6.聖女召喚
˖ ࣪⊹
「――その身を、この地に繋ぎ止めよ!」
衝撃とともに、私は石畳の床へと叩きつけられた。
痛い、痛すぎる。あの寝室にはふかふかの絨毯が敷き詰められていたはずだ。こんなに冷たくて硬い石の床じゃなかった。
「一体、なんなの……」
つぶやいて、ぐらぐらと揺れる視界の中顔を上げる。金色の光はすっかり消え失せていた。
視界に映るのは知らない景色。ついさっきまでいたグランティス公爵家の華やかなお屋敷とはまるで違う、厳かな空間だった。
石の床。白い壁。高く天井まで伸びるゴツゴツした柱。その天井はどんなに顔を上げても終わりが見えない。ここまで高い天井は初めて見たかも。ここは特別な大聖堂……いや、神殿だ、と直感する。
壁に埋め込まれたステンドグラス、煌々と差し込む美しい光。そして呆然とし続ける私を、数人の男性が見つめていた。当然、さっきまで私を抱きしめていた旦那様は見当たらない。
「聖女様だ!」
誰かの声に頭が混乱する。待って。聖女様って何? どこにいるの? まさか私でしょうか?
確かに私はブリュンティア王国の末席王女だった。場合によっては聖女に選ばれる可能性もあったので、相応の教育を受けて育った。けれど、結局聖女として召喚されることがないまま、私はグランティス公爵家に嫁いだのだ。
けれど、今さら聖女として召喚されるなんて――。
「あの、私……」
暗い部屋から突然明るいところに来たので、目が慣れない。部屋に数人の男性がいることはわかるけれど、誰がいるのかなんて全く把握できていなかった。
その中で声が響く。
「大司教様……! 大丈夫ですか! 大司教様!」
見ると、少し離れた場所で年配の男性が胸を押さえて床に膝をついていた。それを周囲にいる聖騎士たちが心配そうに取り囲んでいる。その中に見覚えがある人がいる気がする。あれはまさか。
「ヴィクトル・グランティス様……!?」
思わず声に出すと、彼はこちらを向いた。
「なぜ私の名を知っているのですか?」
めちゃくちゃ怪訝そうな声。ついさっきまで私が聞いていたものより、幾分か若い気がする。そしてなぜ知っていると言われましても、私はあなたの妻ですし、いえ、押し掛け妻かもしれませんが。
ここで口にしてはいけない類の言葉を頭の中で考えていると、膝をついていた男性を心配そうに覗き込んでいた、ヴィクトル様とは違う聖騎士が私に声をかけてきた。
「聖女様。召喚されてすぐで申し訳ないが、大司教様の治癒をしていただけませんか?」
「あの、全く意味がわからないのですが」
正直に答えると、彼は目を泳がせた。
「あなたは聖女様ですよね? 治癒魔法は使えませんか?」
「治癒魔法。……できるかもしれないです」
聖女候補だった頃、一通りは教わった。とはいえ、お祈りの方法を知っているだけで、本当に力が発動するのかはわからない。聖女とは召喚されて初めて力を発揮できるものらしいからだ。
私はおじいちゃん……じゃなくて大司教様と呼ばれている人の元へと急いだ。そしておじいちゃんの前に跪くと、両手を胸の前で組み、祈りを捧げた。
すると、温かな光が湧き上がった。なにこれ。すごい。聖女候補として学んでいた頃は、お祈りをしてもこんなことは絶対に起きなかったのに。
私から湧き上がった光は、おじいちゃんを包み込んで光らせた。キラキラと光ったおじいちゃんは、ついさっきまで呼吸が苦しそうだったのが少しだけ楽になった様子だった。おじいちゃんはキラキラした笑顔で言った。
「ありがとう、当代聖女よ。わしは病気じゃ。本来、聖女の癒しで回復することはない。だが、確かに楽になったぞ。貴殿は確かに聖女じゃ」
「はい……?」
さっきから、私にとってはありえないことの連続だった。失恋で傷心の旦那様に抱きしめられ、公爵邸から神殿に召喚され、聖女の力を行使しておじいちゃんを光らせ、お礼まで言われてしまった。
状況を受け止めきれず、間抜けな返事をするしかない私をじっと見つめていた大司教様が、真剣な様子で呟く。
「貴殿は異国の聖女か。魔力の気配がそう言っている」
「ええ……確かにそうと言えばそうだとは思いますけれど」
そう答えつつ、他にももっと重要な問題があると思う。それは。
「あの、つかぬことをお伺いしますが……今って何年でしょう……?」
問いかけると、横でそれを見ていたヴィクトル様が怪訝そうに答えてくれる。
「今日は帝国歴2630年春の月1日だが」
「……」
なんですって。
私がついさっきまでいたのは帝国歴2635年だったはず。ヴィクトル様がいう通り、今が本当に2630年なのだとすると、ちょうど五年前だ。
それはまさに、私がヴィクトル様に結婚式をすっぽかされた年で。ちなみに明日、春の月2日は結婚式をすっぽかされて壮絶な空気の食事会を捌いた記念日でもあります。
待って。待って。そんなことある? 頭の中に思い浮かんだ、わずかな可能性をかき消す。
だってそんなはずはない。まず聖女召喚が時空をねじ曲げた形で行われた事例なんてない。けれど現実に起きている。夢なら覚めてほしい。
混乱してヴィクトル様の言葉に何も返せないでいる私の耳に、大司教様の声が響いた。
「……聖女様を召喚するのに使った魔法陣に、妙な言葉が書き加えられているようだのう。聖女セレーネは聖騎士ヴィクトル・グランティスと固い誓約を交わす――? どういうことじゃ」
おじいちゃんこと大司教様は、石の床に膝をついて私を召喚した魔法陣を興味深そうに読み解いている。
「あ」
それってもしかして、私が召喚される直前にヴィクトル様が何やら呪文を唱えていたからではないだろうか。彼はあの場で私を繋ぎ止めることには失敗したけれど、抵抗した形跡が魔法陣に残ったのでは?
すると、私が知っているのよりも幾分少年らしい顔立ちをしたヴィクトル様が、眉間に皺を寄せて私を見つめるのだった。
「あなたは聖女セレーネというのか?」
「いいえ、私は――、???」
私はリスティアだ。本当のことを話そうと思い、口を開く。けれど、なぜか言葉が出ない。しゃべっても音にならず、口も自分で想像しているのとは違う形に動いている気がした。
どういうこと。全てに戸惑い、おかしな質問を投げかけてくる私の様子を見た大司教様は、少し考えた後で顎に生えている長いヒゲをゆっくりと撫でる。
「わしが病気なせいで、かなり無理矢理な召喚だったからのう。色々と歪みが生じているようじゃ」
歪みどころの話ではないと思います……!





