第58章 半分だけ大阪へ
第58章 半分だけ大阪へ
「そろそろ、あやつを戻した方が良いかもしれんな」
椅子の上であぐらをかいたエヒメは、いつになく真剣に腕を組み、真顔で俺にそう言った。
「……そんな。もう少しぐらい、ここに居てもいいじゃないか?」
「紡よ、おぬしも随分と情が湧いてきておるのではないか?」
「それは……」
俺は返す言葉を失った。確かにエヒメの言う通りだった。
はじめの頃にあれほど怯えていた厄介さは、いつの間にかそれほど感じなくなってきている。
何より、彼女の仕草や言葉の端々に重なるオトの姿に、俺は無意識のうちに救われ、癒されていたのかもしれない。
「まあ、これ以上何事もないうちに、一度大阪へ返すんじゃな。あやつもあやつの場所がある」
——今でも十分、色々起こっているんだが……。
そう心の中でエヒメにツッコミを入れた、その時だった。
「嫌ですわ!アナハは絶対に帰りませんわ!」
背後から、冷たい声が響いた。
振り返ると、お風呂に入っていたはずのアナハが立っていた。
いつものように服を着ることすら忘れたのか、バスタオルを一枚巻いただけの姿で。
まだ体には湯気がまとわりつき、濡れた髪から床へと、ポタポタと水滴が滴り落ちている。
その片目が、いつも以上に尋常ではない光を宿していた。
「おぬしも伊居太神社の神であろう。祭事に神がおらぬでどうする」
「嫌です!主様と離れませんわ」
「クレハも心配しとるじゃろ、一度帰るんじゃ」
エヒメの真っ当な説得にも、アナハは激しく首を横に振る。
「主様を置いて自分だけ戻るなんて絶対に嫌です。……それなら、主様を一緒に大阪へ連れて帰りますわ!」
「無理言うなよアナハ。俺はここでの生活があるし、仕事もあるんだ」
俺は子供のように駄々をこねるアナハをなだめた。
「では、……」
アナハはどこからか裁ちばさみを取り出した。
エヒメと俺は、顔を見合わせた。
アナハがエヒメと別れる時に自分を裂こうとしたことを思い出した。
「主様を……ここで半分に裂いて、半分だけ大阪に持って帰りますわ!」
アナハは、そう言っていつものように姿を消した。
「俺かよ!!」
「ほうれみろ、言わんこっちゃない。こうなるのじゃ……」
エヒメはやれやれと深い苦笑いを浮かべた。
俺はアナハの立っていた場所の濡れた床を拭きながら、考えた。
しかし、答えは出なかった。
ふと、床に続く水滴の跡に気が付く。
それは、ベッドと壁のわずかな隙間に続いていた。
そこからは、かすかに湯気が上がっていた。
——あいつ、姿を消せるとか言っておいて、いつもの方法で隠れただけだったのか。
寝る時に、そっとその隙間に声をかける。
エヒメはヘッドセットをしていて気がついていない。
「アナハ、いつもそこで寝てたのか?」
「主様、お気づきになられたのですね」
「ああ、まあな……」
「主様が寝られた後で、布団に潜り込んで寝てましたわ」
「いいから、出てこい」
慣れた動作で、ひょこっと小さな体を隙間からだし、俺の布団に潜り込んだ。
「……わかってますわ。子供みたいに駄々をこねる歳でもありませんもの」
布団の中から、クスンと鼻をすする彼女の声が聞こえる。
「ここが気にいったなら、また、いつでも遊びにこいよ」
「……主様はわかっていませんね」
「寝てる間に半分にしないでくれよ」
「上半身と下半身どちらが大阪にきますか?」
「そう半分にするのか。縦だと思っていたよ……」
二人で布団の中でクスクス笑った。




