第12話 魔法が使えない貴方
彼がこうも感情を爆発させている姿を見るのは二度目だった。一度目はマロウが詠唱を短縮させた時。
二度目は現在。
言葉に詰まっていると、アルセルドが目を乱雑にこすった。
「……すまない。変なものを見せて」
「いえいえっ、全然変なものではありませんからっ!」
必死にフォローしようとするが上手くいかない。
アルセルドが泣いている理由を頭を回転させ考える。
思い当たるのは一つだった。
「マロウが、リボンを落としたから……だから悲しんでいるのですか?」
ふるふると力なく首を振られる。
「じゃ、じゃあなにか違うことでマロウが――」
「君は……君はまったく、悪くないんだ」
彼はまだ泣いている。唇をわななかせた。
顔を手で覆ってしまう。
「――思い上がって、いたんだ……」
大粒の涙が一滴床を叩く。
「僕は、君が第二魔法を使おうと頑張っている姿を見て……安心していた、仲間だと、思ってたんだ。不遜にも」
それはマロウの知らないアルセルドの心だった。柔らかくて、触れただけで崩れ落ちる危険性を孕んでいる。
「でも、違った……君は、魔法が使えるんだね」
アルセルドはふっと自嘲した。
彼の言う『魔法』が第一魔法のことなんて、鈍いマロウでも推察できる。
考えれば分かることだった。第一魔法が使えないと絶望し、第二魔法を極めたアルセルドがどれほどの劣等感を抱えているかなんて。
マロウはほんの少しの見栄で、彼を酷く傷つけてしまったのだ。
「……第二魔法に、こだわる必要はないんだ」
「え……」
「きっと今の君なら、以前よりずっと多くの第一魔法が使える。第二魔法に固執する必要はない」
それは静かな拒絶だった。
◇
マロウは只今、レイと二人で列車に乗っていた。
車窓を眺める。流れていく景色が灰色がかって写った。
「……レイさんの言った通りでした」
「ん?」
「追いかけなければ良かったのかもしれません。マロウがしたことは全部、きっとアルセルドさんを傷つけるものでした」
鞄を抱え直す。
向かいに座るアルセルドの兄の顔を見れない。だが予想に反して彼の声は優しいままだった。
「確かに私はそう言ったよ。だがマロウさんの行動すべてがアルセルドを傷つけるものだったのかと考えると、決してそうではなかったと思う。アルセルドは秘密基地にいたんだろう? あの子が君に場所を教えたのはなぜだと思う?」
「特別隠すものでもなかったから……?」
だって彼がそう言っていた。
「そうだよ。君に教えたくないと思わなかった、つまりいつ来ても良いと考えていたということだろう」
「……曲解な気がします」
「ははっ、君はアルセルドに似て手厳しいね」
レイも窓に顔を向ける。指を組んだ。
空は澄み切っていて、白い雲が横断している。じわじわとした暑さが降り注ぐ。
夏盛り。窓の外を流れるひまわり畑は、集まれば輪郭をなくし黄色い海に姿を変えていた。
「……あの子をどうか見捨てないでやって欲しいんだ。私はアルセルドがあんなに楽しそうにしているのを初めて見た」
マロウは首を横に振った。
「見捨てることなんてありません。……だってマロウ、今だって魔法陣を描きたいと思います。第一魔法もちゃんと使えるようになると言われても。多分、もうマロウにとって第二魔法は特別なんです」
黄色いリボンを撫でる。
「この思いの丈をどう伝えたらいいか、夏季休暇中に考える予定です」
マロウの言葉を聞き終えたレイは本当に嬉しそうに笑った。彼は疑う余地なんてないくらい弟を想っていた。
◇◇◇
自分の家に帰ってきたマロウはメアリージュンに抱きしめられていた。
「おかえりなさいませ、お姉様。待ちくたびれました」
「ごめんなさい、メアリー。ただいまです」
「はい」
荷解きをしてから父に挨拶に行くことにする。
