9.予想外
知らせは突然だった。
「王都の外れに魔物が発生したの?」
「そのようだ。俺たちも支度をして急ぎ向かわなければ」
「わかった。すぐに準備するわ」
それはいつもと同じ任務要請。普段はこういう討伐任務は騎士団で収めるものなのだけれど、今回は場所が王都ということもあり、念には念をいれて、私たちにも出動要請があった。
けれど、こんな任務は月に1〜2回はある、なんてことのないお仕事だ。サクッと終われば、こっそり帰りに街へ寄り道ができるかもしれない。そんな軽い気持ちで私とヴィクトルは街へ向かった。
「うわぁ……派手に暴れてるぅ……」
王都の外れについた私は、頭上を飛び交う魔物の群れに顔を引き攣らせる。
「これ、災害レベル2って聞いてきたけど、4は行ってるな。国軍に出動要請が出てるから、じきに制圧できると思うけど」
「とりあえず、怪我人に治癒魔法をかけますね」
「感謝する、聖女セレーネ。サポートする」
ヴィクトルはそう言って騎士らしい礼をする。少し距離を感じる瞬間ではあるけれど、私はこの礼が好きだ。任務に誠実な彼の人柄が伝わってくるから。そして、本当に邪な感情で恥ずかしいけれど、今この瞬間だけは、彼は私のためにいると思えてドキドキしてしまう。
……と、目の前に怪我をした人を見つける。こんなことを考えている場合じゃない。しっかりしなきゃ! 私はぱちんと自分の頬を叩くと、任務についたのだった。
ヴィクトルの魔力を借り、防御結界を展開してもらいながら、私はたくさんの怪我人に治癒魔法をかけ続けた。
王都の外れだけあって、街にあまり人はいない。怪我人もそこまで多くなくて、早期に到着した国軍の活躍のおかげもあって事態はすっかり収束していた。
すっかり落ち着きを取り戻した街を前に、私は周囲を見回す。
「もう怪我人はいないかしら……? 魔物が発生しづらくなるよう、この辺りの瘴気を浄化してから帰った方がよさそうですね」
「ああ、そうだな」
ヴィクトルはそう言って手を差し出す。私は心臓がドキドキするのを悟られないようにしながらそれを握り、彼の魔力を借りる。
浄化には多くの魔力を使う。この状況なら、使える分だけ魔力を使い切っても問題ないだろう。近くには国軍もいるし。
なお、彼は公爵家の嫡男という生まれもあり、魔力量が豊富だ。何も知らなかったけれど、英雄として相応しい人だと思う。
「……あなたのこと、女たらしの英雄、って誰が言ったのでしょう?」
そんな場合ではないとわかっているのに、かつての自分の勘違いが思い浮かんできて笑ってしまう。するとヴィクトルは苦笑した。
「こんなときになんだ? あれは憶測が憶測を呼んで広まったどうでもいい噂だ」
「ですよね」
視線を逸らしたまま繋いだヴィクトルの手に、力が込められる。
「だが、少しだけ後悔もある。もう少し女心というものを学んでおけばよかったと。……いざ好きな人を前にしても、大事すぎて動けないんだ」
急な言葉に息を呑む。鼓動が速くなる。
私はゆっくりと顔をあげた。さっきは逸らしていたはずの紫水晶の瞳がこちらを見つめていた。
彼の「好きな人」が誰のことなのかわかってしまうのは、私が未来を知っていたからでも、自惚れているからでもない気がする。
「……【浄化】」
まっすぐな彼の瞳に射抜かれて動けない私は、ただ浄化魔法を使った。周囲に残っていた瘴気が澄み切ったものへと変わっていく。
「聖女セレーネ。俺は」
ヴィクトルは自分の結婚の中止が叶わなかったことをよく理解している。しかも相手は末席とはいえ隣国の王女。離縁は容易ではない。その中で聖女と恋仲になることが、聖女セレーネにとって醜聞だということを知っているからこそ、距離を置いてくれていた。私も彼のそんな誠実なところに惹かれていた。
「俺は、もう今のままではいられな――」
