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神様たちと紡ぐ日々~忘れないでくれ~  作者: 空白朔名


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第30章 不老不死の水槽

 第30章 不老不死の水槽

 


 食事を終え、俺たちは館内の奥にあるクラゲの展示へと向かった。

 水槽の中を漂う無数のクラゲは、まるで風になびく衣のように見えた。


 オトは、ある小さな水槽の前で足を止めていた。

 暗い室内で、丸い水槽がレンズのように彼女の横顔を歪ませ、水槽の向こう側と現実の境界を曖昧にしている。


 『ベニクラゲ』と書かれた札があった。


 俺はオトの隣に立ち、その横顔に声をかけた。


「これが、気になるか?」


 彼女は小さく頷いた。

 水槽の中では、小さなベニクラゲが透き通るような身体を揺らしている。

 透明な身体の中に鮮やかな赤が浮かび、そこから伸びる無数の細い触手が、水流に揺らめいていた。


「……綺麗だな」


 俺がそう呟くと、オトは静かに頷いた。

 その時だけ、隣にいる茅春に気づかれないように、オトが俺の手を掴んだ。


 俺は初めて、彼女の手を握り返した。

 オトは何も言わなかった。

 ただ、ほんの少しだけ目を細めると、そのまま水槽の前を離れていった。


 ふと、水槽の隅にある説明書きに目を留める。

 そこには、『不老不死』という文字があった。


「若返るんだって。うらやましいね」


 茅春が何気なく言った。

 

 俺は水槽の向こうに見えるオトの後ろ姿と、そこに漂うベニクラゲを重ねて見てしまった。


 ——神様は、歳を取るのだろうか。


 そんな疑問が浮かんだが、口にはしなかった。



 マリンミュージアムを出ると、外の眩しさに目を細め、俺たちは帰路についた。


 駅へと続く階段は、土曜の夜の混雑でごった返していた。

 人波に押され、茅春の身体が大きく揺れる。


「きゃっ……」


 小さな悲鳴が上がった。

 手すりの金具に、茅春のブラウスのフリルが深く引っかかってしまい、無理に動いた拍子に布地が裂ける。

 俺が反射的に手を伸ばすよりも早く、隣にいたオトが動いた。

 オトは何も言わず、自分の羽織っていた白いカーディガンを脱ぎ、茅春の肩にふわりとかけた。


「……オトちゃん?」


 カーディガンを脱いだことで、黒のニットワンピースがより身体のラインを浮かび上がらせる。

 その姿に少しだけ目を逸らしたくなった俺をよそに、オトは何事もなかったかのように俺の隣へ歩み寄った。


「こちらの方が、主様が喜びますので」


「茅春、大丈夫か? ……オト、変なこと言うなよ」


「ごめんね。やっちゃったわ」


 茅春はオトを見つめ、それから少し恥じらうようにカーディガンを握りしめた。


「……ありがと。借りるわね」


 オトは俺の腕を自分の身体の前へ持ってくると、両腕で抱き寄せた。

 茅春は、何も言わなかった。



 電車に乗り込み、座席に座ると、オトはすぐに俺の肩へ体重を預けてきた。

 そのまま、俺の体温を確かめるようにして、深い眠りに落ちていった。


 ——初めての水族館に疲れたか。


 茅春も、その光景を見て少し微笑んだ。



 駅で茅春と別れる際、オトが声をかけた。


「そのブラウス、捨てないでください」


「えっ、かなり破れてるよ?」


「そのうち、生まれ変わる時が来ますから」


 オトはそう言って微笑み、茅春に手を振った。

 エヒメの『仕立て直し』のことを言っているのだろうか。



 陽が沈み、少し肌寒くなっていた。

 俺は脱いでいた自分のカーディガンを、オトの肩にかけた。

 ぶかぶかの袖を、彼女は器用に折り返し、肩に合わせて自分の身体を包み込む。


「……焼き鳥、買って帰るか。エヒメが待ってるからな」


 そう言うと、オトは俺の腕に自分の腕を絡めた。

 今度は、決して離そうとはしなかった。


 駅からの帰り道、その温度が妙に愛おしく思えた。

 俺は少しだけ声を緩め、彼女の頭にそっと手を添えた。


「今日だけだぞ」


 茅春へのフォローをしてくれたことへの礼もあった。

 そしてそれは、俺なりの精一杯の甘やかしだった。

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