第61章 我を置いていきよる
第61章 我を置いていきよる
なんとか一日の仕事を終えた俺は、疲れ果てて我が家へと戻ってきた。
重い足取りで玄関のドアを開けた、その瞬間のことだった。
「紡!」
小さな影が俺の胸元へ飛び込んできた。
衝撃でよろめきながらも受け止めると、それはダボT姿のエヒメだった。
彼女は俺のスーツの胸元にぎゅっと顔を埋め、今にも泣き出しそうな声をあげる。
「紡、聞いてくれ……」
「ど、どうしたんだエヒメ! 」
いつも呑気なあのエヒメが、ここまで取り乱して俺にしがみついてくるなんて……。
まさか、大阪へ帰ったアナハの身に何かあったのか、嫌な予感が脳裏をよぎり、背中に冷たい汗が流れる。
「みんな……みんな、我を置いていきよる……」
「置いていく……? 何があったんだよ」
「あやつら、あれほど我を慕っておったのに…… 」
「おい、しっかりしろエヒメ!」
俺は彼女の震える小さな肩を掴み、その顔を覗き込んだ。
その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいる。
神様たちが次々と俺の前から消えていくような、そんな底寒い恐怖が胸を締め付けた。
俺は必死に、声を絞り出す。
「もう、我は独りぼっちじゃ……。この広い世界に、我の居場所など……」
「そんなことはない! そんな悲しいこと言うなよ! ……俺がいるだろ、エヒメ!」
俺の精一杯の、魂からの叫びだった。
するとエヒメは、俺の胸元から顔を上げ、鼻をズズッと鳴らしながら、潤んだ瞳で俺を見上げた。
「エヒメ!」
俺は彼女の背にそっと手を回りし、少しでもその心の痛みを和らげようと、愛おしさを込めて強く抱きしめようとした。
……その時だった。
「……紡よ。機動力のない重装備な壁は、今日新しく実装された超高難易度のタワーダンジョンでは、完全に無力なんじゃよ……」
「……は?」
「野良で組んだあやつら、我の移動速度が遅いのをいいことに……」
「タンク役の我が敵のヘイトを集めに追いつく前に、全員が凄まじい脳筋火力でボスのHPを削りきって……」
「勝手に次の階層へ進んでいきよるんじゃ……! 我は、ずっと下の層で迷子なんじゃ!」
「…………ゲームの話かぁぁぁぁぁーーーっっっ!!!」
俺の今日一番の絶叫が、夕暮れのワンルームに木霊した。
オトとの別れのトラウマまで引っ張り出されて本気で心配した俺のピュアな涙と、格好いいセリフを今すぐ返してほしかった。
そして、綺麗に無かったことにしたかった。
数分後。俺はモニター前のゲーミングチェア座り、エヒメはテーブルに伏せ落ち込んでいた。
「仕方ないだろ、オンラインゲームなんだから向き不向きのダンジョンくらいあるんだ」
モニターの中で佇んでいる俺のキャラは、重そうな全サーバー数本限定の『天蚕の聖盾』を持ち最高、最硬の鎧を纏っている。
ピンクのフリフリメイド服で見た目では分からないが、ステータスだけは間違いなく要塞レベルだ。
「アナハも言ってたぞ。繊細な織は自分で、複雑な体力のいる織はクレハが得意だって」
「我は、『絹縫い』の頭じゃ、どんな場所であろうと、格好の悪い事はできぬのじゃ」
「引きこもりニートは格好悪くないのか?」
「紡よ、屁理屈を言うな……」
「……どっちがだよ」
「まあ、このダンジョンは今回は諦めるか、機動力重視の火力装備に変えるかだな」
「我が今まで積み上げてきたものを否定するのか?」
「いや、もともと俺のキャラだし……。それに衣服でもTPOがあるだろ?」
「時や場所やその状況に合わせて柔軟に変えていくのが一番大切なんじゃないのか?」
エヒメはテーブルからゆっくりと顔を上げ、どこか遠い目をして俺を見つめた。
「紡よ、おぬしまでオトみたいなことを言いよるな……」
「……え、そうか?」
「そうじゃ。……時に紡よ、クレハの神御衣。あれはおもしろいぞ」
「クレハの神御衣……おもしろいってどういう意味だ?」
「見れば分かるのじゃ、あれはあれで見事なものじゃ」
「近いうちに拝めるやもしれんぞ?」
どうやら俺のワンルームは、まだまだ静かになりそうになかった。




