5.まさかの初夜
ヴィクトル様が公爵家に戻ってきて、一週間ほど経った日の夜。
今日は満月。気持ちいい月夜なのに、なぜか私は白いナイトドレスに身を包み、夫婦の寝室に押し込められていた。
「いやなんで?」
「形だけでもどうか、と家令のジェームズさんが」
あまりの事態に淑女らしい言葉がどこかへいってしまった。思わず素で突っ込んでしまった私だけれど、侍女は諦めず心底申し訳なさそうにナイトドレスの上のガウンを引き剥がす。抵抗したものの、ガウンは私の手を離れていった。どうして。
けれど、私が着ているのはよくあるすけすけのナイトドレスではなく、フリルとレースでできた一般的なナイトドレスなことに気遣いを感じる。でもこれとそれとは話が別だと思う。だって。
「ヴィクトル様だって迷惑だと思いますけれど!? だって聖女様に失恋で傷心中なのに、五年間も放置した妻の相手を押し付けられても困りますよ!?!? というか旦那様かわいそう! ジェームズさんの鬼! 悪魔!」
「どうかそこを! 隠居している大旦那様方にご報告できないとまずいんです」
「えええ……」
なるほど。これは、平穏に暮らすための儀式のようなものなのだろう。もともと私がこの家に居座れたのも、政略結婚であることに加えて、ヴィクトル様のご両親がそれを許してくださったからではある。無関心とも言うかもしれないけれどね。
腹を括って諦めるしかないと悟った私は、大人しくベッドの上に座った。汗だくでガウンを脱がし切った侍女はしきりに頭を下げて部屋を出て行く。仕方がない。ヴィクトル様には事情をお話しして、すぐに部屋から出ていってもらおうと思う。
向こうだって、不本意に違いないのだから。
ほどなくして、夫婦の寝室の扉が開いた。そこから入ってきたのは、シャツにトラウザーズというラフないでたちをしたヴィクトル様だった。
「は?」
ベッドに腰掛ける私を見て、彼は心底驚いた顔をして固まっている。どれぐらい驚いているかというと、紫水晶の瞳がこぼれ落ちそうなくらい。そして目の下の隈が濃い。きっとこれは失恋のせい。見ていたら、またかわいそうになってきてしまった。
私の中でかわいそう代表になったヴィクトル様は呆然として続けた。
「ジェームズに話があると言われてここへきたのだが……」
「ご愁傷様です。騙されましたね」
私の中で、ヴィクトル様のかわいそう度がまた上がる。
夜に、家令が、夫婦の寝室を指定して呼び出し。そんなわけないじゃないですか。そして、明らかに寝支度が整っていない彼に対して、私だけナイトドレス。さっきの、配慮への感謝は撤回したい。
そして意外なことに、ヴィクトル様は戸惑ってはいるけれど、怒っている様子はなかった。普通、離縁したい相手にこんなことをされたら、激昂してもおかしくないものなのに。むしろ、私がここにいることに全く違和感も不快さも感じていないようで、こちらの方が気後れしてしまう。
でもこれなら問題なさそうだ。初夜を遂行することなく、この部屋を出て行ってくれとお願いすれば、きっと彼はあっさり従ってくれるだろう。
むしろ私が何も言わなくても「君を愛する事はない」とか言っていなくなってくれるのではないか。そして夫婦としての責任からはしばらく解放される。よかった。
しかし、私の楽観的な見通しとは真逆。事態は明後日の方向に動いた。
私を一瞥し、白いナイトドレスを身に付けているのに気がついた旦那様は、ひどく焦ったようにしてこんなこと仰ったのだ。
「そのドレスを、すぐに脱いでくれ」
……はい?
今、なんとおっしゃいましたか。
あまりの言葉に、あっけにとられて何も返せないでいる間に、ヴィクトル様は私の側へと近寄ってきた。あまりにも素早い身のこなしにびっくりしてしまう。さすが聖騎士。
「いいから、そのドレスをすぐに脱ぐんだ」
「いや!? 嫌ですけれど!? 寒いですし!」
ちょっと待ってほしい。なんでこんな展開に。そして不思議なことにヴィクトル様は私のナイトドレスを脱がそうとしているけれど、別にその先の色事には全く興味がなさそうだった。それはそれでどういうことだよと問い詰めたいけれど、本当になんでこんなことに?
私たちの攻防はしばらく続いた。そして、こんな状況なのに彼はなぜか紳士で私の肌に直接触れないように気をつけてくれている。だからドレスは脱がせられるはずがない。
いやなんでこの人本当にこんなことしてるの? そもそも触らないなら脱がせる必要なくない? いや別に触って欲しくはないですけれども! しかし目の下に黒い隈を作り、青い顔をした彼は本当に必死に見えた。
「脱ぐんだ……!」
「わかりました! 脱ぎます、脱ぎますから、その前にお話を……!」
仰っていることが明らかに変態寄りすぎる。けれど、これには何か深刻な事情がありそうだ。まずは話を聞いてみるべきなのかもしれない。そう思い、顔を上げたところで、私は自分の体が金色の光に包まれているのに気がついた。
「えっ、なにこれ!?」
よく見ると、金色の光だけではない。私の足元には小さな古代語で書かれた不思議な模様が浮き出ていた。これを私は知っている。なぜなら、聖女候補だった頃に習ったから。
――これは、聖女を召喚する魔法陣だ。
「やはり君が!」
「え?」
「……今夜だったのか。クソッ」
全く何が起きているのかわからない私だけれど、一人で何かを勝手に納得したらしいヴィクトル様は美しいお顔に似合わないスラングを口にする。その間にも、光輝く魔法陣から古代語が浮かび出て空中に浮遊し、私を包み込む。
それを見たヴィクトル様は険しい表情で私を抱きしめた。想像以上に力が強い。全てがわからなくて困惑する。なんで?どうして???
「聖騎士ヴィクトル・グランティスの名において命ず。聖女セレーネは我と誓約を交わしたる者――」
ヴィクトル様はつい数秒前まで私のドレスを脱がそうとしていたと思えないほど、真剣な瞳で呪文の詠唱を始めた。
聖騎士の名前を用いた詠唱はごく一部のものしか使えない高位魔法だ。彼は、任務中でもないのにそれを駆使している。まって。本当に一体何が起きているの。誰か説明して!
けれど、ヴィクトル様の抵抗虚しく、私の体はあっという間に光に包まれていく。眩しくて何も見えない。もしかして、私、どこかへ召喚されてしまう? 嘘!
真っ白になった視界のなかで、最後に「行くな!」という悲鳴に近い声が聞こえた気がした。





