第59章 アナハの神御衣
第59章 アナハの神御衣
気が付くと、そこは光さえ飲み込むような深い闇の中だった。
カタン、カタンと、どこか心地よい規則的な音が暗闇に響いている。
音のする方へ振り向くと、それは暗闇の中で白い反物を織り成していく機織の音だった。
紡ぎ出される白い反物の表面は、この世のものとは思えない艶を放ち、暗い世界の空に、まるで一筋の光の川……天の川のような煌めきを作っていく。
「アナハなのか?」
シャーっという横糸を通す音の後にトントンと筬を打ち込む音が響き、彼女は静かに顔を上げた。
高機の前の椅子から立ち上がった彼女の姿に、俺は息を呑んだ。
その衣は完成しているようで、どこか未完成にも見えた。
白いレースのような繊細な生地の着物には、美しい花や葉の刺繍が緻密に施され、黒い帯と、そこに組み込まれた鮮やかな赤い組紐が歩みに合わせて揺れる。
袖や裾にあしらわれた多くのフリルが、ふわりと風を孕んだように優雅に動いていた。
左右で違う文様。異なる色糸。本来なら不調和になるはずなのに、不思議なほど美しくまとまっている。
「それが、お前の『神御衣』なのか……」
俺の呟きに、彼女はコクンと小さく頷いた。
「オト姉様にあなたを託されました」
「最後まで、お人好しでしたわ」
アナハは少し困ったように笑った。
「はじめ、わたしは嫌だと言ったのです。けれど、オト姉様は聞いてくださらなかった」
「あなたを『その目で』しっかりと見て見なさい、と仰ったの……」
『この人を独りにしないで』と……」
「……オトが、そんなことを」
彼女は片目にかかった前髪をそっと横に流した。
今まで隠れていたその片目は、金糸を張り巡らせたような神聖で、妖しく、光を放つ瞳だった。
「……その、目……」
俺の言葉は、その美しい瞳の光に吸い込まれるようにして、それ以上は声にならなかった。
「糸を見る目、人と人を結ぶ糸。紡がれる人生の糸。そして……いつか訪れる『別れの糸』」
「そういう糸が見えるのです」
「……そうなのか」
「ええ。そして、あなたには……多くの神との縁が見えました」
「まだ、これ以上に縁があるのか。そうか……大変だな」
俺が肩をすくめると、彼女は「フフッ」といつものように悪戯っぽく笑った。
そして、俺の胸にそっと白い手を伸ばし触れる。
温かい熱が伝わった。
「……可愛いな、気が向いたら、また来いよ」
彼女が少し照れたような笑顔をした。
あの時見た、彼女自身の本当の、心からの笑顔だった。
そのまま、俺は淡い光に包まれた。
その光が、窓から射す朝光だと気づく。
「……夢か」
目を覚ました瞬間、いつものアナハの視線を感じないことに気がついた。
「アナハ!」
飛び起きて、周りを見渡す。
布団の中、ベッドと壁の隙間まで。
どこを探しても、あの小さな身体は影も形もなかった。
そんな俺の様子を見ていたエヒメが、椅子から立ち上がり俺の前に立つ。
「……見れたか?あやつの『神御衣』とあの『目』を」
「……見たよ」
「あいつが片目を前髪で隠していた理由も」
「左右不揃いで、繊細な衣も」
「でもな……すごく神秘的で……可愛かったよ」




