第25話 魔法陣を描く
「ア、アルセルドさん……」
「静かにするんだ。いいな?」
コクコクと頷けば、解放される。
カーテンは閉じ切っていて薄暗い。天井がドーム状になっている奇妙な造りをしていた。
足元に目をやれば、真白の正円が教室の床を覆うように大きく描かれていた。
説明を求めるように視線を送れば、彼は一枚の紙を取り出す。
大きな太陽がくっきり描かれていた。
「まだ未完成に近い状態だが、仕方ない。この魔法陣を描く」
チョークを掲げながら彼は真剣な表情をしていた。
そこではっとし、マロウは魔物の体は魔法陣によって作られていてそれを燃やせば良いこと、セギアに言われたことを順を追って話した。
説明を聞き終わったアルセルドは顎に手を当てて、頭の中で整理しているようだった。
「なるほど……。いくつか気にかかることはあるが、そうも言ってられないな。マロウ、君にも魔法陣を描くのを手伝ってもらいたい。些か大きすぎた」
大事な魔法陣を描く手伝いをさせてもらえるのは、それだけ信頼の現れでもあるのだろう。マロウもチョークを一本手に取り、床に白い線を滑らせた。
だが言葉にできない不安に駆り立てられる。本当にこれで止められるのかと。
右手の親指を握り締める。
「マロウ……?」
「いえ、なんでもありません」
緊張をとりなし、もう一度チョークで描き出した。
◇
アルセルドの指示の下、魔法陣を描き終わる。
美しい六芒星で中心の大きな星を囲っているものだった。
教室の端に行ったアルセルドを目で追う。
「そう言えば、どうやって魔王さんたちを誘い出すのですか?」
「ん? 誘い出す必要はない。そのためにここで描いたのだから」
彼は壁に設置されたレバーを下に引っ張った。
ガタンッ
天井が轟く。ガタガタと揺れ、世界が割れた。
屋根が開花する。光が矢のように煌々と振り注ぐ。
太陽が真上にあり、時刻はすでに正午だった。
開けた空には、夜だったら満天の星がのぞいているのだろう。
「そっか、星見の部屋とはこういう意味だったのですね……」
「あぁ」
アルセルドは天を睨みつけている。
「――おやおや、これはどういうことでしょうか」
「まだ抗っているやつがいるのかよ」
招かれたのは、目的の人物たち。魔王は横抱きにされ、眠っている。
「来たか」
アルセルドがひたと魔法陣に手を当てた。
「魔王。君の願いを今から叶える」
広げた手のひらから、ありったけの魔力が流し込まれた。
カッと魔法陣を魔力が辿り赤く光り、火花を散らす。大きな渦を巻き、熱を持った塊が魔王たちを捉えた。
包み込む。
「……倒したのか?」
唾を嚥下する。一瞬が永遠のように感じられた。
炎が小さくなっていく。完全に消えた時、そこには――彼らが変わらぬ姿でいた。
陶器のような不気味なほど白い肌はそのままで、ただ風が通り過ぎただけのようにそこに立っている。
「……あぁもしかして僕たちが魔法陣でできているということをすでに知っていましたか? それでしたら残念ですね、僕たちは貴方たちの仲間を石にした仲間より随分と手をかけて作っていただいたんです」
それは、魔法陣は違う場所にあると暗に言っていた。
アルセルドが焦れたように頭をかく。
マロウは顔を青くし崩れ落ちることしかできない。
「そんな……。じゃ、じゃあそれを探して燃やさないと、」
「俺たちは殺せないよ」
言葉を引き継がれる。
探す。この広い世界で。
「あ、探知魔法で探したら……」
「無理だ。見つけたとして、どうやって取りに行くんだ」
アルセルドに即却下される。
歯噛みする。確かに考えてみれば、遠かったら取りに行けないし、近かったとして彼らに見逃されるはずがなかった。
「じゃぁ、どうしたら……」
ポケットに入れていた黄色のリボンに触れる。
しかし心を落ち着かせてはくれなかった。
親指を握るのも同様だった。
「話し合いは終わったか?」
見上げれば、魔法が行使されようとしていた。
魔法陣が鮮やかな緑に染まり、風がぶわりと巻き上がる。
それはキュルキュルと細くなった。
マロウへと向けられる。
「じゃあな」
細く鋭い風が、マロウを貫こうと飛んできた。
