第5話 魔法陣:初級編
金色の瞳の奥で、怒りの火が揺れる。
「し、失望、でしゅか……」
「あぁそうだ僕は失望したんだよ、分かるかい失望だ。僕は君という人間に少なからず期待を寄せていたんだ」
顎から頬を手で掴まれている状況では、いつも辿々しいマロウの言葉はより輪郭をぼやけさせていた。
それにしてもいつの間に期待され失望されたのか、マロウにはとんと見当がつかない。
「なぜでしゅ……か」
「まだ分からないのか、僕がこんなにも時間を与えたというのに」
いつの間に与えられたのか。こちらも見当つかない。
涙を浮かべれば、呆れたように大きな息を吐き彼はようやく手を離した。
「マロウ・フェリシー。君はさっき魔法の詠唱を短縮させていただろう? あれはいけない、非常にね。なぜあんなに長い詠唱が必要なのか、考えたこともないのだろう。あれほど物事の見方が優れているというのに宝の持ち腐れだ」
アルセルドは今日も早口でよく喋る。
お陰でマロウは話を聞くだけで手一杯だった。
「どんなに小さく無意味に見えても、それを残さず繋ぐことで魔法は円環を成す。そういう決まりなんだ。詠唱を短くするなんて、穴の空いた箱に水を注ぐようなものだよ」
「……じゃあ、マロウの魔法が成功しなかったのは」
「どう考えてもそれが原因だろう。先人たちからの負の遺産に縋るのはやめろ」
真っ向からやめろと言われ心が萎れてしまった。
そして、なぜ詠唱を短くするのが難しいのか分かった。凄い人は短い詠唱でも箱に穴を空けないようにできるが、マロウには無理で。だから力が暴走してしまうのだろう。
「……っでもマロウはどうしても中級魔法を使えるようにならなければいけないんです! わかってください……っ」
「なぜ理解しなければならない」
冷たくあしらわれてしまう。
諦めたように笑われることはあっても、厳しく叱られるのは初めてかもしれなかった。
足の先からスーッと冷えて、涙が堪えきれず眦から落ちる。
「アルセルド様は首席だと伺いました。そんな凄い人には、マロウみたいな駄目人間の気持ちなんて、一生分かりません! マロウは、どうしても魔法を使いたいのですっ!」
ひんひん泣きながらマロウは力の限り寮に向かって走る。
アルセルドは動こうともせず、しんと冷えた目だけ彼女を追っていた。
◇
マロウは泣きながら廊下を走る。夕日が沈み夜が始まった時間、走るマロウを見咎める人物もいない。
「じゃあ、じゃあどうしろと言うのですか……っ」
走りながら、思いの丈を叫んだ。
このままでは、本当に周りの人間から見捨てられてしまう。
魔法の使えないマロウはただの落ちこぼれなのだ。
首席の彼には、きっと想像もできないのだろう。
怒っている、マロウだって怒るのだ。プンスコと周りに湯気を飛ばす。
曲がり角を曲がったところで誰かに走っている勢いのまま誰かに打つかった。弾き飛ばされそうになったが、打つかった人物が慌てて抱えてくれたお陰で転ぶことはなかった。
豊かな布に顔を埋めていたマロウは少し経ってこれはローブだと気づく。
見上げれば、アレイナが困ったようにこちらを見下ろしていた。
「どうしたの?」
優しい声にもう一度マロウは嗚咽し、わんわん泣く彼女を宥めアレイナは自身の準備室へマロウを招いた。
椅子に彼女を座らせ、アレイナはマグカップに注いだ牛乳を火魔法で温めた。
ホットミルクとなったそれに一匙の蜂蜜を入れる。黄金に艶々と輝くそれが混じり、淡いクリーム色となったホットミルクをアレイナはマロウに差し出した。
その頃には大分涙も止まり、蜂蜜に目を輝かせる暇さえあった。
「熱いから気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
コクンと喉を鳴らしながら飲めば、甘くて柔らかい味が口いっぱいに広がる。
