第6話 魔法陣:中級編
翌朝から、マロウによるアルセルド大追跡が始まった。同じ魔法科と言っても実力に雲泥の差がある二人では会いに行ける時間も限られていた。
なお且つ、休み時間に満を持して教室に行ってみても彼は教室の奥で分厚い本を読んでいる。アルセルドと同じクラスの生徒から訝し気に見られる中で話しかけに行くのは至難の業だった。
だからこうして、放課後話しかける隙を狙ってアルセルドを尾行している。
身を隠しながらどこかへ向かうアルセルドを追えば、彼は空き教室に入って行った。
扉につけられた窓から中を覗き込めば、アルセルドは今日も魔法陣を紙に描いていた。迷いのない筆運びに見惚れる。
扉を叩けば「どうぞ」短く許可を与えられた。
振り返った彼が目を瞬かせる。
「マロウ・フェリシー、君か」
痛いくらい音を立てる心臓を落ち着かせる。アルセルドの近くまで寄れば、マロウが言葉を発する前に彼が呟いた。
「……君も、魔法陣を描いてみるか? 確かに魔法を顕在させるほどの魔法陣を描くのはそれ相応の知識を求められるが、魔法陣は目に見える分些か寛容だろう」
普段よりゆっくりで、言葉を選んでいるようであった。
アルセルドもあの後、きっと沢山考えてくれたのかもしれない。そう考えると昨日とは違う理由で涙が込み上げてきた。
マロウは限界まで腰を折った。アルセルドが思わず面食らってしまうほど深い謝罪だった。
「アルセルド様のことをよく知りもせず、嫌なことを言ってしまって本当にごめんなさい」
そっと胸ポケットから昨日描いた魔法陣を取り出す。
「これ、昨日自分で描いてみたんです。凄く歪な形だけど、こんなマロウでももっと沢山の魔法を使えるようになりますか……?」
四つ折りにされた紙を受け取ったアルセルドは、贈り物の包みを開けるような繊細な手つきで開いた。こそばゆくなる。
「これは……」
いつもよく話す青年は、それきり黙ってしまった。
何度も指先でなぞり、その度深く頷いている。
「あの、」
「……あぁ、いけない。つい夢中になってしまった。これは素晴らしい魔法陣だ。この魔法陣になら覚えがあるよ。小さな鱗粉をまとっていて大変だっただろうに余すことなく描かれている。本当に素晴らしい。少々癖が出ていてこれでは魔法は顕在しないが、君が向けた愛に必ずや魔法は答えてくれる。これは凄いことなんだよ。今までこんなに長い時間一つの魔法に熱中したことはあるかい? 社会でふんぞり返る魔法使いたちですら、君の熱量の十分の一も持ち合わせてはいないだろう」
惜しむことなく贈られた賞賛の言葉が、透明な矢となってまっすぐにマロウを刺した。
アルセルドは生まれたての赤ん坊を抱きあげる手つきと眼差しでなおも褒めそやす。
「随分書物とにらめっこすることになっただろう。初心者はもっと簡単なのを……と言いたいところだが人を惹きつけるのはいつだって小さな欠片が無駄なく配置されているものだろうね」
「あ、いえ、夜遅くて本はもう借りられなかったので記憶を頼りに描きました」
「それは本当か……!?」
空で描いたと知るや否や興奮した面持ちでアルセルドはマロウに詰め寄った。きらきらと一等星のように輝く金の目に魅せられる。
邪念を吹き飛ばすが如くコクコクと頭を縦に振る。
マロウは頭で考えるのは苦手で会話も遅いが、紙に書きだせば思考がクリアになり長い呪文もたやすく覚えることができるのだ。
「よく覚えておくんだ、マロウ・フェリシー、君は逸材だ。神様から特別な贈り物と使命を貰いこの世界に現れた。きっと君は魔法陣を描くために生まれてきたのだろうね」
感心したように右手を握られる。
深呼吸してから、マロウは彼の手に左手を重ね
た。
「あの、良ければ魔法を教えていただけませんか?」
「僕で良いなら願ったり叶ったりだ、マロウ・フェリシー」
「……はい、よろしくおねがいしますアルセルド様」
固く握手を交わしたアルセルドは片眉を上げた。
「前から思っていたが、君は堅いね。僕に対してそんな大層な敬称は不要だ」
「で、ではアルセルド、さん」
手向けられたのは、美しく柔らかい微笑だった。
「それで良い。こちらこそ、どうぞよろしく」
◇
「ではまず、簡単なものから取り掛かろうか」
アルセルドが取り出した紙は手のひらサイズの正方形だった。
「小さい方が形を俯瞰して見やすい」
「なるほど」
一枚を手に取り、アルセルドは描き出した。
円の中に大きな模様が入っていて、マロウでも簡単に描けそうだった。
「では、やってみます……!」
「うん、じっくり描くと良い」
彼にじっと見守られながら、マロウはペンを握った。
取り敢えず丸を描こうとするが、どうしても寄れてしまう。
「……ん、むむっ」