抵抗する間もなかった。見つめることしかできなかった。
迫りくる風の圧に、彼女は成すすべもなくぼんやりとしていた。
「――――マロウ……ッ!」
トン、と体を押さえる感覚。
気づけば目の間には焦った表情のアルセルドがいた。
「……アルセルドさ、」
言葉は最後まで続かない。
鮮血が舞ったから。
マロウに覆いかぶさるアルセルドの頭に、一本の赤い線があった。
掠っただけだったのだろうが、小さな竜巻に頭をぶつけたような状態のアルセルドは、すぐに気を失った。
「……っ」
なにも言葉にすることができずアルセルドを抱きしめていれば、頭上から拍手が降ってくる。
「これは滑稽ですね。まさかこんな『役立たず』を助けるなんて! いや、それを言うなら他の者もそうなのでしょう。僕たちは姫様の記憶を覗き知っているのですよ? 貴女がどれだけ周りを失望させ、守られて生きてきたのか!」
――頭が働かなくても、記憶は実に雄弁にマロウに語り聞かせてくれる。
どれだけ彼女が役立たずなのか。
なにをやっても上手くいかない。お茶会ではドレスの裾を踏んづけて自分のドレスを破いてしまったり、食事のマナーでは真面目にやろうとすればするほどお皿を割ったりしてしまった。
だから段々、マロウより賢い人たちは彼女に期待しなくなった。座らせておいた方が害が少ないからだ。
「可哀想な子」
母だけはその状況を憂いて色々なことを教えてくれたが、それに応えることはついぞできなかった。
だから何度も諦めた。――けれど、諦めきれなかった。
もっともっと、本当は色々なことを上手にできるようになりたかった。そうすれば皆に愛されると信じていたから。
黄色のリボンを取り出し、髪を結ぶ。ぐしゃぐしゃだが、これは決意の現れであるため気にならない。
力強く前を見据える。
違った。そうではなかった。
足らないマロウを、それでも皆は愛してくれていた。
――だからマロウは、それに応えなければならないのだ。
「……おい、なにを」
問いかけてくる魔物たちに手を伸ばして制し、タンマのポーズを取る。
彼らが怯んだ隙により良い方法を考えるが、それでも思いつかない。
だから順に思い出していくことにした。
魔法とは、お菓子のようなもの。材料が同じでも作り方を変えればまったく違うものになる。
短縮してはならない。どんなに小さなものにだって、意味があるのだから。
星々を余すことなく繋ぎ星座を作るように、魔法陣もそのように。
それを忘れなければ、自分でも魔法陣を作ることができる。つけ足すことならもっと簡単。
「大事なものは、最初からある……」
見上げる。ふっと羽根のように軽やかな笑みが漏れた。
そうだ、作る必要はなかった。
火は、元を辿れば太陽なのだから。
マロウは胸ポケットに入っていた、アルセルドが描いた探知魔法の魔法陣を取り出した。
そこに太陽の絵と、主という呪文の隣に光という文言を付け加える。
彼らは未だ、マロウがなにをしようとしているのか見当がつかないようだった。
描き終えたマロウは魔法陣に触れ、魔力を流す。魔法陣は黄金に輝いた。
「【|リュミエール デュ セニュール、ギデ モワ《主の光よ、導きを》|】――!」
もうマロウは魔法陣を持たない。だから言葉にしたとて無駄だと分かっているが、それでも言わずには居られなかった。
だって、言葉とは本当に凄い魔法なのだから。
太陽が空から降ってくる。
黄金に輝く光は魔法陣に集約し、一本の線となって伸びていく。
探し物を燃やすために。
「……まさかッ」
彼らが焦りだした頃にはもう遅かった。
森の方へと光が伸びていく。
突如として、彼らの体が崩壊を始めた。
ボロボロと、空に解けていく。
魔王も例外ではなかった。ようやく目覚めたらしい彼女は、随分と穏やかな表情だった。
「が、ぁ……ッ。まだ、僕たちは死ぬわけには!」
「約束を果たせてないんだ!」
崩れ落ちていく体を抱きしめ、抵抗する彼らの額を魔王が弾く。
「ごめんなさい、お父さんの我が儘につき合わせてしまって。――もう眠りなさい」
その言葉を皮切りに、世界が真白の光に包まれていく。
マロウは固く目をつぶった。




