第17話 馬鹿な人とそれを取り巻く世界
「この間お姉様が気を失われた際には側にいたと伺っておりますが、今日は随分と距離を取っているのですね」
嫌味の一つでも言わねば気が済まないと鼻で笑えば、ようやくアルセルドが顔を上げる。澄んだ金色の目に若干たじろぐが、彼はなにも気にしていないようであった。
「この間は君がいなかったから僕が側にいたんだ。現に本を読むくらいしかできなかった僕と違い、君の手腕は鮮やかなものだよ。だから僕は僕のやるべきことをしているだけだ」
姉は彼を温かい人だと言っていたが、ただ魔法に対してだけ真摯なだけだろう。
……それは自分とて似たようなものだが。
眠り続ける姉の手を握る。
「お姉様がどうしてこんな目に遭わなければいけないのでしょうか。私はお姉様を守るためにこの学園に入学したというのに、本当の意味でお姉様を守れた試しがない」
深い自責の言葉を吐く。
姉マロウ・フェリシーはメアリージュンにとって光そのものだった。いつだって照らし導いてくれる。その光に焦がされながらもメアリージュンは追うことをやめることなんてできない。
アルセルドがペンを置き彼女に向き合った。
「前から感じてはいたことだが、メアリージュン・フェリシーは姉であるマロウ・フェリシーに献身しているようだな。その意志と行動は素晴らしいものだ、誇るが良い。だがそこまで真剣になれる理由が分からないな」
「そうでしょうね、貴方は自分が助かるかお姉様を助けるかという窮地に陥った時、絶対お姉様を助けるなんて嘘でも言わないでしょう?」
「だろうな。その窮地をマロウが打破できるなら助けるが、そうではない場面の方が多いだろう」
メアリージュンの顔が険しくなる。アルセルドの意見を唾棄した。
「私は違います。なにがあろうと、たとえ私が死んでもお姉様を助けます」
彼女はそっと記憶を手繰り寄せる。マロウを守ろうと心に誓った日を。
◇◇◇
メアリージュンは、マロウの父が外で作った恋人との間にできた子だった。母は部屋でいつもおかしく笑っていつか彼が迎えに来るのだと歌っていた。その姿を目に移す度メアリージュンは馬鹿な女と思った。純然たる事実だから。
平民の娘にメアリージュンなんて大層な名前をつけるのだ。まともなわけがない。
そんな生活の終わりは母の死だった。馬車に轢かれ呆気なく亡くなった。彼女が十歳の時だった。
途方に暮れていれば、たまにしか来なかった父がメアリージュンの下に来て自分と一緒に屋敷で暮らそうと提案してきた。
マロウはそれを断る気はなかった。
屋敷で、沢山の人間たちに目踏みするような目を向けられる。おそらく使用人に体を洗われた彼女は、一等怖い雰囲気を纏う女性の前に立たされる。
その後ろには軍のように並んだ使用人たち。逆にメアリージュンの背後には気の弱そうな父一人。少し分が悪い気がした。
恐ろしくもあり美しくもある女性は悩まし気なため息を零した。
「……ついに汚らしい子猫がここまで来ましたのね。あぁ、恋人くらいはと、子に爵位を継がせないのならと許容してきましたが、わたくしとて限りを持つ人間ですもの。この子を正式に屋敷に迎えるなんてことをまかり通らせるわけにはいきません」
「だ、だが母を亡くし一人で生きていくこの子を見捨てられないだろう!」
「わたくしは子猫一匹、野垂れ死のうが構いませんことよ。それより可哀そうなのはマロウです……わたくしの愛おしい子、あの子の災難はいつになれば終わるのでしょう」
呼吸する暇すら与えられないほどの圧迫感がかけられる。メアリージュンはひっと息をのんだ。
「この程度、わたくしが手を汚さずともやりようは幾らでも」
殺される、直感したメアリージュンは逃げようとする。扉に視線を向ければ一人の同い年くらいの少女が入室した。
寝起きなのか目を擦る少女は目の前に立つ女性と同じ色彩だったが、与える印象は違った。
「おかーさま、抱っこしてください」
「母様の細腕を酷使させるなんて、いけない子ですのね」
そう言いながらも、女性は先ほどよりも柔らかい笑みを浮かべていた。
抱き上げられた少女はそこでようやくメアリージュンの存在に気づいたようだった。目が合う。
「わぁ、可愛い女の子です! マロウのお友達ですか? マロウ、お友達ができたことないので嬉しいです!」
一人称が自らの名前の少女と仲良くしたいなんて思う人はいないだろうと、心の中でせせら笑う。
「……違うよ、マロウの妹だよ」
そこで父がマロウの母の神経を逆なでする言葉を吐いた。
「マロウの妹、ですか?」
「いいえ、いいえ違うのよマロウ」
必死に否定する母を置いて、マロウがこちらを見る。
「妹ではないのですか?」
「そうよ、わたくしの愛しい子」
「……じゃあ、お友達にはなってくれますか?」
メアリージュンは笑った。母によく似た、人に媚びる表情だった。
「勿論です、マロウ様」
◇
外で二人で遊ぶことになった。小さな森に案内される。芝生が整地され、木も枝が落とされていてよく手入れされている森だった。
「ここはマロウの秘密基地なんですよ。メアリーにだけ教えてあげます」
「そうですか、ありがとうございます」
周囲から騎士や使用人がこっそり観察していることには気づいてないようだった。
