第21話 夢の終わりに 夢が覚めても
間近にアルセルドの端正な顔がある。
呼吸すら満足にできなくて、ただ彼の顔を見上げる。
「マロウ」
「は、はい」
「マロウ」
「なんでしょうか……アルセルドさん」
おずおずと返事をするが、アルセルドはただ名前を呼んでいるだけのようだ。
壁についていた手がするすると下に下がっていき、マロウの頬に添えられる。
やけどしそうなほど熱くて眩暈がする。
「……その、体を離してください」
「この状況が不本意だと分かってはいるが無理だ」
流暢に返され、落ち着いたのかとそっと彼の頬に手を当てれば、まだ発熱していた。そのままするりと手を取られる。
「君の手は小さいな。それに小さい」
「……ひょ、ぇ……っ」
マロウにも熱が移ってしまった。これはいけないと思うがどうすることもできない。
必死に手を引き抜こうと引っ張りながら、なんとか気を紛らわそうと叫ぶ。
「マロウの手は普通です! メアリーの方が小さくてきれいな手をしてます!」
捕らえられた手を、彼の親指の腹で撫でられぞわぞわと気持ち悪いとは別の意味で鳥肌が立った。
金色の目が眇められる。
「他の名前を出さないでくれ」
「えぇ……?」
もういっぱいいっぱいで涙目になりながら震えていれば、腕の下に彼の腕が回ってくる。
そのまま体が寄せられ隙間が埋まった。腰を屈めたアルセルドの頭が肩に当たり、黒髪がこそばゆい。
暴れてみるがびくともしない。彼はマロウを抱き枕とでも思っているようにさらに拘束する力を強める。
背をバシバシと力任せに叩けば、アルセルドがのっそりと顔を上げた。
「なんだ」
「その、離してください!」
毅然とした態度を心掛け主張すれば、鼻を鳴らして一蹴される。
「マロウだって、この間僕を抱きしめていただろう。あれとなにが違う?」
この間とは、フェリクス家に舞い戻った時のことだった。分が悪くなる。
「あれは、アルセルドさんが逃げると思ったからです……!」
「じゃあ僕もだ。マロウに逃げられないために抱きしめているだけだ」
頭の回転が速いアルセルドにマロウが勝てるはずもなく。なす術もなく次の言葉を考えていると、抱きしめる力が一層強くなった。背の高い彼に持ち上げられれば自然と体が浮遊する。
つま先が地面から離れ、持ち上げられた状態で移動し椅子に腰かけたアルセルドの足の隙間にちょんと座らされた。腰に手を回される。
「マロウ……」
早くなんとかしなければと考えているところで、机の上に置いてけぼりにされている魔法陣と目が合った。
あれにペンで線を引ければ、魔法の効果は失われる。幸いペンはローブの中に入れて常に持ち歩いている。手を必死になって伸ばすが、絶妙に距離があって届かない。
逆に空を切った手に、アルセルドが指を通してしまう。
「邪魔しないでください。こ、これはマロウたちのために必要なことなんです……っ」
「邪魔はしていない。手を繋ぎたいと思った時に丁度手を差し伸べられただけだ」
「アルセルドさんが屁理屈言ってます。……っじゃなくてマロウはあの魔法陣を取りたいんです!」
「無理だ」
切なげな目に射抜かれる。ぐりんと勢いをつけ顔を背けてから、なんとかしてあの魔法陣を取れないものかと思案する。
だがどうしても良い考えは思い浮かばず、代わりに違う案が耳元で囁く。
そうだ、燃やしてしまえばいいのだ。魔法陣が描かれた紙を燃やしてしまえば、魔法は消える。
名案だと顔色が明るくなったが、すぐにこの作戦もとん挫した。
マロウが魔法陣を描かずに行使できるのは初級魔法のみ。だが初級火魔法は繊細なことをするのには向かないため紙だけでは収まらず、アルセルドやマロウが燃えてしまう可能性もある。
初級風魔法で紙を引き寄せることも同時に思いついたが、これも上手くはいかないだろう。窓の外に飛んで行ってしまったらそれこそ終わりだ。
……それに。
マロウは顔を俯かせる。
