第105章 ひとりやない
第105章 ひとりやない
夕暮れの海沿いに、俺は一人、立ち尽くしていた。
さっきまで確かに隣にいた、エヒメの姿は、もうどこにもない。
波の音が、静まり返った世界にやけに大きく響いていた。
「どうすれば……どうやって、オトを探せばいいんだ……」
ぽつりと呟いた言葉は、容赦なく潮風に掻き消される。
もし、探して簡単に会えるなら、彼女が消えたあの時に、俺はとっくにそうしていただろう。
——結局、俺は無力な普通の会社員なんだ。
エヒメ一人すら守れず、市杵島姫様に預けることしかできなかった己の無力さが、どうしようもなく悔しい。
じわじわと込み上げてきた涙で、視界が歪んで滲んでいく。
俺は溢れそうになる涙を拭うため、ジャケットのポケットに手を突っ込み、ハンカチを引っ張り出した。
そして、それで目元を拭おうとした瞬間……思わず動きが止まった。
夕暮れの光に照らされたその白い布地には、見覚えのありすぎる手の込んだ手縫いの刺繍が施されていた。
『泣かないで 主様 穴織 LOVE』
「なんで知ってるんだよ!」
これから俺が泣くことを予期していたかのような、アナハのメッセージ。
けれど、そのあまりにもいつも通りで破天荒な愛に、胸の奥の強張りがフッと解けるのを感じた。
俺は涙を拭い、右の手首に目を落とした。そこには、夕日に赤く染まりながらも、鮮やかな色彩を放ち続けるあの『組紐』がある。
「……また、お前たちに頼っていいか?」
静かに、けれど確かな決意を込めて、俺は手首の紐に話しかけた。
現状を打開するため、俺はスマホを取り出した。
新大阪で別れたばかりクレハに電話をかけた。
数回の呼び出し音の後に、クレハの明るい声が響く。
『なんや、紡くん。泣いとるんか?』
「お前もなんで知ってるんだよ! 監視カメラでもついてんのか!?」
思わず画面に向かって全力でツッコミを入れてしまった。
涙は、もう完全に乾いていた。
俺はクレハに事情を話した。
「……オトを探す方法はないか? 例えば、アナハの目で見てもらうとか」
俺が尋ねると、スマホの向こうからクレハの少し困ったような、けれど優しい声が返ってきた。
『うーん、アナハにはそこまで見えへんみたいやわ。実はウチらも前、探したことあるんやけど……』
「そうだ! 八幡宮とかはどうだ?俺のところに来る前に渡り歩いてたって言ってたし」
『うわぁ、紡くん、それ全国に四万社以上ある八幡宮から探すんか? 気ィ遠くなるわぁ……。……あ、そや!』
何かを閃いたように、クレハの声が弾けた。
「なんだ、どこか目星があるのか?」
『ううん、神社を探すんやなくて、八幡様に直接会おうや! ウチ、ついてったげるわ!』
「は!? 八幡様に会うって……神社じゃなくて神様本人にか!?」
『そう。ウチらも昔馴染みやしな。今の紡くんの縁(糸)の強さがあれば、そこらへんで会えるわ』
「……なんか、随分いい加減だな」
クレハのそのあまりに楽観的なトーンに、俺は張り詰めていた肩の力が抜け、思わず吹き出してしまった。
『じゃあ、大阪駅で会おう』
スマホの向こうで、嬉しそうに笑うクレハの声。
顔を上げると、瀬戸内海を照らす夕日はどこまでも赤く、けれど不思議ともう、寂しさは感じなかった。
新たな目的地へと歩き出すべく、宮島のフェリー乗り場へと向かって走り出した。