彼の次の言葉を待つ私の視界に、よろよろと走る少年が見えた。何かに怯えている彼は転んで後ろを振り返る。
「危ない!」
彼の後ろには、魔物が迫っていた。すぐそばに国軍はいるけれど、この瞬間には間に合わない。
少年は10歳ぐらい。反射的に義弟ルキウスを思い浮かべた私は、考える前にヴィクトルの手を振り払って走り出していた。そうして、上空から振り下ろされる魔物の爪から少年を守るように覆い被さる。
目を閉じて、すぐに訪れる背中を切り裂く衝撃に備えたはずだったのに。
何も来ない。
「……?」
代わりに、背後からヴィクトルの声が聞こえた。
「聖女セレーネ、大丈夫、か?」
目を開ける。私の腕の中では少年が震えていた。後ろを振り向くと、私たちを守るようにヴィクトルが覆い被さっている。一瞬、代わりに彼が傷を受けたのかと思ったけれど、周囲には防御結界が貼られている。
浄化のために魔力を使い果たしたはずだったけれど、間に合ったみたい。よかった。
「はい……ありがとう……」
震える声で応じると、ヴィクトルは安堵したように息を吐いた。それは、今まで聞いたことがないほど深いもので。心配をさせたことが伝わってきて、心底申し訳なくて、思わず涙がこぼれそうになる。
私の無事を確認したヴィクトルは立ち上がると、剣を抜いて魔物を斬った。地面には魔物が落ちる音がする。私は少年に向き直って問いかけた。
「大丈夫? 怪我はない?」
「うん! 二人ともありがと!」
「いいえ。ご両親のところまで送りましょうね」
「ううん、大丈夫。それよりも、お兄さんを手当してあげて。聖女なんでしょう?」
「え?」
心配そうな少年の声に、私は首を傾げた。そうして恐る恐る振り返る。
そこには、ヴィクトルが倒れていた。
「ヴィクトル!?」
慌てて駆け寄り、彼の体に触れる。背中に深い傷を負い、そこから大量の血が流れていた。おそらく、魔力を使い果たしていたため、防御結界の強度が十分ではなかったのだろう。
ヴィクトルは血の気がない白い顔をして、瞼をうっすらと開ける。
「申し訳ない。……この状態では、君を守ることが…できない。すぐに他の聖騎士か国軍の側に」
「こんな状態なのに喋らないで!」
それでもまだ私の身の安全を優先しようとするヴィクトルに、涙が出てくる。この怪我は救護班や治療院では手に追えないレベルのものだ。
それこそ、神殿の奥にいる聖女でないと。
私は彼の背中に手を当てた。私が何をしようとしているのか察したらしいヴィクトルは呻くように声を漏らす。
「だめだ」
「黙っていてください」
「お願い……だ、やめてくれ……そんなことをしたら、」
私がどうなるのかはわかっている。聖女は魔力量が少ない。上限を超えて使い果たせば、聖女の力は失われるか、最悪死に至ることもある。そして、このヴィクトルの怪我を治療するのには、大量の魔力が必要なのは誰の目にもあきらかだった。
今、私は聖騎士の助けなしでそれをやろうとしている。
手のひらに意識を集中させて、魔力を放出する。いつもヴィクトルに借りているものだ。使い方はよくわかっているし、いつもの何倍も早く体内から魔力が奪われていくのがわかる。
私の手のひらから出た光は、治癒魔法となってヴィクトルを包んでいく。金色の光だ。ああ、五年前に私が召喚されたときみたいだなって思った。
瞬間、公爵家に帰還した旦那様のやつれた青い顔がはっきりと思い浮かぶ。
そっか。彼はきっと、助かるんだ。私が助けられる。よかった。それにしても、五年間も放置した妻との初対面があの顔ってどうなの。隈がひどすぎたんだけれど? ごはんを食べてって繰り返し伝えてきたけれど、よく寝ても言えばよかったかな。
でも、とにかくよかった。ヴィクトルは助かるのだ。よかった。私、聖女でよかった。
白くなる視界の中で、私の意識は消えていった。





