第1話 ハレッド学園魔法科の落ちこぼれ
ハレッド学園魔法科の浮きこぼれが首席であるアルセルド・フェリクスだとするなら、落ちこぼれであり末席は間違いなくマロウであった。
それは彼女の性格に起因している。
栗色の髪に緑眼を持つ十六歳のうら若き乙女であるマロウは非常に思考も動きものんびりしていた。
詠唱の途中でどこまで言ったか分からなくなったり、そもそもとして詠唱を空で言うのが苦手だったりする。詠唱はとっても長いのだ。
そのせいで綻びが生じ、中級以上の魔法は出すことができない。
「生麦生米生たま……っ! うぅ、舌を噛みました」
だが本人としては努力を怠ったことはない。今もこうして、誰もいない図書館で早口言葉の練習をしたりしている。
最果ての東の国にあるとされる早口言葉の本が出てきたのだ。
「諦めては駄目……駄目です! たゆまぬ努力こそが実を結ぶのですよ、マロウ!」
エイエイオーと拳を高く上げれば、その拳に誰かの手が触れた。はしたないよ、と下ろされる。
振り返ったマロウは目の前にいる人物に口元を綻ばせた。
「スチュアート様!」
「こらこらマロウ。いくら人がいないからって騒いでは駄目だよ。本当に君は抜けていると言うか……」
「えへへ、次から気をつけますね」
「はいはい。もう耳にタコができてしまいそうだよ」
図書委員として活動するマロウは毎週水曜日はカウンターで放課後まで過ごす。
本を読むことに精を出していたが、この時間に発声練習をすれば良いのでは? と気づいて練習していたが、やはり迷惑だったようだ。
本を読んでいても些か独り言の多いマロウがまた読書生活に戻したところでスチュアートにまた窘められるのだろうが、わざと出しているのと無意識とでは雲泥の差だ。
マロウは椅子を引き、読み途中の本を手に取った。
ページを開けば、黄色い花畑のような栞がパッと現れる。花畑の下には強い強い根っこのような文字が張っていた。
「えっと、えっと、どこまで読みましたっけ……」
「相変わらず読み終わったところも覚えていないんだね」
「これのお陰でいつでも新鮮な気持ちで犯人さん探しができますよ! お勧めです」
むふー。得意げに口角を上げれば俺は要らないかなと軽く流されてしまった。
少し肩を落としながらも文字を追う指は止めない。
ようやく前回読み終わったところに行き着く。
それは今では誰も使ってない、第二魔法についてだった。
この世界には魔法があり、魔力を持つ人間はその力を行使することができた。
現在マロウたちが使っている魔法は口で呪文を唱え行使する口頭魔法と呼ばれるもので、第一魔法とされている。
第二魔法は魔法陣を描きそれを媒介にして魔法を発現させるもので、中継ぎ魔法とも呼ばれている。
中継ぎ魔法は魔力の少ない人でも大きな魔法を行使できるため、三百年も前はそちらの方が主流だった。
だが時を重ね人々が持つ魔力量も掛け合わせなどによって年々高まり、第二魔法は廃れていった。魔法使いという職業が台頭し、彼らが開発した道具に頼ることも増え平民などが魔法を扱う必要が少なくなったことも一因なのだろう。
だが、一番の理由は――
「わぁ、すっごく綺麗な模様ですよぉ、スチュアート様! 見てください見てくださいな、マロウこんなに綺麗な魔法は初めて見たかもしれません」
「大袈裟だよ。教科書でも見るでしょ」
「いえ、教科書のも綺麗ですがこちらの方がより繋がって見えるというか――」
スチュアートは至極どうでも良さそうに、マロウの話をあくびで遮った。
本を取り上げ、頬杖をつく。
「それにしても、第一魔法がもしなかったらと考えるとゾッとするね。こんなに精巧に描けないと発動しないなんて」
そう。第二魔法が廃れた理由はそこにあった。
圧倒的に描くのが難しいのだ。均一な円から始まり、中に描き込む模様も正確でなくてはならない。