「そんなに力んではいけない。動かすのではなく身を任せるんだ」
アドバイスを受けるが上手に軌道修正できず、インクがとっぷり滲んだ凹んだ丸が完成してしまう。
アルセルドは新しい紙をマロウの前に出す。
「一朝一夕でできるものじゃない」
「……はい」
でも今は五月。二ヶ月もある、と言いたいところだが今のマロウからしてみれば二ヶ月しかないだった。
茜の斜陽が差し込む教室。
アルセルドは多くは語らず、ただマロウの姿を目に焼き付けているようだった。
マロウも唇を引き結び真剣に魔法陣を描く。
「――今日は終わりにしよう」
彼が手を叩きマロウを現実に返した時、日は暮れかけ足元にはこんもりと紙の山ができていた。
「根を詰めすぎるのも良くない、腕を痛めればそれこそ魔法陣を描けなくなるからね」
「分かりました」
マロウの不満そうな表情から感じ取ったのか、アルセルドはため息を一つ。
「いいかい? 今日は魔法陣のことはなにも考えず、美味しいご飯を食べて良く寝るんだ。休みとは人間に与えられるべき当然の義務なのだから」
「……はい。マロウはちゃんと休みます! ご飯も美味しく食べますし、ぐっすり眠ります!」
彼はくす、と笑った。
「力んでるぞ。もっと自然体で良いんだ」
「……あぅ。難しいですね」
アルセルドはもっとおかしそうに体を揺すった。
◇◇◇
夜が明けて。教室の自席でマロウは魔法陣を描いていた。
けれどやっぱり寄れてしまう。
「これは……中々難解ですねぇ……っ」
頭を捻りながらやっていれば、同じクラスの生徒がわらわらと野次馬とてしやって来る。
「なにやってるんだ?」
「魔法陣を描くんです」
「ほーん」
足らない説明でも、彼らはマロウが中級魔法を使うために頑張っているのだろうと察した。
「凄い頑張ってるねマロウさん、いっぱい丸がある」
「……けど、上手く描けないんです」
皆があー、と納得の声を出してしまった。
男子生徒がマロウの背を叩く。
「でもまだ始まったばかりなんだろう? これからこれから!」
「そうよ、頑張って!」
描きすぎて今自分がなにを描いているのか崩壊しそうになりながらも手を動かす。
しかし依然として魔法陣として行使できる形には遠く及ばない。
放課後にため息を吐きながらマロウはペンをただ握っていた。
「今日は描かないのか?」
「なんだか、描いても上手くならない気がして……」
「典型的な自信喪失だな。では今日は話でもしようか」
アルセルドが優雅に足を組む。
「マロウ・フェリシー。どうして君は中級魔法を使いたいと言っているんだ?」
「……マロウ、落ちこぼれなんです。だから七月のテストで中級魔法を使えなかったら転科を考えた方が良いと言われてしまって」
「なるほど、現状を打破しようとしている訳か。素晴らしい志だね。最古、魔法というものは必要に駆られ編み出されたのだから」
彼が描いた魔法陣から水が出てきて、用意していたのか置かれていた空のコップに収まった。
「井戸も暖炉も必要に駆られ生み出された。美しい」
アルセルドはしげしげとマロウの魔法陣を見つめる。
「円はあれだが、中にある模様は整地されていて素晴らしい出来だ。見なくても描けるようになっているというのも君の頑張りが透けて見えるよ」
「けど、マロウはただ描き写しているみたいな感じで……あんまり繋ぐという感覚が分からないんです」
「それで良い。今はなぞるだけでも、いつの日か導きが見えてくる」
そのままで良いらしい。
いつかできるだろうか、ぼんやり思考する。
◇
次の日教室に行けば、商家の娘である生徒がマロウの下に来た。
不思議なものを渡される。
「……これは、なんですか?」
枝が二股に分かれ、それぞれの先に針とペンがつけられている。
「綺麗な円を描くための道具だよ、お父さんから借りてきたの。テスト当日は使えないけど、感覚を掴むことはできるんじゃないかと思って」
「わぁ……っ、ありがとうございます!」
早速広げた紙の上に重ねる。
「むぐぐ」
「マロウさんもっと力を抜いて!」
「力を、抜く……」
ただ支えてるくらいの力加減に調整してみる。
くるり、道具は流れのままに動き均等な円を描いた。
「――か、描けました」
クラス中から歓声が上がった。
「良かったじゃないか、マロウさん!」
「一歩前進だよ!」
それには答えず、天啓が降りたように目を開いたままマロウはペンを握りさっきと同じように軽く、あるがままに手首を動かす。
描き終わり、ふぅと一息ついた。
――そこには、道具を使って描いたのと遜色しない丸が堂々と鎮座していた。
学校が終わり、興奮したままそれをアルセルドの前で掲げれば、彼は破顔し魔法陣で小さな花束を出してくれた。
それからも研鑽を積み、七月のテストの日をマロウは迎えていた。




