4.聖女に振られた旦那様?
どんよりとした空気の中で、私はいつも通り女主人としての執務をこなし、過ごした。
ヴィクトル様は挨拶に訪れる人々と面会をし、当主としての仕事もそこで行っているようだったけれど、それ以外はずっと自室に篭っていた。
食事もほとんど摂ることができない状態かと思えば、なぜかそれだけは無理やりにしているようだった。生命維持に必要だもんね、さすが聖騎士様、よくわかっていらっしゃる。
そんな状態なのに、私との離縁の話はなぜか一向に持ち出されない。ありがたくはあったけれど、さすがに旦那様の精神状態が心配になってくる。
そして、三日も経てば、皆が街で仕入れてきた噂が耳に入るようになる。
最初はこちらに気を遣っていた使用人たちも、私の動じなさを目の当たりにして『あっ、この人って結婚式をすっぽかされたのに公爵家に居座ってる人だったわ」と腹落ちしたらしく、街での噂を面白おかしく教えてくれるようになったのだ。
「――巷では、ヴィクトル様は聖女様に振られてこの家に戻ってきた、という噂です」
着替えの途中、侍女が小声で話した内容に、私は目を丸くした。
「聖女様って……確か私は『聖女様に愛を誓う』という理由で結婚を白紙にされたはずでは? なぜか私はそのまま居座ってますけれども」
「確かな話のようですよ。結婚は秒読みというほどの仲の良さだったのに、聖女様が突然失踪したそうで。……ていうか居座ってくれていていいんですよ。リスティア様がいなかったらこの家はどうなっていたことか」
「“聖女様と結婚は秒読みだった”⁉︎ 私、追い出されるところでしたね、危ない危ない……」
いまいち噛み合わない会話をしつつ、どうも腑に落ちない。だって、そんなに仲睦まじい恋人と別れてすぐ、顔を見たこともない妻がいる家にあっさり帰ってくる?
しかも、ヴィクトル様は『女たらしの英雄』とまで呼ばれるお方だ。失恋で傷心となれば、王都で新しい恋人を見つける方向に行ってもおかしくないと思うのだけれど。……となると、答えは一つ。私は両手で口を押さえた。
「あっ……!? 聖女様のことがそんなに好きだったということですね? 新しい恋では傷ついた心を癒せないと」
「でしょうねえ」
「ヴィクトル様、なんだかかわいそうになってきました」
あんなにイケメンで、英雄で、何もかも持っているのに、結婚式をすっぽかして不名誉な噂を立ててまで添い遂げようとした聖女様に振られてしまうとか。いや、結婚式のすっぽかしは私の方の不名誉かもしれないけれど。
人生ってうまくいかないですね。
「……あら?」
旦那様に同情しながら着替えを終えた私は、侍女が着せてくれたドレスを見て気がついた。
「ねえ、最近、色付きの派手なドレスが多くないでしょうか? ベージュや白のドレスはどうしたの?」
「それが、旦那様のご命令で全部処分することになりました」
「えええ……」
もしかして、その指示は聖女様絡みのような気がする。だって、聖女様というと白っぽいドレスを着ているイメージが強い。もし私が着ているところを見たら、聖女様のことを思い出してしまうから、できる限り遠ざけたいのかもしれない。
旦那様の失恋の傷は思ったよりもずっと深そうだ。なんておかわいそうなのだろう。私はため息をつくばかり。
「ヴィクトル様の失恋の傷、早く癒えるといいですね……やっぱり新しい恋がいい? どなたか、ご紹介できるご令嬢を知らないかしら?」
「それ、どう考えても、五年放置された奥様の言葉ではないですよね……」
屋敷から白っぽい布が消える恐怖に、侍女と二人で途方に暮れる。
――このときの私は、ただ、旦那様が聖女様に振られただけなのだと思っていた。





