第106章 誰かの代わりではなく
第106章 誰かの代わりではなく
新幹線で、夜の大阪駅へと戻ってきた。
改札を抜け、合流するためにクレハへ連絡しようとスマホをポケットから出そうとした、まさにその時だった。
「どーん!」
背後からそんな元気な効果音と共に、柔らかい衝撃が背中にぶつかってきた。
「あのな、クレハ。もう少しおとなしい登場の仕方はできないのか?」
振り返ると、そこには悪戯っぽく笑うクレハが立っていた。
「へへ、紡くんがまだ泣いとる思たからさ、元気付けたげよう思てな!」
「泣きながら新幹線乗ってたら変だろ?、もう、大丈夫だよ。エヒメのことも、市杵島姫様が預かってくれてるしな」
「そうやな。市杵島姫姉様のところにおるなら、そっちの方がウチらも安心やわ」
クレハは胸を撫で下ろすように息を吐いた。
そこで、俺は周囲を見渡しアナハの姿を探した。
「……アナハは? 一緒じゃないのか?」
「あー、アナハな? 『今回は絶対に来たくない』って引きこもってしもたんよ。市杵島姫姉様に会った直後に会うたら、自分が見劣りする思われたら嫌なんやて」
そんな妹の伝言を口にするクレハに、俺は苦笑して、つい本音を口にした。
「そんなことないぞ。お前らも、すごく綺麗だぞ」
「…… 褒めたってなんも出えへんで!」
クレハは、耳まで真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……それで、どこに向かうんだ?八幡様に直接会うために、縁の深い八幡宮に行こうって話だったろ」
「ここからやったら『石清水八幡宮』やな」
「京都の、あの大っきい神社か?」
「そや! っちゅうわけで、まずは『おけいはん』に乗るで!」
「おけいはん……?」
「ほら、行くよ!」
クレハは俺の手を引いた。
大阪駅の雑踏を抜け、梅田へと移動する。
改札をくぐり、クレハの言う『おけいはん』京阪電車へと滑り込んだ。
夜の京阪電車『おけいはん』の車両は、京都方面へとひた走る。
車窓の外には、暗闇の中に大阪と京都の境界に広がる街の灯りが流れていた。
並んでシートに腰掛け、電車の心地よい揺れに身を任せながら、俺は隣のクレハに声をかけた。
「……なぁ、クレハ。八幡様に会えば、オトの居場所がわかるのか?」
「オト姉様もな、八幡様のところで一緒に合祀されとるから……きっと、居場所を知ってはるはずやわ。たぶん……」
そこまで言って、クレハはふと窓の外に向けていた顔をこちらに戻した。
その表情には、いつもの悪戯っぽい光はなく、驚くほど真剣で、どこか切実だった。
「……紡くん。八幡様に会ったらな、絶対に『俺の代わりに』とか、『自分はどうなってもいい』とか、そんな言葉は言わんといてな」
あまりに突然の言葉に、俺は少し驚いた。
「……言わないよ。どうして、急にそんなこと言うんだ?」
俺が問い返すと、クレハは小さく息を吐き、静かに語り始めた。
「八幡様の若君……宇治稚郎子様っていう、もの凄く聡明な皇子様がおられたんや」
「応神天皇(八幡様)は、その一番下の弟君を次の天皇にって指名して崩御されたんやけど……宇治稚郎子様は、『長男であるお兄様(仁徳天皇)が継ぐべきや』って、譲らはったの」
クレハの声が、夜の車内に低く響く。
「でもな、お兄様もお父さまの遺言を守ろうとして、頑なに譲り合ったんや。そうして三年にわたって皇位の譲り合いが続いたんや」
「……三年も」
「お兄様に、どうしても皇位を継がせるために……これ以上、自分が生きていては国が定まらんと思って……自ら命を絶たはったんや」
クレハの言葉が、胸に突き刺さる。
その瞬間、俺の頭に、数時間前の宮島の景色が蘇った。
『我が始まりなのであれば……我を消しても構いませぬ! だから、この者の希望を叶えてやって欲しい!』
あのエヒメの悲痛な叫びが。
「八幡様はな、誰よりも、その『自己犠牲』の悲しみと痛みを近くで見てこられた神様なんや。だから……」
クレハは俺の右手を、両手でそっと包み込むように握り締めた。
「誰かを救うために、自分が消えればいいなんて言葉……八幡様の前でも、ウチらの前でも、絶対に言わんといて」
「……クレハ」
クレハは、俺をじっと見つめる。
俺は市杵島姫様がエヒメを預かった理由に気づいた。
「わかった。言わないよ……。自分を犠牲になんて、絶対にしない」
俺が真っ直ぐに答えると、クレハは張り詰めていた表情をようやく緩めた。
そして、どこか安心したように、小さくうなずいた。




