第2章 神様、冷蔵庫を漁る
第2章 神様、冷蔵庫を漁る
女と目が合う。
口元に小さな笑みがこぼれた。
「……す、すみません! 部屋を間違えました」
慌てて部屋を出ようとした。
「ああ、気にせんでよい。また遊びに来るがよいわ」
背後から、尊大な声が飛んできた。
——いや、違う。ここは俺の部屋だ。
振り返り、部屋を見渡す。
カーテンにテーブル、モニターにはさっきまでログインしていたゲームの画面。
そして女は、俺のベッドで、なくしたはずのTシャツを着て、残り一本のスティックパンをかじっている。
——この女以外全部俺の物だ。
「……なんじゃ、まだ何か用があるのか?」
あまりにも堂々とした態度に、怖くなった俺は玄関へ走り出した。
「どっ、泥棒! 泥棒です!」
そう叫び、ドアを勢いよく開けた。
ゴンッと鈍い音がした。
ドアの向こうで、隣室の佐藤さんが額を押さえてうずくまっていた。
「すまん! それより泥棒なんだ!」
「泥棒はあなたよ!」
佐藤さんは涙目のまま、鋭く俺を睨み上げた。
「俺じゃない、あいつだ」
ベッドの上を指差すが、そこにはすでに女の姿はなかった。
「どこにおるのじゃ?」
不意に、俺とドアの隙間に女が身体をねじ込んだ。
その拍子に、俺のTシャツの裾がめくれ上がった。
その下から、見慣れない黒いレースの下着がのぞいた。
「やっぱり、あなたが盗んだんじゃない。彼女にまで着せて!」
「佐藤さん、待ってくれ。俺は盗んでないし、彼女でもない」
「彼女でもないのに、部屋に連れ込んで……」
「おお、そうじゃった。お前が欲しがっていた衣は取っておいてやったぞ」
「あのレアアイテムか? いや、そうじゃなくて……」
「やっぱり、下着泥棒!」
「違う! 俺は今、『帰って来た』ところだ」
「『帰って着た』って……あなたまでそれを着たの!?……変態!!」
声を聞きつけた管理人の婆さんが、一階から上がってきた。
「おや、修羅場かい? もう夜だから静かにやっておくれ」
管理人はそれだけ言うと、階段を下りていった。
いつの間にか女は通路に出て、床に座り込んだ佐藤さんの手を取って立たせた。
「お前の縫製は見事だ。糸の締まり、レースの裁断、どれも神への供物として申し分ない」
女は残りのスティックパンを口に放り込んだ。
「……あなた、分かるの?」
佐藤さんの声のトーンが変わった。
女は口をもごもごと動かし、得意げに胸を張った。
「我は絹縫の祖神じゃからな」
その瞬間、彼女の黒髪に挿された花の形のかんざしが、シャラリ、と鈴の鳴るような澄んだ音を立てた。
その音は浮世離れして清らかで、聞いた瞬間に俺たちの言葉は止まった。
二人の世界に置いていかれる俺を横目に、女は佐藤さんを部屋に招き入れ、俺にも顎をしゃくった。
「入ってよいぞ。お前も来い」
「……俺の部屋だから、ここ」
女はベッドの上に鎮座し、その前に、俺と佐藤さんは並んで床に座らされた。
「お前、一体誰なんだ?」
「我は兄媛、かつてこの土地にあった呉服問屋の屋敷神である」
「コスプレの神様的なやつか?」
「おお、あれも良いな。この国は良いお針子を育てるな」
横を見ると、佐藤さんがなぜか目を輝かせて女を見ていた。
「佐藤さん、騙されちゃダメだ!」
「ほう、佐藤と申すのか。……お前、惜しいな」
「……佐藤織恵です」
ベッドから降りた女は佐藤さんに近づき、その身体を立たせた。
佐藤さんが着ているジャケットの肩を小さくつまむ。
袖を折り、ベルトの位置をわずかに変えた。
……それだけだった。
だが、窓ガラスに映る自分の姿を見て、佐藤さんは声を上げた。
「えっ? シルエットが……いえ、重心が……違う……」
「何が変わったんだ?」
「……立ち方まで変わってる」
佐藤さんは呆然としたまま、ガラスの中の自分を見つめていた。
兄媛と名乗った女は、満足そうに口元を緩めた。
そして当然のようにキッチンへ向かうと、冷蔵庫を漁り始めた。




