第53章 機嫌の直し方
第53章 機嫌の直し方
「……主様。主様、朝です」
「ああ……今起きるよ、オト」
まだ完全に覚醒していない頭でそう答え、目を開けると、間近にアナハの視線。
慌てて上半身を勢いよく起こす。
「オト姉様ではありませんわ、……あなたのアナハです」
——やってしまった、毎朝オトに起こされていた習慣のせいで、よりによってこのタイミングで言ってしまうとは。
アナハは首を傾げながら、ベッドの端に腰掛けて俺の顔をじっと覗き込んでくる。
「オト姉様はどこで寝られていたのですか?」
「さあな、俺が目覚める時にはもう起きていたからな」
「でも、ここにオト姉様の匂いを感じます」
「そ、そりゃあ……俺が仕事で居ないときは、あいつ、よくこのベッドでゴロゴロしながら漫画を読んでいたからな」
「それに、シャンプーはみんな同じのを使っているからな」
「何をそんなに焦っておられるのです?ほんの冗談なのに」
「……」
朝一番から、完全にアナハのペースに吞まれていた。
「……エヒメ、何とかしてくれよ」
「我はもう寝る時間じゃ、今日一日、どこぞへデートにでも連れ出して機嫌を治してやれ」
昼夜逆転生活のエヒメが眠たい目をこすりながら、めんどくさそうに言う。
「……無責任なこと言うなよ」
「『女心もデスバレーの空』というでは無いか」
そう言い残し、エヒメはベッドに倒れこんだ。
「『秋の空』だろ、なんで世界最高気温の砂漠の空なんだよ」
毛布の塊からは、小さな寝息しか返ってこない。
——仕方ない、俺の社会生活には代えられない。今日中にアナハの機嫌をなおさなければ……。
そう決意して、俺はアナハを連れて家を出た。
隣を歩くアナハは、黒のタイトなニットワンピースに、オトの白いカーディガンを羽織っていた。
ヒールの高いパンプスを履いているせいで、いつもよりは背が高く見える。
それでも俺の胸元にも届かないほど小柄だった。
オトはハイヒールを履くと俺との身長差はかなり縮まって並んで歩くのが自然なのだが、アナハはそれよりもさらに二十センチは低かった。
アシンメトリーに切り揃えられた前髪のすき間から、相変わらず片目だけがこちらを覗いている。
「なあアナハ。どうしていつも、片目を隠すんだ?」
「両目だと、見えすぎるのですわ」
「どういうことだ?」
問い返す俺に、アナハは答えず、ただ妖艶な笑みを浮かべた。
その笑みだけは、どこかオトを真似ているように見えた。
「……まあいいか。アナハ、どこか行きたい所はあるか?」
「人気のない深夜の公園の、街灯の光すら届かないベンチですわ」
「お前はエロオヤジか? まだ昼前だぞ」
「あら、少し疲れましたわ。二人きりでじっくり『休憩』の出来る場所を……」
「今、部屋を出てきたところだろ。もっと健全な場所を言えよ」
あからさまに不満そうな顔をするアナハは、首を小さく傾げて俺を値踏みするように見上げた。
「では、主様はいつもどのような手口でデートをなさってるのですか?」
「手口って、犯罪みたいに言うなよ。俺はデート慣れしてないんだ。思いつくのは、定番の場所くらいだよ」
「定番ですか?ガラガラの映画館の最後列とか、完全個室のネットカフェとか、店員が来ないカラオケボックスとかですか?」
「定番の定義が歪みすぎているぞ。普通、遊園地とか水族館とかだろ?」
そんな押し問答を続けながら、目的地が決まらないまま、駅前まで来てしまった。
休日の駅前は、家族連れやカップルで賑わっている。
アナハは周囲の視線を気にする風でもなく、俺の腕にしがみつくように距離を詰めてくる。
駅の改札前で、あるポスターに目が止まった。




