10.ヴィクトルの憔悴
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「――聖騎士、ヴィクトル・グランティスに三ヶ月間の休暇を与える」
ヴィクトルに大司教から訓示があったのは、王都の外れに魔物の群れが現れた一週間後のことだった。
神殿でそれを受けたヴィクトルは真っ向から反論する。
「お言葉ですが、大司教様。私に休暇などいりません。どうかいつも通り働かせてください」
「先日、新しい聖女様が召喚されたのは知っているだろう? 帝国の第三王女で、もともとお前のファンだったらしく、契約を結ぶ聖騎士に貴殿を指名している。面倒に巻き込まれたくなければ、すぐに公爵家へ戻れ」
そこまで言われてしまえば、拒否はできなかった。何よりも、彼女がいなくなってしまった今、ほかの聖女と契約を結び、身を挺して守る気になどなれないのだ。
「……御意」
ヴィクトルは力無く応じると、神殿を後にした。大司教も、聖騎士の同僚も、皆、ヴィクトルと聖女セレーネに何があったのかは知っている。いつも通りの会話を投げかけてはくるけれど、そのことには誰も触れないのだった。
皆の優しさが身に沁みつつ、馬車に乗った。
グランティス公爵家の本邸へは、馬車を丸一日走らせれば到着する。聖騎士としての任務に就く王都からは絶望的に遠いわけでもない。
だから五年前は、ブリュンティア王国の第十二王女を妻として迎えたら、王都と公爵邸を行き来する暮らしをしようと思っていた。
だからこそ、聖女と一心同体でないといけない聖騎士としての契約を拒んだ。結果的に、召喚された聖女の魔法陣にはなぜか自分の名前があり、任務から逃れられなくなってしまったが。
「何もしたくないな……」
馬車に揺られながら、セレーネのことを思うばかりだ。彼女を初めて見たとき、不思議な印象を抱いた。
ヴィクトルは美人には見慣れていたが、セレーネにはそれだけでなく意志の強さというか、不思議と滲み出る尊さのようなものを感じた。聖女として召喚されることが多い貴族令嬢にはない奇特さを。あれはなんだったのだろう。
思えば、その時点で惹かれ始めていたのかもしれない。けれど、今となってはもう伝える手段はない。
途中、馬替えのために町へ立ち寄った。何もする気が起きないため、そのまま馬車の中で過ごしていると、扉が開いて御者が顔を見せた。そうして、心配そうに紙袋を差し出してくる。
「旦那様、何か召し上がってください」
紙袋の中にはサンドイッチと水が入っていた。もしここにセレーネがいたら、ありがたく食べろと怒りそうだ。というか、自分の分もくださいとクレームをつけてきそうな気がする。想像するだけで、頬が緩む。
「ありがとう」
「ではこのまま出発します。公爵邸まであと六時間ほどですよ」
はにかんだ笑みを浮かべた御者は扉を閉めた。
全く食べる気にはならないが、ヴィクトルはサンドイッチを口に運ぶ。味がしない。まずいなどと言ったら、セレーネは怒るだろうか。そういえば、彼女は神殿で出される食事にいつも感動していた。
大司教様の召喚魔法の影響で、彼女は自分の出自に関することは喋れなかったのだが、幼い頃の境遇があまり良くなかったことは容易に想像できた。幼い頃の彼女が食べていた食事は、このパンとどちらがましなのだろう。味のしない食事を水で流し込む。
とにかく「ごはんを食べてください」と言っていた彼女を想いながら。
それからぴったり六時間。見慣れた景色が馬車の窓に見えてきた。五年ぶりに帰る屋敷は、いつもと変わらないように思える。
「やらなければいけないことがたくさんあるな。まずは離縁だ」
この屋敷には五年前に結婚をしたリスティアという女性がいる。ヴィクトルは結婚の中止を申し入れたのだが、政略結婚だったこととリスティア本人の希望でそれは叶わなかった。
けれど、一生忘れずに想う女性がいる以上、彼女を妻としておくことはできない。もちろん、補償は十分に与えるつもりだし、彼女が望むのならどんなことでも叶えるつもりだ。そしてどんな批判も受け入れる。とにかく、相手は元王女だ。きちんと対処しないといけないだろう。だが今は少し休みたい。
屋敷の前に馬車が止まって、御者が扉を開けてくれた。
馬車を降りたヴィクトルは、重い足取りで公爵家のエントランスへと足を踏み入れる。
ほんの少し前に出していた先触れのおかげか、弟ルキウスのはしゃぐ声が上階の廊下から聞こえてきた。
いつもなら癒されるはずだが、その声が形ばかりの妻を呼んでいることに気がついて気持ちがさらに暗くなる。
ヴィクトルが愛した聖女セレーネは、あの日、ヴィクトルの怪我を治して忽然と姿を消した。
神殿の命を受けた聖騎士たちが必死で探したが、いまだに消息はつかめていない。