また大きな魔法を扱う際は、それに見合う大きい魔法陣が必要となる。城一つを覆えるくらいの魔法陣を描いた者もいるらしい。
「先人たちの教えに感謝だよ」
「……でもでも、マロウは魔法陣を描いてみたかったです。これならマロウもできたかもしれませんし」
なんせ描くだけで良いのだ。
そんなマロウをスチュアートは一笑に付した。
「トロいマロウじゃ、一つの魔法陣を描くのにそれこそ十年もかかってしまうかもよ? 大人しく早口言葉でも練習しておいた方が賢明だね」
聞き終わり、スチュアートの言葉の意味をゆっくり咀嚼し終えたマロウは栞を挟むことなく本を閉じた。
なぜか、さっきまで綺麗だった魔法陣が急に色褪せてしまった気がしたからだ。
なにも発しなくなったマロウにも気を留めず、スチュアートは話し続ける。
「……いや待てよ。そう言えば一人いたな。第二魔法を極めた変わり者が――」
日差しが温かいのに吹く風は身を凍らすほど冷たく。
マロウは空を見上げため息をついた。
◇
図書館の施錠もしっかりしてからマロウは、学園の敷地内にある学生寮に帰っていた。
基本的に貴族の子供たちは部屋が狭いからと拒み、家が遠ければ新たに別荘を建てるので利用しないが、特に気にしない子や平民や商家の子はこの寮を利用している。マロウは特に気にしない子の一人だった。
管理人から手紙を受け取ったマロウは自室の椅子に腰を下ろし封を切った。
家族から宛てられた手紙には、この春に入学する妹のことについて書かれていた。
妹のメアリージュンも一緒に寮に住むから、困ったことがあれば助けてやってほしい。
マロウは誰かが見ている訳ではないが、胸を軽く拳で叩いた。
「任せてください! メアリーはお姉ちゃんであるマロウがしっかりサポートしてみせます!」
それにしても子供の成長とは早いものですねぇ、唇をだらしなくさせながら返事の手紙をしたためた。
『前略 親愛なるお父様、お母様へ
そんな心配せずとも、メアリーはマロウがしっかりと支えます! 寮でいつご飯を食べに行けば良いのか、洗濯物はどこに運んだら良いのかとか!
だから心配せず、安心して学園に入学するようお伝えください!
マロウ・フェリシーより』
書き終えた手紙を掲げる。
「……少し元気過ぎですか、ね?」
あーでもないこーでもないと何度も書き直していれば、晩御飯の用意ができたことを告げる金がポーンポーンと鳴った。
「もうこんな時間でしたか。いけません、早く行かないと……っ」
以前ぼんやりとしていたら鐘の音に気づかず、慌てて行った時にはもう食器を洗う音だけが響いていた。
自室で非常食として常備していた硬いクッキーをもそもそ食べたのは苦い思い出だ。
足早に駆けていけば、一番に食堂に着きご飯を受け取った。
今日の晩御飯は丸パンの隣に皮がパリパリになるまで焼かれたチキンが載っているプレートだった。赤いパプリカやほうれん草も添えられている。
ホカホカと湯気を立てるそれによだれが出そうになって、手を合わせた。
チキンは皮の香ばしさが広がった後ジュワと中から肉汁が飛び出してきて口の中が幸せになる。
パンも温かくてふわふわでバターがジュンワリ溶けていた。
「美味しい、美味しいですね……! これは絶対メアリーが好きな味です。ぜひ教えてあげなければいけません」
美味しさを噛み締めていると、ふと食堂で人がひしめき合っていることに気づく。
ここは女子寮。勿論女子しかおらず皆和気あいあいとご飯を食べている。
入学してから一年経つのにまだ一人で食べているのはマロウだけだった。
味を気にする余裕もなく、マロウは淑女としてははしたないくらいの速さでプレートを空にする。
そっとその場を後にした。
「……メアリーは、マロウと一緒に食べてくれるでしょうか」
この時のマロウは。メアリージュンが入学し全てが一変するとは思ってもいなかった。




