第17章 祠のあった場所
第17章 祠のあった場所
専門学校の特別講義という大仕事から数日。
当面の生活費を確保し、俺は久しぶりの平穏を噛み締めていた。
そんな休日の昼下がり。
チャイムの音で現実に引き戻された。
ドアを開けると、そこには管理人の婆さんが立っていた。
「川崎さん、ちょっといいかい?」
「他の住人さんから聞いたんだけど。困るんだよね」
「えっ、なんですか?」
——ゴミの日や分別はちゃんとしている。騒音も最低限に抑えているし、ここは角部屋で、隣は佐藤さんの部屋だ。
エヒメやオトが何かやらかしたのかと、冷や汗が背筋を伝う。
「ここは一応ね、単身者用で、同居は規約違反なんだよ」
「同棲なら、事前に許可を取ってもらわんと」
婆さんは持ってきた入居時の契約書を俺に見せた。
そこには、『原則単身者専用』の文字。
「聞くところによると、若いおなごを二人も連れ込んでいるらしいね」
「すいません、違うんです……」
釈明しようにも、言葉が詰まる。
『二人とも神様なんです』とは言えない。
彼女たちが家なき神様で、ここに居候しているなんて、どう説明すればいい?
奥からオトが、心配そうな顔で現れた。
「主様、どうなされました?」
「大丈夫だ。オト、奥に戻ってくれ」
不安そうに背を向け、奥に戻ろうとした時、長い髪を後ろでまとめる髪飾りに、婆さんの視線が釘付けになった。
「……その髪飾りは、どこで手に入れたんだい?」
さらに、部屋の奥からエヒメが出てきた。
「紡、ジャムの蓋が開かぬぞ」
婆さんはエヒメの髪飾りを目にし、今度は口元を震わせた。
「まさか、えひめ様かい……」
震える声に、俺は思わず問い返した。
「……管理人さん、もしかして、彼女たちを知っているんですか?」
管理人の婆さんを部屋に招き入れ、テーブルを囲む。
婆さんは、ポツリポツリと過去を語り始めた。
「わしの先祖は、もともと九州で呉服問屋を営んでいたんじゃ」
「爺さまの代で『のれん分け』し、この地で商売を始めた……」
「屋敷の敷地内に小さな祠を建て、そこに故郷から持ってきたお札を安置したんじゃ」
婆さんはしばらく黙り込んだ。
「……もしかして、その子らは神様かい?」
婆さんのストレートな問いに、俺は観念して頷いた。
「昔、忙しい両親に代わって遊んでくれたのは、いつもこの、えひめ様だったよ。たまに来るおと様も覚えてる」
婆さんは懐かしそうに目を細めた。
エヒメがこの地を選び、そして今となっては小さく寂れた祠となっていた場所。
その真の意味を、俺はやっと理解した。
「おお、あの娘っ子じゃったか」
その時、ガチャリとドアが開いた。
合鍵を持つ佐藤さんだ。
彼女は部屋の空気を読む間もなく、婆さんを指差して叫んだ。
「……川崎さん! また新しい神様ですか!? ストライクゾーン広すぎですよ!」
佐藤さんは感心したようにノートを取り出し、猛烈な勢いでペンを走らせ始める。
「佐藤さん、管理人さんだよ」
「神様の管理人様!」
佐藤さんは、とんでもない誤解を加速させている。
婆さんは苦笑いを浮かべ、話を続けた。
「ちょうど、この部屋のあたりに祠があったんじゃ」
今はマンションの敷地の片隅に追いやられている祠とは、少しの距離があった。
「わしはのう、あの時のえひめ様が忘れられんでのう……」
「呉服問屋を廃業してマンションを建てると決まった時も、祠だけは残したかったのじゃ」
「管理人さんが大切に残してくれたんですね」
婆さんのおかげで、エヒメはここに残ることができたのかと、俺は少し胸が熱くなった。
「あの時の神饌は、なかなかのもんじゃったぞ」
エヒメはテーブルの上の茶菓子を平らげ、緑茶をすすりながら、かつての思い出を懐かしむように言った。
「えひめ様は、あの頃から少しも変わっておられぬな」
婆さんは目を細め、遠い過去を思い出すように笑った。
——すいません、管理人さん。
なぜか、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