アレリナが膝をつき慈愛の眼差しをマロウに向けた。彼女はいつもローブを頭からすっぽり被っていて、ちらりと水色の髪が覗く。
「それで、どうして泣いていたの?」
「アルセルド様に、詠唱を短くした魔法は不愉快だからやめてくれと……」
「そう」
アレイナが静かに聞いてくれるものだから、つい言う予定がなかった言葉まで漏れてしまう。
「彼のような成績優秀な人には、マロウみたいな魔法が使えない人の気持ちなんて一生分からないのだと思います」
そうかしら? アレイナはあくまでも優しい。
そっとホットミルクが入ったマグカップを持つ手に彼女の大きな手が重ねられる。
「先日、魔力はあるけど魔法陣を体内に持たない人間がいる話をしたことを覚えているかしら?」
「はい」
「――その条件に該当した人間の一人が彼、アルセルド・フェリクスなのよ。けれど彼は諦めず第二魔法である中継ぎ魔法を極めたの」
一瞬、声も瞬きも身じろぎすら奪われたようだった。
自分が彼になにを言ってしまったかが往々に頭を巡る。
「魔法陣を速く正確に描くことができる技量、複雑な形をした魔法陣を一つの漏れもなく描くための暗記量。どれをとっても、彼ほど逆境から這い上がった主席の生徒はいないと思うわ」
以前見た美しい、魔法陣。それを描くにはどれほどの努力が必要だったのだろう。そも、マロウはアルセルドがなぜ初めて会った時から魔法陣を描いているのか、その理由すら考えたことがなかった。
恥ずかしくて申し訳なくて、頭がぐちゃぐちゃになる。
居た堪れなくて体を小さく丸めていれば、アレイナが手を叩いた。
「そうだ、フェリシーさん。フェリクスさんに魔法陣の描き方を教えてもらうのはどうかしら。貴女は記憶力は良いし、コツコツと頑張れる人だわ。この学園では今第二魔法を教えられる教師はいないから……」
「よく、考えてみます」
「えぇ、ぜひそうして」
ふっとアレイナの顔つきが、教師から子を慮る親のものへと変化した。
「ごめんなさい。きっと私の提案が貴女を苦しめてしまったのよね? 私、あの時転科を提案したけれど、深く真に受ける必要もないのよ。ただ可能性を教えてあげたかっただけなの」
――そこには優しさはあれど諦念は探せども見つからなかった。
それだけですっかり気分が落ち着いてしまった。
「さ、急がないと食堂が閉まってしまうから今日はもう帰りなさい」
「今日はありがとうございました。また明日」
「はい、また明日」
歩いているのに。行きよりずっと軽くて速い気がした。
◇
「お姉様! どこに行っていたのですか、心配しました」
寮の前でウロウロしていた人物はメアリージュンだった。
「ご飯も残してもらっているのです、だから早く行きましょう」
「っありがとうございます、メアリー! とびきり優しい妹がいてお姉ちゃんは果報者です」
「大袈裟ですわ」
それからお腹がいっぱいになるまでご飯を食べたマロウは自室で机に向かっていた。
あの日見た魔法陣を、思い出しながら描きだす。
「わわっ、丸を描いたはずなのに線がガタガタですしそもそもとして楕円形になってしまいました……」
どうしたら均等な丸になるのだろうと苦心し、十回も描き直してみたが結局歪になってしまった。
「……こ、これから進化しますし、今日はこれくらいで勘弁してあげましょう」
捨て台詞を吐き、次に円の中に描かれていた言葉や模様を思い出す。
せっせと埋めるが、うーんといった出来だった。
それを見つめながらベッドまで移動しポフリと身を投げる。
思い浮かぶのは尻で踏んずけて駄目にしてしまった魔法陣。きれいな丸で、彼はあれを描くためにどれほど研鑽を積んだのだろうか。
明日、謝らなくては。そして聞いてみよう。自分に第二魔法について教えてくれないかと。
歪な魔法陣も、何度も目でなぞれば愛着が湧いてくる。
満ち足りた気持ちでベッドの隣にある小さな机に魔法陣を描いた紙を置き、夢の世界へと飛び立っていった。




