第4話 魔法陣:入門編
「人間は皆、体の中に魔法陣を持っています。その魔法陣に呪文を介して魔力を通し描き変えることで魔法を顕在させることができています。これができる人を魔法使いと呼ぶわけですね」
午後の昼下がり。暖かさを十分に引き連れて教室を通っていく風によって、魔法科で三番目のクラスに属する生徒は皆ウトウトと舟を漕いでいた。
あまり魔法が使えないクラスには、子爵家や男爵家、商家の家の者など将来的にはあまり魔法を使わない者たちが主に集まっている。
だから皆程々に適当に生きていて、マロウほどではないがのんびりとした気性だった。
そんな彼らが睡眠からの魅力的な誘いに抗うはずもなく。
それをよく知っているベテランの女教師――アレイナは粛々と授業を進めていく。もう慣れたものだった。
「え? じゃあ魔力はあるけど体の中に魔法陣がなければどうしたら良いって? 良い質問ですね、そのためにも第二魔法はあるとされています。描いた魔法陣に魔力を通せば良いのですから」
遠くから鐘の音が鳴る。
アレイナは本を閉じた。
「まぁ、現在では魔法陣を持たない者の多くは自分に魔力があることも知らず生きて行くことが多いのですが……。この話は次回にしましょう」
唯一起きていたマロウがノートに記していれば、アレイナがこそっと彼女の名を呼んだ。
◇
職員室の前まで連れてこられたマロウは、先を歩いていたアレイナが足を止めたのに倣ってその場に止まった。
振り返ったアレイナは少し屈んでマロウと視線を合わせる。
アレイナの目は、マロウの姿を映し出している。
「私はね、貴女の座学の成績が優れていることも知っているわ。どれだけ頑張っているかも知っている。けれど初級魔法しか使えない貴女は、三年生に上がるのは厳しいかもしれない」
柔らかな口調に反して、突きつけられた言葉はマロウの胸を深く刺した。
「七月に行われる試験は実技もあるわ。そこで中級魔法を使えないなら、普通科への転科も視野に入れても良いのかもと思っているの」
四月が始まってすぐのテスト。
皆が火の中級魔法を成功させる中、マロウだけが辿々しく詠唱し失敗した。
アレイナは今年初めてマロウが在籍するクラスを受け持つ人で、きっととても生徒想いな人なのだろう。
今までどの教師も提示してくれなかった提案をしてくれるのだから。
「ほら、貴女は座学の成績は一番上のクラスでも引けを取らないでしょう?」
「……少し、考えさせて欲しいです」
「勿論よ。急にこんな話をしてごめんなさいね」
重い足取りで教室に帰れば、すっかり目が冴え渡った様子の皆が出迎えてくれた。
「なんの話をしていたんだ?」
「……普通科に行った方が良いのかも、って言われました」
「マロウさん、うちのクラスで一番真面目なのに?」
「真面目なだけでは魔法は使えないんです……」
中級魔法を使うことができた彼らの目を見ることができない。
――フェリシー子爵家で魔法を使うことができるのはマロウだけだった。
これだけは、家族から憐れみの目を向けられることはなかった。
だからマロウはどうしても、しがみついていたいと願ってしまう。
「じゃあ練習すれば良いじゃない」
「もういっぱいしています」
段々と意固地になりながら答えれば、指をチッチと振られる。
「マロウさんは唱えるのが苦手なんだよね? だったら口頭魔法の中でも難しいとされるけど、詠唱を省略したものを練習してみたらどうかな?」
電球がパッと光を振りまくような驚きだった。
「それ、それです! それしかありません! 貴女は天才ですか!」
「えっへへ……」
褒められた彼女は照れ臭そうにした。
男子の一人が教科書を出す。
「ここに書いてあるぜ、なになに……『必要な部分だけを言えば省略することもできる』か」
「試しになにかやってみようよ。中級水魔法の【|メール・メール,アンブラス・トゥ《母なる海よ、全てを抱き締めて》】えっと、これは【メル・トゥ】だって」
むん、とマロウは気合いを入れた。
「行きます! 【メル・トゥ】!」
マロウの魔法陣が光り、そこに文字が刻まれる。青く輝き、教室中を光で覆った。
――そして現在。
教室の中は大洪水になっていた。
「ゴボボッ」
