第32章 舞い上がるもの
第32章 舞い上がるもの
風の強い日だった。
空は重たい雲に覆われ、いつ雨が降り出してもおかしくない。
そんな空模様とは裏腹に、エヒメは上機嫌でテーブルに箱を広げていた。
新潟県上越から届いた『出陣餅』である。
「……これって『桔梗信玄餅』に似てるな」
俺が率直な感想を漏らすと、エヒメは眉をひそめた。
「紡よ、軽々しく言うでない。これは新潟県産『こがねもち』を使用した、香り高いよもぎ餅を使っておるのじゃ」
「分かったよ。とにかく、部屋を汚すなよ」
念を押すと、オトがスマホから顔を上げて助言した。
「風呂敷の上に容器から出して、黒蜜をかければきな粉が飛び散りませんわ。ネットで見ましたもの」
「なるほどな。……とりあえず、扇風機を消せよ」
俺の言葉に、エヒメが素直に扇風機を止める。
準備万端で包みの風呂敷を広げる。
「『桔梗信玄餅』によく似てるな……」
「紡よ、あちらは武田信玄に由来する物じゃ。」
「これはのう、上杉謙信が川中島の決戦を前に、将兵に餅を与えて鼓舞したことが名の由来じゃ。」
「武田殿のライバルの上杉殿の故郷にこのように似た物があるなんて、因果じゃのう」
エヒメは餅を前に、上杉謙信と川中島の歴史を熱く語り始めた。
次第に熱が入ってきた。
「語りすぎて熱くなったのじゃ」
そう言い、無造作に窓を開け放った。
「まて、エヒメ!」
ヒューッ、と風が部屋に吹き込む。
「あ……」
時を同じくして、玄関の扉が開いた。
「失礼しまーす!川崎さん、展示の件で兄姫様たちに、ちょっとお見せしたくて!」
入ってきたのは佐藤さんだった。
その瞬間だった。
容赦ない突風が部屋を吹き抜けた。
テーブルの上で無防備に散らばっていたきな粉が、まるで砂嵐のように舞い上がった。
俺は掃除機を片手に佐藤さんの話を聞く。
佐藤さんが誇らしげにスマートフォンを取り出し、制作中の展示物の写真を見せてくる。
「これ、見てください! オトさんに見せていただいた技法は真似出来るものではありませんけど」
「それでも、あれからインスピレーションが湧いて。どうでしょう?」
写真に映る展示物は、布が空気を孕み流れるようなデザインだった。
確かにあの時見せた、オトの技法の断片を捉えているように見えた。
それを見たオトは静かに頷いた。
「織恵、おぬし筋が良いのう」
エヒメも満足げに餅を飲み込む。
二人の神に指導を受けたという自負からか、佐藤さんは興奮気味に展示会への意気込みを語り続ける。
どんどん荒くなる佐藤さんの鼻息に、俺はテーブルの上のきな粉が舞わないか心配した。
――頼む、もう喋らないでくれ。これ以上舞ったら、掃除機がパンクする……!
俺の心の中の悲鳴は、熱っぽく語る佐藤さんには届きそうもなかった。
台風のような大雨の次の日。
家に戻ると、リビングのテーブルでうな垂れる佐藤さんの姿。
椅子の上で腕を組むエヒメ。
テーブルを挟みオトが座っていた。
「……ただいま、どうしたんだ?」
「あっ、おかえりなさい。ご飯にするね」
佐藤さんが立ち上がろうとするが、明らかに様子がおかしい。
「それどころじゃないだろ?明後日展示会じゃないのか?」
「……ううん、もう出せなくなったんだ」
「どういう事なんだ?あんなに良いのが出来てたのに」
「昨日の風で倒れた木が教室の窓を破ってね。……ダメになっちゃった」
佐藤さんは、下を向き、エヒメとオトに申し訳なさそうにしている。
そんな彼女の肩も小刻みに震えていた。
「みんな、……ごめんね。あんなに協力してもらっておいて……」




