。アレを供えろ」
「『買ってください』だろ。溶けるから帰りにな。ってか、服を見ろよ」
「興味ないわ。歩いておる民衆を見れば、現代の服装など……」
エヒメが足を止め、言葉が途切れた。
「紡、織恵。あれを見よ」
エヒメの指差す先には、いわゆるコンカフェのフリルがたっぷりのメイド服を着て、通行人にチラシを配る若い女性がいた。
エヒメは突然、靴音を響かせて、まっすぐに突き進んでいった。
「おい、エヒメ!? どこ行くんだよ!」
エヒメは女性の目の前に立ちはだかった。
あまりに容姿端麗な相手に、正面から値踏みするような視線を向けられ、メイド服の女性は目を丸くした。
「あ、あの、コンセプトカフェの……」
女性は営業スマイルでチラシを差し出し、固まった。
次の瞬間、エヒメは身をかがめると、メイド服の裾をガシッと両手でつかみ、まくり上げた。
「どれ、少し失礼するぞ」
「ちょ、ちょっと! 何するんですか……っ! きゃあぁ!」
「これほど薄く、これほど軽やかな『透かし(レース)』を、一ミリの狂いもなく織り上げるなど……」
「我らの時代、国中の織り手を集めて一生を捧げさせねば、一枚として形にできんかったぞ」
突然の暴挙に、女性は恐怖で顔をこわばらせ、チラシの束を胸元に抱え込んで、小さく悲鳴を上げた。
「すみません、本当にすみません!!」
俺は大急ぎでエヒメを引き離した。
泣きそうなメイド服の女性にひたすら頭を下げながら、俺はエヒメを引きずり、佐藤さんとともにショッピングモールの中へ逃げた。
「街中で女の人のスカートをまくり上げる神様がどこにいるんだよ!」
「うむ、実に見事じゃった。手わざの魂こそ薄いかもしれんが、現代の『機械』という織り手は、万民にこれほどの……」
「……さすがです、兄媛様。そうなんです……現代の大量生産は、誰もが平等に『可愛い』を楽しめるのです」
「……佐藤さん、褒めないで。あれは完全にアウトだったからね?」
佐藤さんの信仰が、いよいよ狂気じみて、痛々しさを増してきた。
「この国は、我らの伝えた技を、独自の文化でここまで発展させておったか」
エヒメはふっと、今まで見たこともないような、優しく誇らしげな微笑みを浮かべた。
彼女のそのつぶやきは、我が子の成長に驚き、喜ぶ母親のようでもあった。
数歩後ろから、佐藤さんが感動に打ち震えてすすり泣く声がした。
俺も泣きたくなった。もちろん、佐藤さんとは別の意味で……。
結局、エヒメは服を何も欲しがらず、俺が他の服も見ていこうと提案しても、首を振った。
仕方なく、俺は自分用のTシャツを数枚買い足した。
ただ、彼女の手にはいつの間にか、六個入りレギュラーパックのアイスと、ドーナツのハーフボックスが握りしめられていた。