父は最後にあった時より老け込んでいた。マロウを目に写し目元にしわが寄った。
「おぉ、マロウ。元気にしていたか?」
「はい、学園での生活は楽しいです」
「そうかそうか。今日はマロウの好きなものを用意させよう」
ありがとうございます、とお礼を言ってから部屋を出る。次に向かったのは母の住まう離れだった。
「お久しぶりです、お母様」
「……あらあら、マロウ。お久しぶりね、母様に顔をよく見せて?」
少し気を病んでいる母は、日がなこの離れでのんびりと過ごしている。
抱きしめればむせるような香水の香りがした。
「――それにしても」
娘を抱きしめながら母ははらりと涙を零した。
「可哀そうな子、マロウ。ずっと婚約者だったスチュアート様に浮気されていたなんて……。やっぱり永遠の愛なんてありはしないのね、可哀そう」
毎日泣いている母の最近の涙の火種はもっぱらマロウの婚約解消らしい。もう半年も前のことなのに。
「それも妹に……、あぁいえ、あの子はそういう子なのでしたね。手口が相も変わらずいやらしいこと」
「……っメアリーはマロウのためにやってくれたんです!」
「だとしてもそこであのような手段しか思い浮かばないなんて、本当に汚らしい血が流れているだけはありますね。わたくしはあの後しっかりと向こうの家と話し合いしましたのに」
その話し合いがどれほど恐ろしいのか知っているマロウは顔を青くしきゅっと唇を引き結んだ。
「可哀そうだわ、マロウ。わたくしが外部からの情報を拒んだばかりに貴女には可哀そうなことばかり……。わたくしもちゃんと出ねばならないのかしら。貴女の新しい婚約者のためにも」
「マロウの婚約者は置いても外に出るのは素晴らしいと思います!」
「あらそう……」
美しい顔立ちの母はマロウと同じ栗色の髪を揺蕩わせ微笑んだ。
「可哀そうな子、愛しい子。母様だけは貴女の味方ですからね」
手を振る母に見送られながら、マロウは本館へと戻った。
◇
昼ご飯。母はいつも離れにいるので父とメアリージュンの三人で食べる。
玉ねぎのスープを飲みながらマロウは父に向け口を開く。
「お父様、遅くなってしまいましたがスチュアート様との婚約が駄目になってしまってごめんなさい」
「……っ、あれは私のせいで!」
メアリージュンがガタッと席を立つが父がそれを制す。
「いや良いんだよ。……それにしても浮気か。まぁマロウにはまだ早かったということだ。気に病むことはないよ」
柔らかな諦めに胸が詰まる。父の笑顔は優しい。
この感覚は久しぶりだった。
ご飯を食べ終えたマロウは裁縫をしようと意気込んでいた。
メアリージュンと共にソファに座り針を持つ。
浮かぶのはアルセルドのこと。詩集を刺したハンカチを送りたいと思ったのだ。
――だがすぐに手に針が刺さり血が出る。
「わわ……」
「お姉様!? 早く治療を……っ」
手際よく消毒しマロウの指に包帯を巻いたメアリージュンは安堵の息を吐いた。
それからまだ針に手を伸ばすマロウから針と布を遠ざける。
「お姉様、どうしても欲しいのでしたら私が縫いますので……」
「でも、」
「お姉様の手が傷つくのが嫌なんです」
手持無沙汰になったマロウは針を刺すメアリージュンを眺める。美しい模様が描かれていく。
美しい魔法陣を描くアルセルドを想起する。
彼はマロウがどれだけ間違えても魔法陣を取り上げることはしなかった。わずかに口角を上げながら魔法の美しさを説き、また魔法陣を描くように促す。
マロウは小さい星だ。弱弱しく、誰にも力強く光ることを期待されていないような。
けれどアンタレスが――アルセルドが繋いでくれた。マロウ・フェリシーという名もなき星を星座にしてくれた。
「……マロウ、行かなきゃ」
マロウは言いたいことはすぐに形を失くしてしまう。だから早く行かなければ。
さそり座が空に浮かんでいる間に。