もう一度だってアルセルドを泣かせたくなかった。
子供のような大粒の涙。赤くなった目。克明に思い出すことができる。
「――……アルセルドさん、離してください」
「なんでだ」
「マロウは、アルセルドさんに酷いことをしたくないんです」
体を捻り顔を合わせながら必死に言い募れば、彼の金色の目が驚きでまん丸くなった。きゅぅと細まって、腰に回された手が緩まる。
「酷いことをされているのは君の方だろう……?」
あまくやわらかい。そんな声だった。
暫し時を忘れていると、誰かが扉を叩き入ってくる。
メアリージュンだった。空にもう夜のとばりが降りていることに今更気づく。
「もぉお姉様。遅いので迎えに来ましたよ――って、貴方はお姉様に一体なにを……? ことの次第によっては消しますが」
「メアリー! これは全部マロウが悪いんです! 取り敢えずそこにある魔法陣に大きく線を一本引いてほしいです……!」
「え? わ、分かりました」
戸惑いながらもメアリージュンが自分のペンで線を引く。瞬間、魔法は効力を失った。
安心して力が抜けた。
アルセルドも正気に返ったようで、手を離される。
「――マロウ」
「は、はい」
椅子から降り振り返れば、渋面を浮かべた彼がいた。
名前を呼ぶ声はすでに温度を失っていて、少し寂しく思う自分がいる。
「すまなかった。魔法がかけられていたとはいえ、君に無体を敷いた」
「いえ、そもそもマロウが変な魔法を作ってしまったのが悪いんです。アルセルドさんはなにも悪くありません! 本当にごめんなさい」
未だ事情を掴めないメアリージュンは傍観者として見守っている。
己を責めるアルセルドに、マロウは堪らない気持ちになる。急いで彼は本当に悪くないのだと伝えなければと思うばかり、言うはずのない言葉まで飛び出してしまった。
「それに、その……嫌というわけではありませんでしたっ、ほら最近寒かったですし!」
自分でも無理のある言い訳だと思った。枯れかけの花のように頭が垂れてしまう。
「お姉様」
メアリージュンに労わるように背を撫でられる。
「帰りましょうか」
「……はい。アルセルドさん、ごめんなさい」
何度も謝りながら帰る。
恥ずかしくて申し訳なくて顔は見れなかった。
だからメアリージュンだけが目撃した。
――ほんのりと耳が赤いアルセルドの姿を。
◇◇◇
次の日も変わらずやってくる。
重い体を引きずりなんとか空き教室まで来たが、開けるのを躊躇ってしまう。合わせる顔がなかった。
ぐるぐる回っていると、アルセルドが扉を開け顔を出した。外の様子に耐えかねたであろう彼はいつにも増して仏頂面で余計にマロウを委縮させる。
「あの、昨日は本当に……」
「昨日の話題はもう良い。それよりも早く入ってくれ」
緊張しながら入るがアルセルドはいつも通り凪いだ目をしている。
椅子に座った彼が出したのは昨日の魔法陣だった。
「昨日の通り、自ら魔法陣を作るというのは非常に難しい。だが、既存の魔法陣に描き加えるというものならより安全に行うことができる。これをやってみよう」
「はい……」
失望されてしまったと目に涙を溜めていれば、彼に優しく頭を撫でられる。手のひらは温かい。
「大丈夫だ、失敗はなによりも解りやすく答えを説いてくれる。ただ耳を傾ければいい」
「アルセルドさん……」
不思議なことにその言葉ですっかり落ち着きを取り戻してしまった。
アルセルドの隣で魔法陣にこうしたら良いのではと付け足していく。
水が霧状に出たらおもしろいと思って作った魔法陣を掲げ、アルセルドに視線を向ければ彼もまた描いていた。
「そういえば、アルセルドさんはいつも真剣に魔法陣を描いていますが、作りたい魔法陣であるのですか?」
「ん? そうだな」
魔法陣でなにを成そうとしているのだとわくわくしていれば、彼は平坦に告げた。
「魔王を殺す魔法を作っているんだ」
それは、百年前に現れたとされる大災害だった。




