第16章 神々の教壇
第16章 神々の教壇
その日が、来た。
オトはフォーマルスーツという戦闘服に着替えていた。
いつもの、俺のワイシャツを一枚羽織っただけの、あの無防備な姿の面影はどこにもない。
——確かに男子学生には刺激が強すぎるな。
一方のエヒメも、佐藤さんに借りたリクルートスーツで武装していた。
「少し胸がきついな。まぁ、ウエストは余っておるがの」
「ありがとうございます。兄媛様」
エヒメの言葉に、佐藤さんは深々と頭を下げている。
——佐藤さん、早くディスられていることに気がついてくれ。
「ふふ、馬子にも衣裳ですわね」
エヒメを足元から順に、値踏みするように視線を移していくオト。
——これは、一応褒めているのだろうか?
「今日はよろしくお願いします。学校のみんなも、本当に楽しみにしていますから」
「佐藤さん、俺もついていっていいのか?」
「はい、川崎さんもマネージャーとして先生に申請してありますから」
場違いのような気がしていたが、エヒメが心配だった。
あの『歩く破壊神』のエヒメを一人で放り出すわけにはいかない。
俺は有休を取り、保護者としての使命感だけで、重い腰を上げた。
移動中の電車内でも、到着した服飾専門学校の校内でも、彼女たちはとにかく目立っていた。
すれ違う何人かの生徒は、まるで本物の神を見るような目つきで硬直している。
——いや、一応本物なのだが。
特に男子生徒たちは完全に心を奪われたような視線で、彼女たちの後ろ姿をずっと追っていた。
その熱い視線を浴びながら、オトは格式高い美の女神らしく、実にあざとく、満足そうに微笑んでいた。
チャイムが鳴り、オトが教壇に立った瞬間、教室の空気がガラリと変わった。
凛とした佇まいで教壇に一歩踏み出した彼女は、まさに衣服の秩序を司る美の女神そのものだった。
「それでは、本日の講義を始めます。現代の型紙理論は少々窮屈に過ぎます。衣服とは、肉体という立体をいかに優雅に包み込むかです」
手元に用意されたトルソー(マネキン)へ向かうと、一切の迷いなく布をあてがい、超絶技巧の立体裁断を目の前で披露してみせた。
ハサミとピンがまるで魔法のように動き、一瞬にして完璧なシルエットのドレスの原型が組み上がっていく。
「……嘘、早すぎる……」
「なんて綺麗なドレープ(ひだ)のラインなんだ……!」
学生たちから息を呑む声が漏れ、教室中が大絶賛の渦に包まれる。
あまりの神ワザに、ノートを取るのすら忘れて見惚れる生徒が続出した。
エヒメは実習机の間を回り、苦戦している生徒の隣にそっと寄り添っていた。
「そこは肩の力を抜け。布の声を聴くのじゃ」
その声は驚くほど穏やかで温かい。
「ほら、こうして指先で生地の目をなぞり、逆らわずに針を通す……。そうすれば、布もお主の身体に馴染みたがってくれるわ」
エヒメは生徒の手元に自分の手を重ね、優しく、包み込むようにその極意を教えていく。
指導を受けた女子生徒が、パッと顔を輝かせた。
「あ……本当だ。すごく縫いやすい!」
朝廷の格式を作り、美の頂点に君臨したオト。
大衆に寄り添い、衣服の技術を広め愛されたエヒメ。
——やはり彼女たち姉妹は、最高の技術集団のトップで、この国に衣服をもたらした本物の『服飾の神』だな。
俺の心配は空振りに終わった。
帰り道、俺はオトに尋ねた。
「エヒメって、昔はあんな風に教えていたのか?」
「私は離れていたので詳しくは知りませんが、姉様の弟子たちは、国中におります」
「それに、前に言っていた、八幡様より『もっと凄いお方』って誰なんだ?」
「宗像三女神様ですわ。最高峰の格式を持つ高貴な美神の彼女たちに、姉様は直々に仕えぬかとスカウトされたのです」
あのプライドの高いオトが、自ら『高貴で美神』と認めるほどの存在。
一体どれほど凄まじい神々なのだろうか。
労働の報酬として買わされたチーズケーキを、ワンホール丸ごと一人で平らげそうな勢いのエヒメが、そこでどのような生活をしていたのか、まるで想像がつかなかった。




