第20章 変わりはじめた日常
第20章 変わりはじめた日常
いつものように、朝の支度をしてくれるオト。
ネクタイを選び、出かける際には、その位置まで直してくれる。
そんな生活が始まってから、会社での俺の評判は妙に良くなっていた。
「なあ、川崎。最近、彼女できただろ?」
昼休み、同僚が社員食堂で日替わりランチを箸でつつきながら言った。
「そんなのいないよ」
「噂になってるぞ。最近は身だしなみも整ってるし、顔色もやたらと良いって」
「そうか? 気のせいだよ」
「なんだよ、もう同棲でもしてるのか?」
「……ブフォッ、ブフォッ!」
同僚のその言葉に、鼻から味噌汁が吹き出しそうになった。
身だしなみが整ったのは、オトのおかげだ。ワイシャツもネクタイも、彼女が選んでくれるものに間違いはない。
かつて寝不足でクマを作りながら出社していたのは、夜更かししてゲームをしていたからだ。
だが今では、エヒメが夜中にパソコンの前を陣取り、俺の代わりにレベル上げやアイテム集めをしてくれている。
おかげで、夜にゲームをすることもなくなり、睡眠時間は十分に取れるようになった。
それに、たまに夕食を作りに来てくれる佐藤さんの、栄養バランスの取れた料理も大きい。
——しかし、あれは同棲ではない。
ただの居候だ。
確かに、俺は会社では変わったのかもしれない。
そんな俺を見て、上司が声をかけてきた。
「川崎君、最近頑張ってるね」
「部長、ありがとうございます」
「営業時間内に要件をすべて済ませてくれるって、取引先からも評判いいよ」
部長は喜んでいるが、俺は部屋の連中が心配で、定時までに仕事を無我夢中で終わらせ、帰宅しているだけだった。
「次の昇進、楽しみにしておいてくれ」
そう言って、部長は俺の肩を軽く叩いて戻っていった。
その様子を見ていた同じ課の女子が、にこやかに声をかけてくる。
「川崎さん、凄いですね。今度、前祝いに飲みにいきましょうよ」
彼女は社内でも可愛いと評判で、最近は俺に興味があるような素振りを見せることもあった。
「ああ、今度ね」
俺は適当にそう返して、会話を切り上げてしまった。
——俺は今、それどころじゃない。
帰ってからの毎日の買い物や、部屋の掃除で忙しいんだ。
俺のそんな無頓着な態度が、彼女の闘争心に火をつけてしまったことなど、この時の俺は露ほども気づいていなかった。
「じゃあ、明日にしましょう! 週末なんですから、少しくらい遅くなってもいいですよね?」
彼女が、ぐいと距離を詰めてくる。
「えっ!? 明日? 急すぎないか?」
「いいじゃないですか。明日も『今度』も、同じことですよ」
……一体、何が同じなのか。
よく分からない理屈で、強引に予定を組まれてしまった。
俺はため息を飲み込み、力なく頷くしかなかった。
彼女は、加藤茅春。
俺の一年後輩だった。
帰宅すると、そこは地獄だった。
机の上には、お取り寄せスイーツの『桔梗信玄餅』が開封され、いくつかの空容器が転がっていた。
「オト、違うのじゃ。きな粉を飛ばさぬようにだな、こうやって……」
エヒメは勢いよく、餅に盛られたきな粉を吸い始める。
「……ブフォッ、ブフォッ!」
噴き出されたきな粉が宙を舞う。
「姉様、違いますわ。ネットでは、餅を持ち上げて器との間に隙間を作り、そこへ黒蜜を入れて……」
つまようじから餅が落ち、容器の中の蜜が周囲に飛び散る。
「……やめてくれ、桔梗信玄餅だけは」
「おう、紡。これは、桔梗信玄餅じゃないぞ。『プレミアム桔梗信玄餅』じゃ」
「そうですわ。黒蜜ではなく、あっさりしたハチミツベースの『吟造り』ですわ」
ここにも、異次元の理屈をこねる姉妹がいた。
俺は掃除機をかけながら、明日の帰りが遅くなることを告げた。
「夕飯は佐藤さんに言っておいたから、迷惑かけるなよ」
エヒメは、ご馳走の予感に喜んでいた。
しかし、オトは俺の表情から何かを見透かしているような目つきをしていた。