いつの間にか名前を省略して呼んでくる少女ににっこり微笑む。
「なんの遊びをしましょうか?」
「なんでもいいですよ」
「メアリーはとっても優しいのですね!」
では花かんむりを作りましょうと言われる。マロウに作り方を聞けば学習しサクサクと編み終われば、手が遅いのかまだ完成とは程遠い花かんむりを持つマロウが目を輝かせた。
「わぁ、とってもきれいです!」
「あげます」
「よろしいのですか!?」
頭に花かんむりを載せたマロウはメアリージュンの手を引き走り出す。母たちに見せたかったのかもしれないが、急に引っ張られたメアリージュンは足がもつれてしまった。
結果、顔から思いっきり転んだ。
「メアリー……! ど、どうしましょうマロウのせいです……」
頭上から焦ったような声が降ってくる。メアリージュンは屈辱と膝の痛みで顔を上げられなかった。
こんなことばかりだ、人生なんて。そう割り切っていても、ふとした瞬間に違いというものを見せつけられれば投げやりになりたくもなる。
悔しくて歯を食いしばった。
隠れている使用人は皆動こうともしない。当たり前だ、マロウではないのだから。
転んだのがマロウであれば皆がこぞって助けに来てくれただろう。それどころか、転びすらしなかったかもしれない。その前に助けてもらえるから。
馬鹿だ馬鹿だと人を見下したとて、結局一番の馬鹿は自分なのだ。
ジンジンと足が痛みを訴える。
目に涙が滲んだ。
瞬間、頬を掴まれ顔を上げさせられた。
目の前いっぱいにマロウの顔がある。
「痛いですよね、ごめんなさいメアリー。――さ、マロウに乗ってください!」
「え」
乗る。……乗る?
困惑していれば足の裏に手を差し込まれぐんと持ち上げ――ようとされた。
おんぶしたかったのだろうが、マロウとメアリージュンの体格はほぼ変わらないのだからできるはずがない。
「うぐぐ……、不甲斐ないです……」
「「「お嬢様っ!」」」
主人のピンチになってようやく使用人たちは顔を出した。
不満そうにするマロウを宥め、メアリージュンは騎士に運ばれることとなった。
屋敷に帰ってきた娘を出迎えた、先ほどまで夫を詰めていたマロウの母は、騎士に抱えられたメアリージュンと決意を固めたようなマロウを見てギョッとしたようだった。
「あの……マロウ、メアリーの手を引っ張って転ばせてしまいました」
「まぁ、そんなこと……。マロウが無事ならわたくしはどうでも良いわ」
「――だ、だからマロウ、責任を取るためにメアリーと結婚します!」
マロウの母の顔がスーッと白くなりふらりと覚束なくなる。
結婚なんて話初めて聞いたメアリージュンも驚愕で開いた口が塞がらない。
「本で読みました! だからマロウ、メアリーと結婚します!」
「それは無理よ、可愛い子。本当に可哀そう、こんな子猫如きに責任を感じるなんて」
どうしても結婚する! と子供特有の我の強さで主張するマロウに彼女はすっかり参ってしまったようだった。というよりも、娘には甘いのだろう。
「分かりました、貴女の妹ということでしたら許容しましょう。それ以上の譲歩は母様を困らせるだけだからやめて頂戴。……はぁ、わたくしのお庭を荒らすものがまた現れましたのね」
彼女が帰っていく。汚い本館から離れた場所に住まいを移そうかしらと零して。
呆然としていれば、マロウが手を万歳させて喜んでいた。
「やったぁ、マロウは妹も欲しかったんです! なにがあってもお姉ちゃんが守りますからね、メアリー!」
その笑顔に、なんて馬鹿な人なのだろうと思った。さっきからそうだ、持ち上げることすらできないのにおんぶしようとし、平民なんていくつ傷跡があっても困りはしないのに責任を感じ、同性での結婚ができないことも知らないのだろう。
馬鹿だと何度もなじる。
触れた手の温かさも、柔らかい笑顔も、臆することのない優しさも。
全て全て、彼女が世間知らずで温室育ちの馬鹿だから成立しているのだ。
あれほど痛みを訴えていた膝が未だ赤い血を流していることに、今気づく。頬を柔らかい手で包まれた瞬間、全てが取り払われたようだった。
熱いものが頬を伝う。
誓った。
この馬鹿なくらい優しくて暖かい人を命に代えて守ろうと。この人を取り巻く世界が、馬鹿なままでいられるくらい優しいものであるよう頑張ろうと。
◇◇◇
メアリージュンは息を吹き返したように目を開けた。
やっぱり自分の命よりマロウの方が何倍も大事だと思う。本人に伝えたらきっと怒られてしまうけれど。
「……貴方みたいな人にお姉様を預けることなんてできません」
「そうかもしれないな」
でも。
アルセルドが前を見据える。
「僕はまず、どちらか一方しか助からないような状況を作らせない。それが今僕が魔法陣を描いている理由でもあるのだから」
「そう、私には貴方の決意表明なんてどうでも良いです。お姉様が無事であれば」
マロウの額の上に載せていたタオルを取り、桶に張った水にさらす。
「それに、お姉様と結婚するのは私なんですから」
「…………っは」
無表情が多い男の珍しい呆けた顔に、一矢報いてやったと充足感を覚える。
まだ目を覚まさない愛おしい人の額に、良く絞ったタオルを唇を落とすような思慕を持って載せた。
鼻歌を歌う。
マロウが目を覚ましたのは次の日の早朝だった。