「マロウさん! 早く魔法を消滅させてぇ!」
水に溺れながら、必死に消滅させる呪文を唱える。
水が引いていき、後にはずぶ濡れの教室と満身創痍の生徒たちだけが残された。
「……はぁ、はぁ」
「ゴホッ、マロウさん、もっと良い方法を探しましょうか……」
「はい……」
巡回でやって来た先生方にこっ酷く叱られ、皆でジャージに着替えて寮に戻る頃にはもう日が沈んでいた。
◇◇◇
「それでお姉様は落ち込んでいるのですね」
「はい……マロウは駄目な人間です、皆さんに迷惑をかけてしまって……」
ご飯が喉を通らないマロウにメアリージュンは無理矢理食べさせる。
されるがままのマロウは咀嚼しながら胸に手を当てた。
「どうして教室が水浸しになってしまったのでしょうか?」
「私は魔法を使えないので分かりません」
「うぅ、お姉ちゃんは不甲斐ないです……!」
頑張らなくてはと拳を握り、また一口メアリージュンが掬ってくれたご飯を食べた。
翌日。授業が終わって放課後のこと。
担任の教師、アレイナの下をマロウは訪れていた。
「短い詠唱で魔法を使えるようになりたい……?」
「はい、そうなんです!」
「かなり上級者向けなのよね、制御が難しいから」
「どうしても使えるようになりたいんです! お願いしますアレイナ先生!」
必死に頭を下げれば、アレイナは逡巡の末に頬を緩めた。
「わかりました。では今からやりましょう」
「ありがとうございます……っ」
「ではジャージに着替えてから中庭で行いましょうね」
これで中級魔法も使えるようになるかもしれない!
マロウは決意に燃えていた――
のも開始三十分までだった。
被害が少ないからと水魔法を行使したのだが、アレイナが止めなければ今頃学園は沈没していた。
「……フェリシーさん、貴女がここまでとは私も予期していませんでした」
「ごめんなさい、アレイナ先生」
「いえ、まだ特訓は始まったばかりです」
それからも何度も果敢に練習したが、学園に季節外れの大雨が振り注ぎ、今度は風魔法を試してみたら樹齢百年のハレッド学園の象徴ともされる樹に当たりそうになり、二人(主にアレイナ)の寿命がきゅっと縮まった。
夕日が二人を赤く染め上げる。
汗をかきながらアレイナは申し訳なさそうに脱いでいたローブを拾い上げた。
「ごめんなさいねフェリシーさん。これから会議があるから今日はもう無理なの」
「……はい、分かりました。ありがとうございました」
「今日はもう貴女も休みなさい。くれぐれも一人で魔法を使わないようにね」
かなり強く念押しをしてから、アレイナは足早に去っていった。会議は程なくして始まるのだろう。
それなのにここまで付き合ってくれた彼女に感謝しながら、マロウは魔力を通さなければ良いのではと思いつく。
マロウは焦っていた。このままでは、どれだけ練習しても中級魔法を使えるようにならないと。
「えっと、土の魔法にしましょうかね……」
教科書を開けば載っていたが、その長さに顔が引き攣った。
【|ラ・テール・クーヴル・エ・ザングリュティ・トゥ《大地は全てを覆い、飲み込む》】
長い、長すぎると唸る。これではどこかで綻びが生じてしまう。
魔力を流さないよう気をつけながら、短く直した方を口ずさむ。
「【テール・ザン・トゥ】。うんうん、これぐらいだったらマロウだってちゃんと言えますよぉ」
ちゃんと使えるかは別として。
そこで誰かの視線を感じれば、二階の窓から黒髪の青年がこちらを見下ろしていた。虚を突かれる。
彼が突然窓枠を掴んで飛び降りたものだから、マロウは目を極限まで見開き声にならない悲鳴を上げる。
青年は軽やかに着地した。風魔法でも使用したのかもしれない。
安堵したのも束の間。彼はツカツカとこちらにやって来た。
この間成り行きでマロウを助けてくれたアルセルド・フェリクスは、打って変わって怒りに顔を染め上げ、親の仇のような目でマロウを見ていた。
なまじ美人なだけに、怒った顔には迫力があった。
開口一番。
「君には失望したよ、マロウ・フェリシー。二度とその口を開かないでくれるかい? 不愉快でたまらない」
顎をがっと掴まれて。ひえっと目に涙を滲ませることしかマロウにはできなかった。




