第5章 強制参拝
第5章 強制参拝
残業を大急ぎで片付け、スーパーでオーガニックのシャンプーの詰め替え用と、三個入りのプリンを買い、俺は逃げるように帰路についた。
そう、強制参拝という帰宅だ。
玄関のドアを開けると、温かな湯気が押し出されてきた。
味噌のまろやかな香りに、野菜の甘い匂いが溶け合って、鼻先をかすめた。
——まさか、あのエヒメが俺のために……。
「おかえりー」
声のしたベッドの上を見ると、そこには相変わらずだらしなく寝そべったエヒメの姿。
そしてキッチンでは、佐藤さんがトントンと小気味よい音を立てていた。
——そりゃそうか……。期待した俺が馬鹿だった。
「なんじゃ、その残念そうな顔は? 織恵に失礼ではないか」
「残念なのはお前に対してだよ」
「あっ、おかえりなさい。キッチン借りてるわよ」
振り返った佐藤さんのエプロン姿が眩しかった。
小さなテーブルの上には、丁寧に作られた小皿の和食が並んでいた。
「すごいな、美味しそうだ」
「肉が少ないがのう」
「お前、神様だろ。肉とか欲しがるなよ」
「それは、仏教の『殺生戒』じゃな」
「そういえば、俺のからあげクンをつまみ食いしてたな」
「あれは美味じゃった」
——やっぱりこいつだった。
五個入りを買ったのに、三個しか食べた記憶がない。その謎が、今ここで完全に解けた。
「今までは、味見程度でよかったが、具現化すると腹が減るのじゃ」
「じゃあ、少しは自分で作れよ」
「何を言っておるのじゃ、我の手がささくれ立って絹を扱えんようになったらどうする」
「神様のくせに、自分の労働拒否を伝統技術の保護みたいに言うなよ」
俺がツッコミを入れると、キッチンからお玉を持った佐藤さんが、目を輝かせて身を乗り出してきた。
「いいえ川崎さん、エヒメ様のおっしゃるとおりです!」
「絹を扱うお針子さんにとって、手指のコンディションは命なんです。あんな至高の指先を、洗い物の洗剤で荒れさせるなんて絶対にダメです!」
「……佐藤さん、完全に洗脳されてない?」
「洗脳じゃなくて信仰よ! 『神の料理番』になることで、わたしは神に近づいたのよ。地獄にも落ちないし、来世のデザイナー人生も安泰よ」
「……誰か、彼女の目を覚ましてくれ」
皿でいっぱいの小さなテーブルを囲み、佐藤さんの手料理を味わう。
夢であってほしい奇妙な共同生活の中で、夢のようなひとときが過ぎた。
夕飯の後、エヒメと佐藤さんは師匠と弟子の関係に戻っていた。
俺は邪魔をしないよう、モニターに向かい、ネットゲームの最強装備の錬成をしていた。
「織恵……そうじゃ、布の顔を見極めるのじゃ」
「その一針、糸が泣いておるぞ。仕立ての良し悪しは『こき』で決まるのじゃ」
エヒメは縫い目をスーッと指でなぞった。
いつもの偉そうな声音とは違い、その優しく凛とした声が耳に心地よく響いた。
「……お前、そういうの本当に得意なんだな」
「決まっておろう。我は八幡様(応神天皇)お抱えの最高峰の技術者じゃからな」
「本当に神様なのか?」
「最初からそう言っておろう」
気づけば、エヒメは俺が買ってきた三個入りのプリンの最後のひとつを、スプーン片手に空にしていた。
「……じゃあ、俺のプリン勝手に食うなよ。一人一個だろ」
「紡、お前は分かっておらぬな。古代の日本において、牛乳を煮詰めて作る『蘇』や『醍醐』という最高級の乳製品は、貴族や神仏しか口にできない至高の贅沢品だったのじゃ」
「つまり、この『ぷりん』という濃厚な乳の菓子は、現代における最高峰の神饌……」
「いいから黙って食えよ」
ふと、今朝、祠の札で見た『呉服守護』の文字が頭をよぎった。
彼女の言葉が本当なら、エヒメは俺と佐藤さんのせいで無理やり現世に引っ張り出され、今の不自由な状況に困っていることになる。
明るく振る舞っているが、きっと制約や理に囚われているのだろう。
……寂しい思いをしているのかもしれない。
少しだけしんみりとした気持ちになりながら、画面の中のギルドチャットに目を落とした。
『ツムギ、最近ネカマ度上がったな』
『また、ガチャで爆死したらしいな(笑)』
『レアドロップとコスチュームを交換したんだって……お前余裕あるな』
——おい、あいつ俺の最強データで何してくれてるんだ?
恐る恐る自分のステータス画面を開いた。
ピンクの巫女服で巨大な盾を持つ見覚えのないキャラが、俺のものだと気づいた。




