第54章 織姫の記憶
第54章 織姫の記憶
満天の星空の写真。
『銀河の散歩』そう書かれたプラネタリウムの広告だった。
「アナハ、星は好きか?」
「……主様。お泊り、決定ですか」
アナハは両手で俺の腕をきゅっと抱きしめ、ほんのりと頬を染めながら嬉しそうに呟いた。
「違う!勘違いするな。昼でも室内で星を見られる施設があるんだよ」
「知ってますわ、プラネタリウムですわね。主様、行きましょう」
アナハは俺の腕を引っ張り自動改札に向かった。
改札からの通路やホーム、電車の車内。
小柄ながらスタイルも良く、人形のように綺麗な顔立ちの彼女は人目を集めた。
アナハはそんな人目を、一切気にすることはなかった。
彼女の片目の視線は、ただ真っ直ぐに俺だけを捉えている。
休日の車内はそこそこ混み合っており、急ブレーキの揺れが足元を襲う。
小柄でつり革に手が届かない彼女は、当然のように俺の腕を両手で掴み、しがみつき続けた。
「……目的の駅まですぐだからな。少しの我慢だ」
彼女を気遣った言葉が自然に口から出た。
「こう見えてもアナハは体力には自信がありますわ」
俺を見上げて、悪戯っぽく微笑んだ。
その無邪気な笑顔は彼女自身のものだった。
「機織りというのは、想像以上の重労働ですわ、……まあ、クレハ姉様の規格外な体力には、どうしても負けてしまいますけれど」
「そうか、意外だな。機織りは指先の技術だけじゃないんだな」
その横顔が、一瞬だけ、とても頼もしく見えた。
目的の駅で降り、新しくできた商業施設の中へと入る。
エスカレーターを上がった先にあるプラネタリウムのロビーは、近未来的なデザインで少し薄暗い照明に包まれていた。
チケットを購入し、ドーム状のシアターへと足を踏み入れる。
アナハは不思議そうに周囲を見回し、まだ何も映し出されていない、ただの巨大な白い半球形の天井を見上げた。
「……主様。星はどこです?」
「まだ始まってないからな」
俺たちは中央の、背もたれが大きくリクライニングするシートへと腰掛けた。
周りの照明が落とされ、ドーム全体が静かに暗転していく。
「主様。暗くなってきましたわね」
シートの背もたれに身を預けながら、アナハが暗闇の中で俺の顔を覗き込んできた。
その片目が、暗いドームの闇の中で、怪しく、けれどどこか嬉しそうに光っている。
「……揺れると危ないですから、こうしておきますわ」
そう言って、アナハはシートの肘掛けを越えて俺の左腕を自分の両手で抱きかかえた。
アナハの小さな体温が、腕に伝わってくる。
「プラネタリウムは揺れないぞ」
クスクスと微笑むアナハ。
ドームのスピーカーから静かな音楽が流れ始め、頭上の白い天井へ、一斉に気が遠くなるほどの満天の星々が浮かび上がり始めた。
ふと隣を見ると、アナハは真っ白な星の光をその身に浴びながら、静かに頭上を見つめていた。
ふと、アナハが小さく呟いた。
「あの頃は、灯りなどほとんどありませんでしたから」
「……夜になると、星が手元を照らしてくれましたの」
「……そうか」
彼女の言う『あの頃』が、数千年も昔の、この国にまだ夜の闇が深く残っていた時代を指しているのだと気づいた。
俺の左腕を抱きしめるアナハの手は、星の解説が変わるたびに、微妙にその力の強さを変えていた。
その細かな変化が、彼女の感情の起伏をそのまま俺の肌に伝えてくれた。
夜空を縦断する巨大な光の帯……『天の川』が映し出された。
誰もが知る、織姫と彦星の『天の川伝説』にまつわるナレーションが流れ始める。
その瞬間、俺の腕を掴んでいたアナハの手が、ピクリと小さく跳ね上がった。
「……少し違いますわ」
アナハの真剣な表情と静寂の空間に、俺はその言葉の真意を尋ねるための質問を飲み込んだ。




