第38章 風が残したもの
第38章 風が残したもの
茅春が帰り夕方になる。
カチャリと静かに扉が少しだけ開く。
中の様子を伺うように、静かに少しづつ佐藤さんが入ってくる。
「佐藤さん、もう大丈夫だよ。誤解は解けたよ」
「川崎さん、ごめんなさい私が変な事言っちゃったから……」
「そんな事ないよ。助かったよ」
佐藤さんは手に持っていた封筒を差し出す。
「明日の展示会来てもらえますか?」
「ああ、もちろん行くよ」
俺はそう答える。
しかしエヒメは腕を組み首を振る。
「我は行かぬぞ、もうできる事はない。明日の主役は織恵じゃ」
少し残念そうな佐藤さんだったが、エヒメの激励を受け佐藤さんは目を輝かす。
「そうじゃ、茅春を連れて行けばよい、あやつに見せてやってくれ」
佐藤さんは茅春の事を少し怖がっているようだった。
「大丈夫だよ、彼女は少し勘違いが多くて、暴走するだけで本当は優しい人だよ」
俺は茅春のフォローをした。
「紡よ、やはりお前が悪い」
エヒメが呆れた顔で笑った。
オトが消えた夜から二日。佐藤さんの展示会当日になった。
待ち合わせた俺と茅春は会場に向かった。
「モデルが着て歩くのか」
「違うわ、トルソーに着せてあるのを見るの」
やはりファッションに興味のある女の子なだけに良く知っていた。
会場に足を踏み入れると、様々な布の質感が作り出す独特の空気に包まれた。
人だかりができている場所に佐藤さんの作品はあった。
「綺麗ね……」
隣で茅春が小さく呟く。
俺にはその意図が何なのか、どんな技法が使われているのかは分からない。
だが、その作品を纏ったトルソーの佇まいが、不思議なほどオトの姿と重なって見えた。
コンセプトボードには、佐藤さんがインスピレーションを受けた『風を受け波立つ水面』の写真や、何度書き直したのか分かるほどに書き込まれた初期デザイン画が並んでいる。
「来ていただいて、ありがとうございます」
緊張した面持ちの佐藤さんが、俺たちに気づいて歩み寄ってくる。
展示品の説明パネルを見ていた俺に、茅春が補足した。
「それは作品の履歴書みたいなものよ。コンセプトや、何を目指したかを記しておくの」
「よく知ってるな。プレゼンみたいなものか?」
「ええ、仕事で会場の設置を手伝ったことがあるの。……本当に頑張ったのね」
茅春は作品から目を離さず、感慨深そうに言った。
俺は作品を眺めながら、不器用な言葉を紡ぐ。
「俺には、こういうのは専門的なことは分からないが……」
一度は全て失いかけ、雨に濡れ、染料が混ざり合ったあの無残な姿から再構築した軌跡が、そこにはあった。
「佐藤さんのその手で、物語を紡いだんだな」
佐藤さんはその言葉を聞いて、少しだけ照れくさそうに、でも誇らしげに微笑んだ。
「あのトラブルでコンセプトシートと仕上がりが違うし、雨で色が混ざって生まれた部分だから、見本用のスワッチも同じ染まり方を再現できなくて……」
「でも……私は、これで良いと思います!」
茅春が作品を見ながら佐藤さんに言った。
「会場を回っている人たちを見てみて。みんな、ここの前で必ず足を止めてるわ。それが答えじゃない?」
彼女がそう断言した瞬間、展示室を吹き抜ける空調の風が、作品の布をふわりと揺らした。




